朝から雨が降っている。
今日はリウマチ内科だ。
なかなか、国立新美術館ミュシャ展に行く日がないので、
通院のついでに行こうと考えた。
朝6時23分の電車で新宿乗り換えも午前8時前。
すごいラッシュで立ち上がって降りようとしたが、
座ろうとする人と降りようとする人が、
たくさんいて大変だ。押される。
なんだか、朝の新宿駅はみんな殺気立っている。
病院に着いたのも8時10分過ぎくらいか…
こちらも、たくさんの人がいる。
すでに採血も始まっていて、
5人目くらいに出来た。
それからミュシャ展開催の六本木、国立新美術館に向かう。
信濃町から代々木で大江戸線に乗り換えて六本木まで。
長いエスカレーターに何回も乗り、階段やエレベーターを乗り換えて
方向感覚がむちゃくちゃ。
けれど都会に来ると田舎者はウキウキする。
電車に乗るのに並んで、美術館でも並んで疲れてくる。
美術館は午前10時からだけど時間前に開店していた。
それでも入場も4列に並んで、時間をおいて中に人を入れていた。
アルフォンス・ムハ(ミュシャ)1860年7/14生~1939年7/14没(78歳)
国籍チェコスロバキア
スラヴ叙事詩。
会場に入ると圧倒された。
高い天井まで壁面いっぱいに絵画なのだ。壁画?ではないと思う。
額に入っているし。
近くで観るより離れて観た方が全体が観えるので、
たくさんの人は手前に固まっている訳でもない。
四方に絵画が並ぶ中央でも観れる。
天井近くなるので、椅子に座っていても充分絵画が愉しめる。
いったいどう、この絵画を入れたのか…
スラヴ叙事詩を一回り観て、説明の録音サービスを借りることにした。
説明を聴き、より絵画を愉しむことが出来たと思う。
当時の時代背景など、知識のない私なので。
細部まで再び愉しめた。
ミュシャが後半生をかけて制作した大作「スラヴ叙事詩」全20点公開。
今までチェコの国外に出たことが無く、
チェコ国外でも世界初公開となる貴重な機会だそうです。
その後は、フランス時代のポスター画の展示だ。
私はこの頃のミュシャしか知らなかった。
アールヌーボーの頃のものは、どれも女性が美しい。
女優サラ・ベルナールの演劇のポスター「ジスモンダ」でミュシャは一躍、時の人となる。
1939年春、ドイツ帝国がチェコスロバキアを占領。ミュシャは逮捕監禁され、亡くなります。
参考
★ミュシャ作品展について。
詳しく書いてあったので。
★ミュシャ展
館内5点だけ撮影許可のところが有って、ブログに掲載している人もいます。
没後50年以上経つと著作権も切れるので、掲載できるようです。

〇イヴァンチツェの兄弟団学校
若者はミュシャ(ムハ)と言われています。

〇ロシアの農奴制廃止
全体の写真がありませんでした。

〇アトス山

〇スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い
娘と青年はミュシャの子どもがモデルだそうです。

〇スラヴ民族の賛歌
以上、スマホで撮影したものです。
これからリウマチ内科に戻り診察を受けました。
それはまた、別のページにて。