kakaaの徒然な日記

日記がわりにときどき、ふと思いついたことをつぶやきます。

世界史 16話 中世ヨーロッパ ゲルマン人の移動、フランク王国、神聖ローマ帝国、ノルマン征服

2019-02-10 12:30:25 | 歴史
世界史 16話 中世ヨーロッパ ゲルマン人の移動、フランク王国、神聖ローマ帝国、ノルマン征服


【ヨーロッパの地形】 ヨーロッパの地形で、大きな川は黒海から流れ出るドナウ川です。それからドイツの西部を流れるライン川です。今までイスラム世界をやったのと比べると600年ぐらいまた過去に戻ります。
 イスラム世界は13世紀、1200年代まで行ったんですけど、そこが実は一番世界で進んでいる地域です。それを先にやりました。
 それからみると今ヨーロッパというと、ここがイギリスだったり、フランスだったり、イタリアだったりして進んでいるように見えるけれども、この当時は田舎です。ド田舎なんです。
 ではなんでこんなド田舎のことをやるのかというと、これから1000年後に圧倒的にここが発展して、日本でもペリーが大砲を向けてくるような、脅されるまでになる。ここの文明、ヨーロッパ文明が発展してくるからなんです。
 今の段階でここが進んでいるとは思わないでください。今までヨーロッパをやったときに中心はどこかというと、ローマだった。ではこの時ヨーロッパの中ではローマが中心かというと、でもローマはもう捨てられた。
 どこに移ったか。ここの今のイスタンブール、この時にはコンスタンティノープルといいますが、ここに中心が移った。ヨーロッパでは、ここが中心です。

 ローマ帝国は二つに分裂しました。そして東の帝国だけが生き残る。これが何帝国だったか。東ローマ帝国です。ヨーロッパではここが中心です。
 しかしここからはその西の田舎をします。人があまり住まないような、オオカミが出るようなところです。ヨーロッパで有名な話に、「赤ずきんちゃん」のお話がある。赤ずきんちゃんは、なにに食べられるのか、森のオオカミです。オオカミが出るような、森がうっそうと茂っている地域です。
 そこにお姫様がいたら、何ヶ月も森をかき分けて行かないといけないようなところです。「眠れる森の美女」とかの話もあります。ここはそういう森に覆われた地域なんです。こんな田舎のことを今からやっていきます。
 中心はここの東ローマ帝国です。でも本当はもっと東のイスラーム世界。ヨーロッパでは東ローマ。
 ここに昔あったローマ帝国が分裂し、西半分の西ローマ帝国は滅亡したんです。それで田舎になりました。

 ローマは地中海側です。しかしローマの北のアルプス山脈を越えたら田舎です。険しくてなかなか越えられない山脈です。太陽の光が降り注ぐローマから見てアルプスの北側は、森に覆われた別世界です。今はそこがヨーロッパの中心ですけど、フランス・ドイツはもともと、アルプスの北の森の世界です。その田舎から見て、海の向こうにあるイギリスは、さらにとんでもない田舎です。
 フランス人は今でも、英語を田舎言葉だとして、使いたがりません。でもそのイギリスから、ずっとのち産業革命と近代社会が出現します。
 なぜそんなことになったのか。この地域は今の社会をひもとく鍵なのです。


【ヨーロッパの言語分布】 それが今の民族分布を見ていくと、ここはライン川。その西側が西ローマ帝国があった地域で、まずその帝国が滅んでいる。ここはまだ森に覆われた田舎のイメージです。
 発展したあとの民族分布をみると、もともとのローマ帝国のローマ人は、これはラテン系の人々です。彼らが住んでいるところは、イタリアから、フランスから、スペイン、こういったところがラテン系の人々が住む地域です。ヨーロッパを西と東に分ける目印は、さっき言ったライン川です。ドイツとフランスの間にあります。

 今からいう主役はこの田舎側に住んでいた人たちです。彼らをゲルマン人という。彼らが押し寄せて、ライン川を渡る。
 昔、橋がない時代には、大きな川は人はなかなか渡れなかった。それを何百人・何千人という人たちが大挙してライン川を渡って、そこに国を作っていく。そのゲルマン人の地域が、だいたいドイツからオーストリアです。こういった領域をこれからやるいうことです。
 それから北のスウェーデンとノルウェー、ここもゲルマン人です。
 これからこのゲルマン人の動きを見ていきます。


【ゲルマン人の登場】 主役はゲルマン人です。西ローマ帝国が滅ぼうとしているときに、まず東のゲルマン人を押し出すのが、さらに東の方から西側のヨーロッパ側に進んできたフン族です。多分これは中国史でやった匈奴またはその一派だろうといわれる。それが東から西にどんどん進んで、そこに住んでいた人間を押し出すような形で、押し出されたのがゲルマン人です。
 彼らが大移動を始める。旧ローマ帝国の領域は、ライン川の西側まで、今のフランスまでだった。そこにゲルマン人が入ってきたものだから、ついに476年に西ローマ帝国は滅んだ。

 しかしすでに東に引っ越していたもう一つの東ローマ帝国は生き残った。栄えたのはそっちが中心です。
 もう一つ生き残ったのが、この帝国の宗教です。国教になった宗教は何だったか。キリスト教ですね。これは総本山が今でもローマにある。そのまま生き残ったんです。これがローマ教会です。西ローマ帝国は滅んでも、そこにあったローマ教会は生き残ったということです。
 これが一つの隠し味、ヨーロッパの底流を流れる伏線です。このあとのヨーロッパはこのあと新しく出てくるゲルマン人の国と、昔からあるローマ教会のライバル競争です。オレが偉いんだ、オレが偉いんだ、とケンカし出す。宗教と王様が。


【ゲルマン諸国】 ではゲルマン人が作った国、これは10近くいっぱいつくる。西はスペインから、さらにジブラルタル海峡を南に渡って、アフリカの北岸まで。ゲルマン人が何千キロと移動して国を作ります。


【フランク王国】
【メロヴィング朝】 しかし、それを全部省略して、一つだけ代表的なものとしてずっと残っていくのが、フランスを中心に彼らが作った国、これをフランク王国という。これは481年にメロヴィンク家のクローヴィスが、フランク諸部族を統一して建てた国です。クローヴィス一族の王朝をメロヴィング朝といいます。フランスという国の名前はここから出てくる。フランクが訛ってフランスになっていきます。


【クローヴィスの改宗】 ローマ人から見るとゲルマン人というのは野蛮人だったんです。それがどうにかキリスト教の教えには従った。キリスト教徒にはなったんだけれども、ローマ教会の教えとは違ったキリスト教の教えに従っていた。これを異端といいます。キリスト教にもいろんな宗派がある。
 ただこのフランクの王様、クローヴィスというのは、キリスト教にも何種類かある、どうせならこの生き残ったローマ教会の教えに変わったほうが何かと得だぞ、と考えた。この正式な教えをカトリック、本当はアタナシウス派という。これに改宗した。
 ここからうまくいく。ゲルマン人はローマ教会と手を組むことによって、野蛮人であったゲルマン人の国のフランク王国が発展していくんです。


【聖像禁止令】 ただ忘れてならないことは東ローマ帝国が中心であった。そこにもまた別の教会があるんです。国も二つになっていた。教会も二つになっていた。それぞれ教会の教えが違っていくようになる。
 西のローマ教会はゲルマン人にキリスト教を教えるときに、キリストさんの像、またはマリアさんの像を見せて、これを拝みなさいといっていた。
 日本人は仏像を拝むからそんなこと当たり前ですけど、一神教の世界では禁止です。偶像を、神様の像を彫ってはならない。人間の形を神様はしてない。それを拝むなんてとんでもない。そういう教えです。
 これを東ローマ帝国のキリスト教会が守って命令をだした。それを何というか。聖像崇拝禁止令という。726年です。
 しかし、これを出されたら、字が読めないゲルマン人に絵もみせられない、像も見せられない。それだったら難しいキリスト教の教えを伝えられない、とローマ教会は反発していく。
 教会も、西と東で仲が悪くなっていくんです。ローマ教会と対立するようになります。


【ツール・ポワティエ間の戦い】 世界の中心はイスラム世界です。イスラム帝国のウマイヤ朝は、昔のメソポタミア、今のイラクあたりを征服し、北アフリカに軍隊を広げて国がどんどん大きくなっています。さらに地中海の出口のジブラルタル海峡を越えて、ヨーロッパに攻め込んできた。ヨーロッパのスペインからフランスに攻め込もうとする。しかしこれ以上攻め込まれたらとても耐えられないということで、ゲルマン人たちは戦った。そしてヨーロッパがイスラム軍になんとか勝った。あのイスラム世界に。
 この戦いが732年のツール・ポワチエ間の戦いです。これでヨーロッパはどうにか潰れなくて済んだ。ゲルマン人の国のフランク王国がここで生き残りました。もし負けていたら、ヨーロッパはキリスト教国ではなく、イスラム教国になっていたと思いますね。このあともヨーロッパはイスラム教徒の脅威におびえます。


【カロリング朝】 そこからまた息をふき返したゲルマン人の国は、ツール・ポワティエ間の戦いで手柄を立てたカール・マルテルの一族であるカロリング家に実権が移り、王家が変わります。カール・マルテルは、メロヴィング朝の宮宰です。宮宰とは日本でいえば、大名家の家老のようなものです。8世紀の751年にはメロヴィング朝からカロリング朝に変わります。


【カール大帝の戴冠】 この家から出た王様がカール大帝です。もともとカールというただの王様だった。これで説明するのが非常に難しいことが起こります。
 ちょうど800年のこと、たんなるフランク王のカール王が、ここでローマに出向いていくと、そのローマ教皇から、「おまえを皇帝にする」といって冠をかぶせられるんです。ローマにはローマ教会の教皇が生き残っているんです。
 日本の天皇は冠とか別に要らないけれども、ヨーロッパは王の印は頭にかぶる冠です。こういうのを、難しい言葉で「戴冠(たいかん)」という。戴冠とは冠を頂戴することです。
 この教皇が、カールに冠をかぶせて、どこの国の皇帝にしようとしたかというと、それが不思議なことに、滅亡したはずの西ローマ帝国の皇帝にする、と言ったんです。これで西ローマ皇帝です。ここで476年に滅んだ西ローマ帝国が復活した、という言い方をするようになります。
 これは変なことで、説明するのはけっこうむずかしい。でもヨーロッパ人はそう思ったんです。あのローマ教皇が王に冠をかぶせたんだから間違いないだろう。でもなんでローマ教会が、帝国の皇帝を任命できるのかという感覚は、日本人にはなかなかわからない。

 ここで教科書に書いてないことを言うと、このときローマ教会に伝わっていた文書に「コンスタンティヌスの定め」というのがあったんです。約500年前のローマ帝国時代にコンスタンティヌス帝という皇帝がいた。彼が決めたという文書が残ってたんです。「ローマ教会のローマ教皇は西ローマ帝国の王を任命することができる」という文書が伝わっていたんです。何百年も前からローマ皇帝が認めたんだという文書が。
 ただこれは今となっては、偽書だということが分かっている。捏造文書です。最近のモリカケ問題の捏造文書じゃないけれども、公文書偽造です。嘘の文書をつくってそれを証明書にしている。
 ただこういうウソの文書でも本物だと信じられてきた。だからローマ教皇が冠をかぶせた人は、西ローマ帝国の皇帝になれる。だから西ローマ帝国は復活した、とヨーロッパ人は信じてきたというのが歴史的な事実です。

 ここで起こったのは、ローマにいる教皇がカール王というフランク王に、田舎の王様に冠をかぶせた途端に、この田舎の王様が突然「オレは西ローマ皇帝だ」と名乗り始めた。つまりゲルマン人の王がローマ皇帝だという不思議なことがおこるわけです。これがヨーロッパという田舎で起こったことです。

 再度言うと、ヨーロッパの中心は実はコンスタンティノープルという東ローマ帝国です。ただ、これが名前を変えるところが覚えにくい。東ローマ帝国と言わずに、この時にはビザンツ帝国というふうに名前が変わっているんです。ビザンツとは、コンスタンティノープルが昔はビザンティオンという名前であったから。
 東京の昔の名前が江戸というようなものです。だから江戸帝国になったみたいなものです。東ローマ皇帝はビザンツ皇帝です。こっちが実はヨーロッパの中心です。

 このビザンツ帝国では、皇帝とキリスト教の教皇の関係では、皇帝が上なんです。皇帝が東ローマ帝国の教会を支配している。これを皇帝教皇主義といいます。だから西に残ったローマ教会も支配しようと圧力をかけていく。
 しかしこのローマ教会はビザンツ皇帝の命令に従いたくないから、それをはねのけようとしている。800年の事件が起こったのはそういう時なんです。
 そのためにはこれと同じような形で政治的な後立てが必要になるから、この田舎の王様を、「おまえが東ローマ皇帝なら、こちらは西ローマ皇帝がオレのバックについているぞ」、という形を作りたかった。政治はややこしい。逆にいうと、政治がややこしくなるときには、そこにウソが含まれていることが多い。
 こうヨーロッパでは信じられてきた、西ローマ帝国が復活したと。しかしここから発展していくということです。

 この背景にあるのは、ローマ教皇とビザンツ総主教というキリスト教内の宗教対立があって、それを有利にするために、ローマ教会は西ローマ帝国を復活させたということです。それで田舎のゲルマンの王であるフランク族の王に冠をかぶせたわけです。それが800年におこったことです。


【メルセン条約】 この時のフランク王国というのは、今のフランスよりもかなり大きい。フランス・ドイツ・イタリアにまたがるような大きな国だったんだけれども、このカール大帝が死ぬと、息子が3人いて、その3人に分割相続する。それで割れてしまう。この取り決めがヴェルダン条約です。843年です。

 どういうふうに三つに分裂したか。東フランク、西フランク、イタリア王国の三つに分裂した。西フランクの国境は、ほぼ今のフランスと重なる。フランスの形になった。ここでフランスができたと思って半分は正しい。これが今のフランスです。
 次に、ドイツに相当するのが東フランク王国です。今のヨーロッパの二大国家、フランスとドイツの原形がここでてきた。イタリアもです。
 さらにその後、870年のメルセン条約でこの形がはっきりします。
 西ローマ帝国の滅亡して約400年後、東がドイツ、西がフランス、南がイタリアの原型ができた。

 では何が入ってないか。イギリスがはいっていない。イギリスはまた別です。イギリスは島国です。海の向こうの田舎のまた田舎じゃないか、いるもんか、という感じです。イギリスが国になるのはあと200年ぐらい後です。イギリスは統一国家にさえなってないということです。


【東フランク王国】 中心はフランスとドイツのうち、ドイツなんです。ドイツは東フランク王国という。もともとはこのドイツがゲルマン人の本拠地です。
 そこから一部がライン川を渡って西に行ってフランスまで占領した。ただ本拠地はドイツです。
 このフランク王国は、王様といっても日本と違って、家来たちが王を選挙で選ぶという形をとります。ヨーロッパ人は選挙をやる。ギリシャ国家もそうだった。日本の王は、親から子、子から孫へと受け継がれる。これを世襲というけど、ヨーロッパはそれとは違って選挙原理というのが強い。
 生きるか死ぬか、荒々しい戦争がしょっちゅうあるときに、そういう地域では選挙で選ぶ。

 なぜかというと、平和なところでは、親が偉ければ、息子がボンクラでも、おまえが次の王になっていい。それでも戦争がないから滅びることがないんですよ。しかし戦争がいっぱいあって、いつ滅ぼされるかわからないところで、親が偉かったからといって、息子がボンクラで、それが王になったら、その国はすぐ潰れる。滅んで自分たちも殺される。
 だから、一代限りで、では次の王は、親が偉いといっても、関係ない、おまえはバカだ、何の能力もない、この中で一番能力のある者を選挙で選ぼう、そういう実力主義です。選挙というのは実力主義です。
 一番力の強いものを選ばないと生き残れない。そういう世界で選挙が行われる。
 しかもカロリング朝は、911年に断絶します。


【オットー大帝】 ここで選ばれたのが、962年にオットー1世というザクセン家の人です。これをザクセン朝といいます。このあとも王家はコロコロと変わります。
 ドイツ人です。オットーという名前です。カール大帝から160年経った。その間、ローマ教皇が王様に冠を被せる、これが空白になっていた、忘れられていたんです。これが160年ぶりぐらいに復活します。
 このオットー1世が久々にローマ教皇から、ローマ皇帝の冠を受けた。被せられた。さっきも言ったけど、これを「戴冠」といいます。オットー大帝といいます。

 この帝国は意味合いとしては、西ローマ帝国なんだけれども、ただこのあと何と呼ばれていくか。いつとはなくちょっと名前がアレンジされて、神聖ローマ帝国と言われるようになる。ローマ教皇という神の使いがからむから「神聖」なんです。
 これがドイツのもとです。962年の時のドイツという国は、何というか。神聖ローマ帝国です。でも支配領域は実質的にドイツのみです。ローマのあるイタリアも併合しようという努力はしますが、うまくいきません。一番簡単に言うと、神聖ローマ帝国とはドイツのことです。
 ドイツはこうやってローマの名前を受け継ぐ名誉ある地位を手に入れます。ヨーロッパで最も権威ある国になる。フランスじゃない。ドイツです。

 理念的には、このドイツが全ヨーロッパを支配する帝国です。フランスはその下にある王国に過ぎません。あとで言うイギリスは、さらにそのフランスの支配下にある国にすぎません。
 これは理念的なものに過ぎませんが、20世紀になってドイツのヒトラーが目指した第三帝国というのはこれなのです。第一がローマ帝国、第二が神聖ローマ帝国、そして第三がヒトラーの帝国です。こうやってバカにできない形で理念が復活することがあります。
 ドイツ人の中には今もこの理念が息づいています。今のEU、つまり欧州連合もそういう理念の一つでしょう。
 この神聖ローマ帝国は、ヨーロッパを一つにまとめることはできませんでした。そこが中国との違いです。中国は分裂と統合を繰り返しながらも、必ず一つにまとまります。今の中国も激しい内乱のあとにできた国です。
 この違いは何なのでしょうか。一つの違いは、皇帝権の上に、さらにまた別の組織があるということです。それがローマ教会です。



 悔しがったのがフランスです。なんでドイツだ、俺たちだってフランク王国の領地じゃないか、ドイツにしてやられた。ドイツめ、いつか取り戻してやる。だからドイツとフランスは仲が悪い。

 20世紀までずっと仲が悪いです。第一次世界大戦では、ドイツとフランスは敵同士です。第二次世界大戦でもドイツとフランスは敵同士です。ずっと仲が悪い。

 この時の構造はさっきのカール大帝の時の構造に似てるんだけれども、ローマ教会のローマ教皇が今度は東フランク王に冠をかぶせた。ローマ帝国の復活です。その復活したローマ帝国は名前がちょっと変わって、神聖ローマ帝国という。その王様が神聖ローマ皇帝です。

 ローマ教会としてはこういう政治的な後ろ盾、バックボーンが欲しかった。宗教だけでは力にならないから、軍事力を持っている国が欲しかった。そして国王に命令したかった。
 しかしこのあと皇帝は、自分の皇帝の位が、ローマ教皇によって任命されることはおかしなことだと気づく。ローマ教皇から命令されたくないんですよ。
 それで皇帝と教皇で、オレが上だ、いやオレだ、で対立する。ローマ教皇は、じゃあおまえをキリスト教会から破門するぞ、キリスト教から除外するぞ、そういって脅すんです。
 これがローマ教皇のもつ伝家の宝刀で、教皇と対立する皇帝にとってはこれが何より恐い。それはキリスト教社会では人間ではなくなることとほぼ同じなんです。この感覚もなかなか日本人にはわかりませんね。
 でもそうやって、皇帝と教会がこのあと対立していく。これがヨーロッパの歴史です。日本にはこれがないから、日本人にはちょっとピンとこない。ここらへん理解するのはけっこう難しいです。


【西フランク王国】 では冠をかぶせられそこねた西フランクはどうか。これが今のフランスです。カロリング朝という王様の家も断絶して、はがゆい思いをしながら力が弱くなる。すぐには復活できない。
 そのあと、また新しい王になった家がカペー朝です。987年です。ユーグ・カペーという人の家柄、カペーというのが名字に相当します。カペー一族です。ただ王権は弱いです。


【ノルマン人】 この9世紀頃にまた、田舎の暴れ民族が、フランク王国に押し寄せてくる。荒らしまわるといっていい。彼らをノルマン人という。基本的にはドイツ人です。つまりゲルマン人の一派なんだけれども、その親戚筋です。
 400年前にはまだ移動していなかった。400年遅れてまた移動し始めた。ノルマンというのは、北の人という意味です。ドイツ人から見て北にいる一族という意味です。
 今のスウェーデンあたりから海を超えてやってくる。彼らは海賊です。その海賊が船に乗ってやってくる。舳先がクッと曲がった海賊船に乗って。海から川に入って、急流があると丘に登って、百人ぐらい乗れるから皆で船を担ぐ。えっさほっさと担いで行く。
 また船を浮かべて、川をさかのぼって、村々を荒らし回る。これにさんざん痛めつけられていく。彼らの別名がヴァイキングです。海賊です。ヨーロッパはこの海賊がこのあと500年ずっと活動する。

 ジョニー・デップの映画、パイレーツ・オブカリビアンというのはこの伝統です。これがのち大西洋に乗り出していく。そういうお話です。このヴァイキングの経路を見ると、もともと北にいた人たちで、現住地はスカンジナビア半島です。今のスウェーデンです。彼らは西に行って、フランスにも入っていく。フランスを荒らし回る。
 もう一つ、東に行った人たちは、ロシアをつくる。ロシアはこんな小さいところから始まる。そして東に伸びていく。これには戦争ないです。こんな寒いところ、誰もいらないから。取りたければ取っていいよという感じです。


【ノブゴロド国】 これがどんどん大きくなって、今や世界最大の国家はロシアになる。ヨーロッパ人こんなとこ要らない。このあとシベリアまで広げていく。
 これがノルマン人の動きで、ロシアも彼らが作った国です。862年にまずノブゴロド国をつくる。これがロシアの始まりです。しかしすぐ引っ越しする。その南のキエフというところに引っ越しする。キエフ公国です。882年頃です。これが本格的にロシアのルーツになる。ルーツとは原形です。


【ノルマンディー公国】 西では、さっき言ったようにフランスにはいる。フランスの海岸にノルマンディー海岸というところがある。そこに国を作る。ノルマンディー公国という。
 つい最近といっても、70年代前、第二次世界大戦の戦場にもなった。有名なノルマンディー作戦が70年前にもあった場所です。そこに国をつくる。北フランスです。
 ただしこれは王国ではなく、フランスの一地方領主という立場で認められた公国です。つまりフランスの一部です。


【ノルマン朝】 次はイギリスです。分裂していたイギリス。1000年代になってやっと統一国家になる。このイギリスを統一国家にしたのも彼ら海賊ノルマン人です。ノルマン朝という。
 今でこそイギリス王室というのは、おしゃれで、バッキンガム宮殿に住んで、綺麗な馬車に乗ってというイメージですが。でももとを正せば海賊です。だからエリザベス女王でも、暗殺されたダイアナ妃でも、背は170センチぐらいあって、体格が良い。背が高く、肉付きもよくて、しかも美人です。やわな血筋じゃない。ご先祖は海賊です。気性は荒いです。あそこの王一族は。
 このイギリス王家が近代世界に及ぼした影響は計り知れません。

 実はこのイギリスをつくったのは、フランスのノルマンディー公国をつくったノルマンディー公です。フランスの一地方領主がイギリスを征服したんです。1066年のことです。このことをノルマン征服といいます。その戦いをへースティングズの戦いといいます。
 ここはちょっとねじれてますね。フランス人がイギリスを征服したんです。だからイギリスはもともとフランスの子分です。フランス王の家来のフランスのノルマンディー公が、イギリスを支配するという形です。
 しかしこのあと、イギリスは子分はイヤだという。フランスは、なんで子分がイヤかといって、怒る。それでイギリスとフランスは仲が悪くなる。
 ドイツとフランスは仲が悪い。イギリスとフランスも仲が悪くなる。隣同士で仲良くしていそうな感じだけれども。
 それは日本もあまり言えない。日本と中国は仲が良いんですか。あまりよくないです。日本と韓国はもっと仲が悪い。隣同士の国というのは、歴史的に非常に仲が悪い国が多い。
 ヨーロッパもそうです。ただ日本はペリーが来る以前までは、朝鮮とも、中国ともけっこう仲良かったんですけどね。

 ここでメイン三国ができた。やっとイギリスができた。その前にフランスができた。ドイツができた。イギリス・フランス・ドイツです。それにイタリアも。
 イギリス・フランス・ドイツ・イタリア、この4ヶ国は特に重要です。英、仏、独、伊。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア。有名な外国は日本は漢字一文字で書く習慣があります。
 ではまた。

転載元:「ひょう吉の疑問」 https://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/0709f3ab4d95914501962de66ffbbd02

>私は歴史を知る一人の朝鮮人として貴方に言っておきたい。

2019-02-10 10:53:04 | 世相・社会学



🦀Cooper( ✌️'ω' ✌️ ) 🌈


@gonshoken2012
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その他 🦀Cooper( ✌️'ω' ✌️ ) 🌈さんがmipokoをリツイートしました

私は歴史を知る一人の朝鮮人として貴方に言っておきたい。殺され虐げられ完全に尊厳を冒涜され魂が苦しみから逃れられなくなった側は、貴方の言う「賢く、人道に基づく、国益や国際的地位向上に役立つ」という"後世の人類に役立つ記録を整理する"ことなどはっきり言ってどうでもよい。 🦀Cooper( ✌️'ω' ✌️ ) 🌈さんが追加
mipoko

@mipoko611
従軍慰安婦問題で日本が取るべき、最も賢く、最も人道に根ざし、最も国益となり国際地位向上にも役立つやり方は、日本が率先して人文科学や歴史科学の方向から従軍慰安婦制度の記録を探し残し研究し、後世の人類に役立つよう記録を整理すること、その仕事を被害者に誓い謝罪することなのにね。
このスレッドを表示
3:10 - 2019年2月9日
39件のリツイート 58件のいいね Linden(林田)肉球新党🐾 野党共闘応援ふかみん(*☻-☻*)Ἄρτεμις横山祥一Yuichi MITSUDO/光藤雄一대왕 🇰🇵明智紫苑@🔖Avaloncity🌈片山 進ノリタカ
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アベノミクス偽装は立派な国家犯罪、いくら動かぬ証拠を突きつけられても、容疑を否認し続ける安倍氏は、もはや、犯罪心理学の研究対象だ!

2019-02-01 21:27:11 | 安倍の犯罪・森友、加計、選挙妨害疑獄事件

新ベンチャー革命2019年2月1日 No.2246

タイトル:アベノミクス偽装は立派な国家犯罪、いくら動かぬ証拠を突きつけられても、容疑を否認し続ける安倍氏は、もはや、犯罪心理学の研究対象だ!

1.往生際が悪いことこの上ない安倍氏、この期に及んでも、アベノミクス偽装を認めず

 今、国会では厚労省の統計不正の追及が行われていますが、厚労省は組織的隠蔽を認めたようです(注1)。

 ところが、安倍氏は、上記の事実を認めようとせず、アベノミクス偽装を否定しています(注2)。

 よく平気でケロっとこんな答弁を繰り返すものです。

 この現状を見て、この人物は普通の神経の持ち主ではないと痛感します。

2.安倍氏のアタマの中は、どうすれば辞任表明せずに済むかしかないようだ

 アベノミクスの成否を測るもっとも重要な指標、それこそが、われら国民の勤労賃金推移です。そして、アベノミクス政策の結果、実質賃金推移がマイナスだったことがすでにばれています。しかも、統計不正をやった厚労省が、インチキをやったことをすでに認めているのです。

 にもかかわらず、安倍氏はこの期に及んでも、ヌケヌケとアベノミクス偽装を認めないのです。

 この状態は、詐欺罪を犯した容疑者が、詐欺の証拠を暴かれているのに、それを頑固に認めず、容疑を否認し続ける状態を彷彿とさせます。

 そう言えば、安倍氏は森友事件でも、関与の証拠をあれだけ突きつけられても、平気で容疑を否認し続け、いまだに、のうのうと総理の座に居座り続けています。今では、安倍氏は籠池氏と会っていたことも暴露されています(注3)。

 まさに、これは厚顔無恥そのものです。

3.安倍氏のウソと白を切るクセはもはや、犯罪心理学の研究対象

 何らかの犯罪を行って、警察に逮捕された容疑者は、当初、ウソをついたり、白を切ることが多いことを、われわれはみんな、よく知っています。

 われら日本のトップリーダーである安倍氏も、人の子ですから、ウソをついたり、白を切るのでしょうが、それで済まされることは決してないのです。

 今回の厚労省の統計不正はれっきとした国家犯罪です。しかも、それは、安倍氏の売りだったアベノミクスを偽装するためだったのです。

 これは紛れもなく、国民を欺く詐欺罪です。

 それならば、この国家犯罪の最高責任者である安倍氏は、一刻も早く、責任を取って、最低でも、総理を辞任すべきです。

 とりあえず、今、政権交代がなくても、安倍氏の後釜は自民党にいくらでもいます。

 ちなみに、明石市長は、職員に暴言を吐いたことがばれて、早くも辞任表明しています。

 安倍氏も、早く辞任表明して、総理としてはもちろんのこと、一人の人間としてもケジメをつけるべきです。

 ほんとうに往生際が悪い人です、安倍氏は・・・。

https://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/37711945.html


注1:阿修羅“厚労省身内が「白旗」「組織的隠蔽あった」監察委員が証言(日刊ゲンダイ)”2019年1月31日
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/881.html

注2:グノシー“安倍首相、実質賃金の再計算を検討=統計不正、経済判断の変更は否定 参院代表質問”2019年2月1日
https://gunosy.com/articles/R26fx

注3:阿修羅“安倍は籠池と会っていた!! 「週刊朝日」がスクープ!”2019年1月29日
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/797.html

ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm


テックベンチャー投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html

公明党幹事長、創価学会員と「ズレ大きくなっているとは感じる」その証拠が創価学会員の良心の声が拡散されている …

2019-02-01 09:47:48 | 政治と創価学会

公明党幹事長、創価学会員と「ズレ大きくなっているとは感じる」その証拠が創価学会員の良心の声が拡散されている。
創価学会の「タブー」SNSが破る? 
ツイッターが公明党を揺るがす 公明党の汚い常套手段終了



春の統一地方選と夏の参院選の勝利は、公明党の最重要事項だ。選挙に向けて、どのような党運営をするのか。斉藤鉄夫幹事長に聞いた。

*  *  *
──今年は「憲法改正の発議」が大きなテーマになる。憲法9条の1、2項を残し3項に自衛隊を明記するという安倍首相案への公明党のスタンスは。

 どういうスタンスを取るか自体まだ決まっていない。わが党は「加憲」という立場で、2004年に憲法9条について議論をした。9条1、2項を厳然と残すことは党として譲れない。その上で自衛隊を明記する条文を加えてもいいという意見と、自衛隊はすでに国民に認知されているので必要ないという2案が出た。それは今も変わらない。ただ4年前の安保法制議論では、現憲法の枠内でできる自衛の措置の限界が明確になったので、今後は9条改正の必要がないということで支援者と納得した経緯がある。この経緯は大きい。与党、野党という枠組みを外して憲法審査会でしっかり議論を進めなければ、幅広い国民合意は得られない。

──特定秘密保護法、安保法制、「共謀罪」にも公明党は賛成した。もはや政権の「ブレーキ役」にはなっていないのでは。

各法案にもさまざまな危惧があったが、平和、人権を守るという立場を公明党が与党内で代弁することで、オール・オア・ナッシングではなく、幅広い国民合意を得られる法案にした。例えば安保法制では、フルスペックの集団的自衛権の行使という自民党案に対して、現行憲法の範囲内でごく限定された集団的自衛権しか行使できないよう歯止めをかけた。党員や支持者の方々と大変な議論をしながら、現行の憲法9条の枠内で許される自衛措置の限界はどこかを明確にした。平和主義を掲げる公明党だからこそ「ブレーキ役」を果たしてきたと自負している。

──昨年9月の沖縄県知事選をどう総括しているか。

行政手腕の高い佐喜真淳氏を推薦したことは間違っていなかった。ただ全県的な知名度がなく、それを補う戦略、運動が足りなかった。SNSなどで情報戦を駆使する「空中戦」でも相手が上手だった。

──基地移設問題で辺野古の是非を明言しなかったことが「争点隠し」と批判された。

マスコミは基地問題ばかりを争点にしたがったが、知事選で本来問われたのは沖縄県の振興であり、県民生活全体の向上をどう図るかということ。われわれはそこに選挙の争点を置いて訴えたが、及ばなかった。

──安保法制議論や沖縄県知事選では、支持母体の創価学会員が三色旗を掲げて反対の声を上げる姿もあった。

創価学会は国民の縮図であり、公明党の政策に反対意見を持つ方がいらっしゃるのも、ある意味では当然だ。創価学会員のほとんどは党員ではないので、党が意見を押し付けることはできない。ただ、何か政策課題があれば、われわれは創価学会の会合にもすぐにご説明に行き、そこで意見交換する。学会側でも頻繁に政治学習会などを開いて、積極的に理解しようとしてくれる。政治家と支持者の間で、ここまで双方向の意見交換をしている党はないのではないか。

──とはいえ、公明党を全面支援できない学会員が増えれば選挙にも影響が出る。前回の衆院選は比例得票数が節目の700万票を割る結果となった。

創価学会員に、公明党の政策に100%同意してくださいというのは現実的に難しい。価値観が多様化していくなかで、そのズレが大きくなっているとは感じている。ズレをなくすよう、一生懸命努力するしかない。

──亥年は選挙イヤー。夏には「衆参ダブル選」もささやかれるが、公明党は反対の立場だ。

衆議院と参議院は機能が違うからこそ、選挙制度も違う。その選挙を一緒にやると、二院制の意味が希薄化する。何よりも、国民が混乱する。衆参ダブル選は望ましくない。その上で、来るべき選挙に向けては「大衆と共に」という立党の原点に立ち返る。先の衆院選で敗北したのは、「公明党らしさ」を前面に出せなかったからだ。その反省に基づき、昨年は全国の公明党議員による100万人調査運動をした。子育て、介護などについて、全国3千人の議員が100万人の方々の声を聞いて回った。それを政策提言としてまとめ、選挙に生かす。それが「公明党らしさ」を取り戻すことにつながり、創価学会を含めた支持者の方々との「ズレ」を埋めることになると確信している。(構成/編集部・作田裕史)
※AERA 2019年2月4日号


今年は春の統一地方選と夏の参議院選挙が12年に1度重なる「選挙イヤー」。この重要な年に、公明党が試練を迎える。党を支援する創価学会員の団結力に危うさが見えつつあるるのだ。背景にはSNSの普及などもあるようだ。

*  *  *
 過去には選挙活動に邁進した現役の創価学会員の女性(50代)も、今は公明党の支援をやめた。女性は関東在住で祖父母の代から続く「3世」。絶対的平和主義の信念のもと、10代後半から集票活動を始め、300~400票を集めた時期もあったという。だが、03年に公明党がイラク戦争を支持したことに仰天し、支部の幹部、友人、身内にも「反対の声を上げるべきだ」と詰め寄ったが、反応はなかった。公明党議員からも、納得できる説明はされず、自分の信念が根底から覆された気がした。

「自分だけがおかしいのかもしれないと、少し距離を置いて公明党の活動を見ていました。でもその後、多くの国民の反対を押し切って安保法制を強行採決したのを見て、もう変わらないのだなと悲しくなりました」

 沖縄県知事選でも、女性は「辺野古埋め立てに反対なので公明党推薦候補は応援できない」と地区の会合で発言した。すると、昨年10月、県や支部の幹部が女性の自宅を訪れ「なぜ会合であんなことを言うのか」などと問い詰められたという。

「公明党を応援しないことを非難されました。『あなたが完璧でないのに公明党議員が不完全だというのはおかしい』『今後も会合で発言するならその内容が正しいという証明を持ってこい』とも言われた。私は自由に発言できない組織なら離れます、と言いましたが除名にはなっていません」


 女性はツイッターでも発言をしており、リベラル意識の高い人たちに拡散されている。

 組織に詳しいある現役会員は、このような創価学会の「二面性」は、SNS時代では機能しづらくなっていると分析する。

 つまり、この会員いわく、表向きは「公明党支援は個人の自由」と言いつつ、実態は「公明党支援と信仰活動が一体になっている」という。前者を否定すれば「政治的自由を否定する教団」とのそしりを受け、後者を否定すれば「組織運営が成り立たずに選挙戦が戦えない」というジレンマを抱えている。そこで、創価学会はある「手法」でこれを両立させていたという。

 「聖教新聞などの公式メディアでは公明党支援を信仰上の言葉で意義づけないことで、『私たちは選挙活動を強制していない』としつつ、座談会などの宗教的集会では公明党の政策PRのDVDを流したりして『功徳』を語る。それにより、実質的に公明党支援以外の選択肢をタブー化する空気を作ってきた」

 しかし、学会内部から、選挙運動を指示する画像などがSNSによって拡散されると、この「手法」が困難になる。ツイッターなどで「同じ会員でも賛同しない人がいること」が可視化されるようになるので、元来公明党の政策に違和感を持っていた人は同調しやすくなる。批判がタブー視されていた会員たちがSNSに触れることで、その心理的ハードルが下がる効果がみられるという。

「同じ信仰を持った学会員の言葉には教義的な意味での正しさがあり、彼らを一方的に否定することは教義上のタブー(法華誹謗)にもなり得るという心理も働きます」(現役会員)

 創価学会も、今は世代交代も含めた過渡期。SNSで可視化される時代だからこそ、内部からの批判へどう応答していくかが問われている。「学会員の公明党支持は絶対なのか」「公明党への支援拒否を理由に指導や降格はあるのか」を創価学会に聞くと「そのようなことはございません」と回答した。

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏は言う。

「公明党幹部は『今年は選挙が全て。党を締め直していく』と断言している。春の統一地方選は勝てると踏んでおり、夏の参院選に全てをかけている。16年の参院選同様、愛知、兵庫、福岡の3選挙区に新人を擁立する方針で、そこに全総力を結集させるつもりだ。学会員が動揺しないよう、参院選前には憲法改正の発議はせず、衆参ダブル選は絶対阻止と決めている。選挙を見越して、公明党からは今まで以上に創価学会を意識した言動が増えていくだろう」

 公明党の選挙への危機感は、創価学会における団結力の危うさと通底する。亥年選挙を前に、両組織とも「試練」を抱える。
(編集部・作田裕史)

※AERA 2019年2月4日号より抜粋
転載元転載元: 北海道は素敵です!!