●フクイチ、原発再稼働 喉もと過ぎればで良いのか?
●フクイチ、原発再稼働 喉もと過ぎればで良いのか?
今夜は引用が長すぎ、且つ、久々に、原発の現在の問題点に関する記事やレポートを読んだので、疲れ果てた。
:いずれにせよ、安倍政権は、原発再稼働は当然だし、帰還の許された地域には、速やかに、旧住民は帰還するのが当然といわんばかりだ。
子供たちが、帰還しないのは、いわば放射能に関する無知に過ぎない。
今後は、フクイチ周辺は、廃炉等々の事業の拡大により、以前にもまして、当該地域は、前途洋々とでも言いたげだ。
原発のことは、半分お忘れでしょうから、もう一度、チョッとだけ、真面目に、原発情報をググってください。
後日、筆者も、更なる情報に触れながら、自分なりの考えをまとめてみようと思う。
無論、筆者は反原発派なのだが、何故、反対に至ったか、書いてみようと思う。
そして、イギたなくしがみつく原発村の面々を、久しぶりに切り刻んでやろう。
≪なぜ人々は原発再稼働に「無関心」なのか
のど元過ぎれば、ということ…?
いつの間にか、「脱原発」のムードに倦んでしまった世間を尻目に、原子力ムラは次々と原発再稼働を推進している。だが、ムラのやりたい放題にカネを出させられるのは、われわれ国民なのだ。
■廃炉費用で原発建設
:経産省の最高幹部のひとりは、冷徹な表情で記者にこう語った。
「仮に原発が事故を起こしたとしても、規制委が過剰すぎるほどの安全基準で検査して合格させたわけですから、それは技術の限界ですよ。隕石が原発に落ちる可能性だってあるんですから、想定外を考えて物事を進めるなんて成り立たない」
:11月24日、日本原子力発電(原電)は東海第二原発の運転延長を原子力規制委に申請した。東海第二原発は、40年間の運転期限が迫っている。その期限ぎりぎりの「20年延長」申請で、再稼働を目指す。だがこれは、原子力ムラの「カネ」の都合に過ぎないようだ。
「原電は、稼働している発電所が現在ひとつもなく、東電など電力大手9社とJパワーからの基本収入と債務保証で、かろうじて存続を維持しています。 しかし、東海第二を動かさないと宣言した瞬間に、基本料収入も債務保証もなくなるでしょう。つまり、再稼働しないかぎり、会社が破綻してしまう状況にあるのです」(ジャーナリスト・町田徹氏)
:原電が保有する原発は4基あるが、東海と敦賀1号機は廃炉作業中だ。敦賀2号機は、建屋直下に活断層が走っている可能性が指摘されているため、実は頼みの綱はこの東海第二だけなのだ。
:だが、原電が今回の延長申請を行う1週間前、驚くべき事実が明るみになった。原発廃炉のための「解体引当金」(原電の場合、4基で合計1800億円)を流用し、なんと敦賀3・4号機の原発建設費用に充てていたというのだ。その結果、緊急時に使える手元の現預金は3月末で187億円しか残っていなかった。
:東海第二の廃炉のための引当金は530億円だった。はなから廃炉するつもりなどないということだ。さらには、新規建設のカネに使っていた!
さすがに言語道断だというのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸氏だ。
「外部機関で廃炉資金を積み立てるシステムがないから起こる事態です。原電は、福島事故の前に、将来の廃炉を想定せず、敦賀原発の増設にどんどん解体引当金を使っていった。このままでは、増設も廃炉もできないから再稼働をさせたいという論理につながります」
:だが、原電の目論み通りに、規制委が東海第2の再稼働を認めたところで、原電は1700億円を超える安全対策費を調達せねばならない。そのツケを払うのは国民だ。
「原電は電気卸売業ですから、電力会社への卸価格に廃炉費用や安全対策費が含まれます。おカネが足りなければ卸価格に上積みされ、結果的には国民が電気料金の値上げによって負担することになります」(前出・伴氏)
:ボロボロの実家の解体費用を貯金していた男が、奥さんに黙ってそのカネをギャンブルに使ってスッてしまった。もはや解体できないので、すみません、リフォームするので国民の皆さんに払ってもらいます――こう言っているのに等しい。
■人の道に外れてないか
:福島第一原発の事故の後、すでに東電は賠償資金として7兆7105億円を政府から受け取っている。
:このカネは、原賠機構を通じて支払われるため、一時的に政府が立て替え、最終的には東電や電力会社が負担することになる。つまりは電力料金の値上げによってなされるのだ。
:賠償資金だけではない。廃炉・汚染水への処理費用8兆円、除染費用4兆円、中間貯蔵施設の整備費用1.6兆円という巨額のカネは、すべて電力会社と国が負担する。
:合計21.5兆円と試算される事故関連費用は、血税と電気料金で、我々が支払うのである。ここに、再稼働の安全対策費が、さらに上乗せされていく。
:再稼働に向けたカネの使い放題、ちょっと人の道に外れているのではないか。だが5年前の民主党政権時代を思い起こそう。
:野田佳彦首相(当時)は「2030年代に原発ゼロを可能とする」目標を政府方針に初めて盛り込んだことがある。福島第一事故の後、原発の危険性を学んだ人たちの多くは、これに賛同した。
:だが、原発再稼働推進の安倍政権の気焔のもと、気がつけば「脱原発」ムードは風化した。現行のエネルギー基本計画では、「'30年代にゼロ」どころか「'30年に原発比率を20~22%」に代わったのだ。
:「東海第二の20年延長は、3.11後に再構築された原子力規制のあり方を問う重要な論点を含んでいるのに、大きなニュースになっていません。表面的な議論しか展開してこなかったメディアの問題と国民の圧倒的な無関心がそこにある」
:こう語るのは、立命館大学准教授の開沼博氏だ。
「国民としては、問題は何も解決していないのに、『まだその話か』『またか』となってしまい、カタルシスも得られない以上、関心を持たなくなってしまったのです」
:喉元過ぎれば再稼働。知らぬ間に、事態は進行している。3年前には福井地裁が運転差し止め判決を下したはずの大飯原発3・4号機に関して、11月27日、福井県の西川一誠知事が再稼働に同意した。
:その翌28日に経産省で開かれた有識者会議では、原発新増設を踏まえた議論さえなされた。東海第二のような20年延長を重ねたところで、'50年までには廃炉が相次ぎ、原発比率を維持することができない、というのだ。
:大飯再稼働には、世耕弘成経産相からの強い働きかけがあったとされるが、冒頭の経産省の最高幹部はどこ吹く風だ。
「大飯の再稼働容認は、あくまで福井県知事の判断ですよ。あちらは地元経済活性化のため、原発立地交付金を満額もらいたいだろうし、そのために早く動かしてほしい。経産省は、あくまで再稼働しなければ電気料金は高いままになりますよ、というスタンスでした」
:現場はどうなっているのか。11月末、東海第二原発を訪れた。国道245号線を日立方面に向かい、原子力機構前の交差点を通過すると、この国道が拡幅工事中だと気づく。
:しばらく進み右手の進入路に入ると、東海第二原発が姿を見せる。その先には、建屋を足場で覆われた東海原発が、紅白の煙突をのぞかせる。
:原電が第二原発内で運営する博物館「東海テラパーク」。女性スタッフに話を聞いた。
:――20年の延長で、丁寧に検査しても、本当に安全なのかという声もある。
「飛行機に乗っても車に乗っても、事故を起こすことがあります。でも乗るまでわかりません。100%安全だとは言うことができないんですよ」
:――延長は必要ですか?
「お気持ちはわかります。福島事故後に、太陽光発電がグッと伸びてきましたが、価格の問題などあるようですし、これからのエネルギーを考えますとやはり必要なのではないかと……ごめんなさい。ちょっと失礼します」
■経済より命が大事でしょ
:一方、原発3キロ圏内の住民たちは、総じて複雑な心境をのぞかせた。
「もともと畑もロクにできず、何もなかった土地なんですよ。発電所が来たおかげで、大きな道路が通り、人がたくさん来てくれた。私たちが受け取ったものを、反対派の人は忘れてしまったのですか?」(80代・女性)
「福島の事故が起きてからは、やっぱり怖い。でも、ここから離れるわけにはいかないから、原発は安全な形で動かしてほしいです」(70代・男性)
:不安なままこの地で生活を続けていかねばならない葛藤のなかで、苦衷の表情を浮かべていた。福島第一原発の事故前、双葉町や大熊町で見られた反応と同じである。
:電源3法に基づく自治体への交付金のうち、大半を占める「電源立地地域対策交付金」は、いまだ年間約824億円。これが地方自治体への「原子力ムラ」のアメの一つとして使われている。
:だが、何度同じことを繰り返すのか。なぜ人々は原発再稼働に無関心なのか。宗教学者の山折哲雄氏は言う。
「人間の欲望というのは、抑えることができない。なぜ地震大国でこんなにたくさん原発があるのか――西洋の知のエゴイズムにかぶれた知識人が、大衆を理解しないまま勝手に物事を進めている。
:福島の事故があっても、それは変わらないどころか、ますますはっきりしてしまった。原発政策はおかしいと思いながらも、政治には無関心を決め込んでいる層の『内なるもの』が表に出るような事件が起こらないと、もうこの国は変わらない」
:実質的に東電を「国営化」した経産省からすれば、無関心こそ、再稼働政策を推進する格好の鍵になる。「原発再稼働なくして経済成長なし」と、刷り込みを続けていきさえすればいいのだから。しかし、同志社大学教授の浜矩子氏はこう言う。
:「再稼働を牽引する人たちは『経済合理性』を主張しますが、経済合理性には『人々の人権、生存権を脅かさない限りにおいて』という前提があることを忘れてはなりません。 事故が起これば、人権も生存権も侵害することを日本人は目の当たりにしたはず。なんのため、誰のための経済活動なのか、という地点から考え直さねばなりません」
:「原発」問題に飽きていた諸氏も、一歩立ち止まる時期かもしれない。
≫(現代ビジネス:「週刊現代」2017年12月16日号より)
≪福島原発事故から7年、復興政策に「異様な変化」が起きている
政府文書を読み解く
山下祐介(首都大学東京教授・社会学者)
■復興政策の異様な変化 :平成30年3月11日で、東日本大震災から丸7年となる。
:この復興からの道のりについての私の評価はすでに本誌(誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49113)や拙著『復興が奪う地域の未来』(岩波書店)で述べてきた。いまもその見解は変わらないので多くはふれない。
:ここではこの節目にあたって今一度、現在進行中の復興施策――ここでは原発事故災害についてのみ取り扱うこととする――の中身を点検したい。
:とくに6年目からの「復興・創生期間」に入って生じてきた変化を、復興庁のホームページにあがっている文書を検討することから明らかにしてみたい。
:おそらくここで示すことは、今現実に動いていること――森友問題における財務省の動き――をはじめ、この2年ほどの間にこの国の中枢で次々と起きてきたおかしな現象を解読するための糸口を提供するように思われる。
:というのも、東日本大震災からの復興をめぐる政策文書をあらためてみてみると、平成28年に「復興・創生期間」へと入る前あたりから――第3次安倍内閣(平成26年12月24日)がスタートする前後から――その内容に大きな変化が起きていることがわかるからだ。
:読者に理解しやすいようあえて強い言葉で表現すればこういうことだ。
:その前まではまともだった。むろん私の立場からすれば批判せざるをえない内容のものもあったが、それでもいまから見ればそんなにおかしなものではなかった。
:そこにはある種の政府としての首尾一貫性があったし、なぜそうなるのかも、それなりに理解できるものが多かったのである。
:しかし「復興・創生期間」以降は、何か悪意があるのではないかと感じざるをえないものが多くなっている。
:それはとくに、昨年末に出された「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」(平成29年12月12日)に象徴的だということができる。
:この戦略については後ほど取り上げることとして、ここではその前提となっている平成28年末の閣議決定「原子力災害からの福島復興の加速化の基本指針」(平成28年12月20日)の内容あたりから紹介していきたい。
■帰還にともなう被ばくは自己責任?
:「原子力災害からの福島復興の加速化の基本方針」は、震災から6年目の「復興・創生期間」にはいっていくなかで、進行する原発事故被害地域の復興についての国の取り組むべき方向性を示したものである。 :その1年半前に原子力災害対策本部が示した平成27年「原子力災害からの福島復興の加速に向けて(改訂)」(平成27年6月12日)に変えたものだ。
:この平成27年6月から平成28年12月への変化については、例えば平成27年にはあった文章――「帰還に向けて、住民の方々の間では、福島第一原発の状況に対する関心が大きいことを踏まえ、廃炉・汚染水対策の進捗状況や放射線データ等について、迅速かつ分かりやすい情報公開を図る」――が、平成28年には削られているなど注目すべき点が多いが、ここでは次の点のみ分析しておきたい。
:それは、これからの「帰還に向けた安全・安心対策」についてという箇所である。
:ここはまた、原子力規制委員会が以前示した「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方」(平成25年11月20日)をふまえて国が責任を持ってきめ細かく進めていくといっている。
:まずは原子力規制委員会が、この平成25年の「考え方」の中で原発被害地域への帰還についてどのような考えを示していたかをおさえておきたい。
:この「考え方」の前に提示されている「東京電力第一発電所の事故に関連する健康管理のあり方について(提言)」(平成25年3月6日)とあわせてみれば、原子力規制委員会が示した考え方とはこういうものである。
:原子力防災の目的は、公衆の過剰な放射線被曝を防止することである。避難から帰還の選択をする住民の意思は尊重しなければならないが、帰還は一定の放射線被曝を前提とする。
:それゆえ帰還者は、今回の事故直後にどんな被ばくを受けたのか行動調査等による推定を行うとともに、今後の被ばくについても継続的に実測し記録を残さなくてはいけない。
:でなければ健康被害を防止できないし、被害が生じた場合にもその原因を特定できない。帰還者を守れない。
:そうした被ばくの管理をおこなうこと、継続的な健康調査の実施、そして疫学研究を進めてどのような影響が起きたのか(起こらなかったのか)を検証して、住民たちの健康管理体制を維持していくことが国の責務になる――。
:要するに、一定の被ばくを覚悟しなければならない場所に帰還させるのであれば、その被ばくの管理を行うのは国の責務になるからその体制をしっかりつくれ、ということである。
:ここで問うているのは国の責任である。
:ところがこれを受けて作成したという、現在の政府の指針はどうなっているか。ここにはこう書いてある。
:「具体的には、女性や子どもを含む住民の方々の放射線不安に対するきめ細かな対応については、御要望等に応じた生活圏の線量モニタリング、個人線量の把握・管理体制の整備や放射線相談員による相談体制の整備を引き続き進める。放射線相談の活動については、それぞれの市町村の状況に応じた多様なニーズに対応できるよう、「放射線リスクコミュニケーション相談員支援センター」等により、自治体による相談体制の改善を支援していく。加えて、放射線相談員のみならず、生活支援相談員や学校教員などの住民の方々との接点が多い方々に対しても、放射線知識の研修や専門家によるバックアップ体制の構築などのサポートを強化し、様々な場面で住民の方々から寄せられる放射線不安に対して、適切な現場対応が行える体制を整える」(下線は筆者)
:私にはこの文章は、原子力規制委員会がいうような、"被ばく管理をし、国の責任で健康被害が出ないようつとめる"という意味には読めない。
:むしろ逆にこう解釈できると思う。
:「被災者からの要望があれば被ばく線量を個人で測る体制はつくる。だから自分で管理するように。基本的には放射線の知識をきちんとつければ不安に思うことはないのだから、その知識が得られるようサポート体制を整える。それでも不安があるなら、その相談には乗れるようにしましょう。それは自治体の仕事だから支援してあげます」
:政府は早期帰還を推進しているのに、これでは帰還して受ける被ばくは自己責任であり、政府の責任ではありませんよといっているようなものだ。これでは人々は帰るに帰れまい。
:だが筆者がここで問いたいのは次の点だ。
:原子力規制委員会が示した大事な提言や指針にたいして、今、政府はまともに向き合わなくなってしまっているのではないか。
:「指針をふまえて」といいながら、全く違う内容を都合良く平気でつないでいくという姿勢。こうしたことは平成27年までの文書には見られなかった。そこまではまだきちんと原子力規制委員会の考え方が反映されていた。
:一体この変化は何を意味するのだろうか。
■国民をリスクコミュニケーションで洗脳?
:しかも、昨年末に発表された「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」(平成29年12月12日、原子力災害に対する風評被害を含む影響への対策タスクフォース)では、政府の言い方はもっと踏み込んだものになっていくのだ。
:冒頭にふれたこの戦略の最初の部分を紹介してみたい。
:ここにはこんな文章が登場する。
:「学校における避難児童生徒へのいじめなど、原子力災害に起因するいわれのない偏見や差別が発生している」(1頁)
:これはちょっと政府が出す文書としてはあってはいけないものだと私は思う。
:まず日本語として間違っている。「いわれ」は、例えば『広辞苑』ではこう示されている。
:「いわれ【謂れ】(由来として)言われていること。来歴。理由。」
:原子力災害が理由で偏見や差別が発生していると言っておきながら、その偏見や差別には「いわれ(理由)」がないと、そういう変な文章になっている。
:だが、重要なのはこの文章が導こうとする結論だ。つづく文章はこうなっているのである。
:「このような科学的根拠に基づかない風評や偏見・差別は、福島県の現状についての認識が不足してきていることに加え、放射線に関する正しい知識や福島県における食品中の放射性物質に関する検査結果等が十分に周知されていないことに主たる原因があると考えられる。このことを国は真摯に反省し、関係府省庁が連携して統一的に周知する必要がある」
:要するに偏見や差別、そしていじめの原因は、原発事故ではなく、国民の無知なのだ。国民を無知のままにしてきた国はそれを反省し、国民を無知から解放しなければならない。
:それがおそらく来年度から実施されていく「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」による、「知ってもらう」「食べてもらう」「来てもらう」のキャンペーンなのである(ちなみに福島県の食品検査の取り組み――とくに米の全袋検査など――については私は高く評価している。この点は『聞く力、つなぐ力』(農文協)を参照していただきたい)。
■国が示す文書がおかしくなっている
:だが――ここは冷静に考えていきたい。
:霞が関で働くこの国の行政官僚たちは、本来こういう文章を書く人たちではない。
:だいたい、いじめの原因を"放射線に関する正しい知識が欠けているからだ"というあたりからして変だ。被ばくが人にうつらないことくらい誰でも知っている。
:いじめの原因はむしろ社会的な無知だ。「賠償もらってるんだろう」「原子力の恩恵を受けてきたくせに」――とくに後者が問題なのだが、これがどんな偏見と差別をはらんだ認識なのかは紙幅の関係上ここでは説明できないので、拙著『人間なき復興』(ちくま学芸文庫)を参照してもらうしかない(そしてこれは、正確には無知というよりも国民の多くがとらわれてしまっているある種の認識の罠である)。
:ともかくこの無知の原因は、起こしてしまった原発事故に対して、国がその責任を(実質上)認めていないことにどうもありそうだ。人々が不安に思い、偏見や差別がはびこるのは、すべてはあってはいけない原発事故を起こしたからである。
:国はその責任をつねに自覚していなければならない。以前はたしかにその(社会的)責任のなかで施策は進められてきた。いまや開き直って、まるで「被災者にこそ責任がある」という感じになっている。
:だが、「被災者」というが「被害者」なのだ。加害者が被害者に対して、「何でいつまでも自立できないんだ。だから差別されるんだよ」と言い始めている。そして国民についても、馬鹿だから差別するのだという認識になるのだろう。
:すべては国が起こした原発事故が原因なのに。この責任転嫁をこそ「国は真摯に反省」しなければならない。
:こうした論理で構築されている「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」だから、その内容はきわめて傲慢なものだ。
:風評対策についても、この戦略の前身になる「風評対策強化指針」(平成26年6月23日、平成29年7月追補改訂)と比較しておこう。
:平成26年の段階では、三つある強化指針の第1は「風評の源を取り除く」だった。「風評」という語は使っているが、この風評には原因がある。それは原発事故だ。それを認めるところから進められていた対策だったのである。
:だが、昨年末にそのタガが外され、「風評払拭」と堂々と言い始めた。
:「源を取り除く」努力を最大限にしているからこそ「風評だ」といえたのに、政府はもはや「原因はないのだから不安に思う方がおかしい」と、そういう方針に転換しようとしている。
:政府はこの風評払拭を世界に向けて発信し、そして全国民に向けても不安解消のリスコミを強化していくという。
:だが、政府は被ばくした人々の線量推定さえまともにやっていないのだ。私たちはその声をどこまで信じることができるだろうか。
:いったいなにが起因となってこんなことになっているのだろうか。
:こうした原発避難者の早期帰還政策の、過剰なまでのゴリ押しが、民主党政権から自民党政権にかわったところで起きていると分析できるなら、ある意味でわかりやすい。反自民勢力のシンパからすれば、そう考えたいところかもしれない。
:だが現実には、原発避難者早期帰還のスキームは、平成23年9月に菅政権にかわってスタートした野田政権からはじまっている。その大きな転換点となったのがいわゆる「事故収束」宣言(平成23年12月16日)だった。
:だがそこが全てかといえば、当時の状況と現在はずいぶん違う。
:これまで私は避難者たちの立場から政府の復興政策を強く批判してきたが、現在の政府文書の内容は、当時とは比べものにならないほど劣化していると感じる。
:またとはいえ、安倍政権がその劣化のスタートかといえばそんなことでもなさそうなのだ。
:最初に述べたとおり、復興庁の文書を見ていても、第2次安倍政権まではそれほど大きな変化を感じない。変化が現れるのはやはり平成26年12月の第3次政権発足の前あたりからだ。
:そしてその変化は平成28年3月からの「復興・創生」で明確に現れてくることになる。
:次に、この変化の兆しと思われる「復興・創生」前の2つの事象を取り上げて、それが政府のいう「復興・創生期間」とどうつながっていったのか、迫っていこう。
■子どもたちへの興味を失った?
:まず第一に取り上げたいのは、平成26年4月18日に提出された復興推進委員会の「「新しい東北」の創造に向けて(提言)」である。これをその後に続く奇態な変化の直前状態を示す資料として見ていきたい。
:復興推進委員会は復興庁におかれた関係自治体の長及び有識者等による審議機関で、民主党政権下、復興庁設置の際に、復興推進会議とともにおかれた。
:その復興推進委員会のメンバーを、安倍政権への移行を機に平成25年3月に入れ替え、会議を重ねて作り上げたのがこの提言である。
:民主党の時に策定された復興構想会議による提言「「復興への提言~悲惨の中の希望」」(平成23年6月25日)の自民党政権バージョンと思えばよいだろうか。 :内容について私には批判的に思う部分もあるが、基本的には目配りよく、復興を真摯に考えて取り組もうという意欲が伝わる文書である。
:「「新しい東北」の創造」にむけて、提言がとくに掲げるのは次の5つである。
1. 元気で健やかな子どもの成長を見守る安心な社会
2. 「高齢者標準」による活力ある超高齢社会
3. 持続可能なエネルギー社会(自律・分散型エネルギー社会)
4. 頑健で高い回復力を持った社会基盤(システム)の導入で先進する社会
5. 高い発信力を持った地域資源を活用する社会
:会議録を眺めて非常に印象的なのが、「1. 元気で健やかな子どもの成長を見守る安心な社会」である。 :「子ども」を上記5つの項目の中で一番はじめにおいたところに、この提言の特色・意気込みが現れていると言ってもよいだろう。
:とくにこの項目に関しては、本提言を仕上げるために重ねた委員たちの苦労がよくわかる資料も会議録の中には収録されている。
:ところがその内容が、2年後の平成28年にはどこかにいってしまうのである。
:きっかけは「復興・創生期間」への移行だった。
:震災6年目以降の「復興・創生期間」をどのようなものにしていくのかを書き込む、「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」の内容について、当然ながら復興推進委員会は諮問をうけることになるが、基本方針の原案を見てある委員が次のように発言しているのに注目したい。
:「骨子案を見ますと、子供という言葉が1か所しか出てこないということで、だんだんこ の会議の中でも子供というキーワードが減ってきている印象を感じております。これは仕 方ない部分なのかなということも感じるのですけれども、今回の福島県を初めとした地域 では、子供たちに健康被害が起きるかもしれない、または起きたという思いが、子育てを している方々にとっての大きな不安であり、また風評被害を呼んでいる部分だと思います。 子供たちの心と体の健康に重要点を置くということをぜひ入れていただきたいと思います」(復興推進委員会(第20回)平成28年1月19日、議事録より)
:2ヵ月後の3月11日に発表された「基本方針」は、この発言を受けてであろう、多少の文言は追加された。が、「子ども」にとくに深く言及しないままの内容で閣議決定されている。
:私にはどうも「子ども」では票にならないというかたちで、政権が興味を失ったのではないかとそんな気がしてならない。
:教育再生実行会議まで組織し、子どもに熱心な安倍政権がなぜこんなふうになっていくのか。
:ともかくここからは、中心に位置づけられていた政策でさえ、何かのきっかけがあれば平気で切り捨てられる、そんな政治・行政の極端な力学が生じていることが読み取れよう。
■被災者のためではないイノベーション・コースト?
:さらに別の角度からも分析を続けよう。
:こうして、せっかく作成した「『新しい東北』の創造に向けて(提言)」への関心が薄れていくのに対し、それに入れ替わるようにして福島復興の中心の座についたのが、「福島イノベーション・コースト構想」である。
:福島イノベーション・コースト構想は、第3次安倍内閣に移る前から動きがはじまり、第3次政権で一気に加速した。
:イノベーション・コースト構想とは、要するに今後廃炉を進めていくにあたって、廃炉産業の集積とともに、そこで進めなければならない新技術の確立(とくにロボット技術やエネルギー関連産業)をもって、福島県浜通りの新たな産業の基軸とし、そこで生まれた雇用によって帰還する人々が働ける場を作ろうというものである。
:私はこうした夢のような巨大事業には慎重であるべきと考えるが、ともかく事故プラントの管理や廃炉は進めなければならないのだから、最高の技術で絶対に放射能漏れのおきない安全な廃炉技術の確立をここで進めることに異論はない。
:そしてそれがこの事故で悲惨な目にあった被災者たちの暮らしの再建に資するのならば。
:しかし、そのもととなっている「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想研究会 報告書」(平成26年6月23日、経済産業省)には、次のような気になる文章が織り込まれているのである。 :報告書は冒頭でこういう。
:「一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある」(1頁)
:私もそう思う。だが、その次の頁では、いとも簡単にその文言を覆すのである。
:「住民の意向調査の結果によれば、震災から3年以上が経過する中で、戻らないとの意向を示している方も多い」
:「他方、国際研究産業都市の形成過程では、多くの研究者や関連産業従事者がこの地域において生活することとなる。今後は、新たに移り住んでくる住民を積極的に受け入れ、帰還する住民と一体で、地域の活性化を図っていくことが必要」(2頁) 帰ってこない人(被災者)はもうよい。復興は、帰ってくる人(被災者の一部)と、新しくこの町にやってくる人(被災者ではない人)で、やればよい。ここで言っているのはそういうことだ。
:だが復興事業の受益者が、この地域に戻ってくる人・新たに入ってくる人でよいというのなら、それは「一番ご苦労された地域が、一番幸せになる権利がある」とは全く違う話ではないか。
:しかも驚いたのは、この構想から約1年後に出された、「福島12市町村の将来像に関する有識者検討会提言」(平成27年7月30日)で、こうした事業の結果として「震災前の人口見通しを上回る回復の可能性」があると言い始めていることである(提言のポイント)。
:廃炉・除染作業員による人口増とともに、「夢の持てる地域づくり」によってそれを実現するというのだが、私にはそんなことが起きるとは夢にも思えない。
:そして文書を丹念に読めば、震災時の人口よりは減少はするのだが、今後の事業によって流入人口が増えるので、震災前になされていた人口予測よりも減り幅は小さいだろうと、そういう話なのである(「参考資料6 福島12市町村の将来像の検討に資する将来人口見通し(参考試算)」の42頁)。
:むろんそれとても私には信じられないのだが、本提言のこの文言は政府にとって大変ありがたいものであったらしく、後の「『復興・創生期間』における東日本大震災からの復興の基本方針」にもしっかりと引用されることになる。
:だがイノベーション・コースト構想はまだこれからのものであって、多くの課題をはらみ、決して成功を約束されているものではない。
:ここには当然失敗のリスクもあるわけで、人口増どころか、こうした事業が結局は収益をあげられず地域のお荷物になる可能性の方が高いのではなかろうか。
:政府もそうした危険性をわかっているはずなのに、なぜそれをこうも無視した文章が書けるのか。
≫(現代ビジネス:社会:原発・山下祐介)