1月15日(水)夜中1:30
携帯を寝室に置いてリビングにいて、寝る前に携帯チェックをしたら父から何度か着信履歴が…
そもそも父から電話がある事はほとんどない。ラインかメール。緊急事態の時は大抵母がかけてくる。
胸騒ぎを覚えながら電話をかけ直すと、母が亡くなったと言う。
え…?はい?
いやいや…日曜日教会で会って元気だったし。サンドイッチいつも通り美味しそうに食べてたし。その後もみんなで楽しそうにお茶してたし、わたしの子宮筋腫発覚を誰よりも心配していて"大丈夫だった"と伝えると安堵していたし…
とにかく頭の中が混乱して整理ができない。
父と弟は病院と警察で手続きがあるからと電話を切った。
夫は出張で土曜日まで帰って来ない。娘は友達の家にお泊り。息子はさすがに爆睡中。
誰かに話を聞いてもらいたくて、祈って欲しくて、思い当たるクリスチャンの友人達に悪いと思いつつラインとメッセージ💦
たまたま起きていた何人かとやりとりして、励ましてもらって、祈ってもらって…
でも、全然祈れないし、眠れない。
ほぼ睡眠ゼロで、とりあえずジョーにお弁当持たせて学校へ送り出して、実家のある茨城へ。雨が降る中、1人号泣しながら運転。未だ嘗てない程に目が腫れ上がり超絶おブス
実家に到着し父の顔を見るや否や泣く。
亡くなった日の状況を聞き、頭の中で整理。そこへ父の弟が登場。三人で遺体が安置されている斎場へ向かう。
冷蔵庫のような胸から上が見えるボックスの中に母は収まっていた。その顔は安らかで穏やかで眠っているようで、今にも目を開けてしゃべりだしそうな顔だった。
また涙が溢れる。
叔父と別れた後、娘を最寄駅でピックアップし再び斎場へ。今度は弟1号家族と弟2号夫婦も合流。弟2号はわたしの顔を見るや否や泣くからわたしもつられて泣くわけで…😭
みんなで母と対面。
姪っ子が静かに涙しているのを見て抱きしめると嗚咽して泣き始めた。
ひとしきり一緒に泣いて、ふと娘を見ると影に隠れて泣いていた。背中をさすりながら一緒に泣く。
共に泣ける人がいるって悲みの中にも喜びがあるんだと知った…
弟たちと別れて実家へ。
鹿児島へ出張中の夫が、電話口でのわたしの取り乱した状況を心配して1日だけ来てくれた。夫の顔を見て再び泣く。学校に行っていた息子も合流し、夫、息子、義母、娘と共に母の元へ。
普段絶対に泣かない息子も車の中で人知れず涙していた。なんだろう…?感情を共有できると安心する。
義母にも本当によくしてもらって、心強くて、今回ほどありがたく思った事はないかもしれない。
母とは良いことも悪いことも、あまりにいろいろな事があり…女親子って難しいでしょ💦
かなり強烈な事件もあったから随分長い期間許せなくて、優しい言葉をかけたり頼まれた事を快くやってあげる事が困難だったりで…初日はとにかく後悔が押し寄せて涙が止まらなかった。
悔やまれて悔やまれて心が壊れそうだった。
遺影をどれにしようかと父とアルバムを見ていたら、わたしたちが子供の頃の写真や、子供が生まれてから毎年のように行っていた家族旅行の写真、海外旅行の写真、教会での写真がたくさん出てきて、『何もしてあげられなくないじゃん
』いや…むしろ嫁に行った後も相当一緒に行動してる。
ここ二年は母も穏やかになり体調も安定していたから、わたしの中でも許す行程を終える事ができていた。
実現しなかったけど、今年母が70歳、父が77歳だったからお祝い旅行に行こうって素直に話せた事もそんな許しの行程を得ていたからこそ。
わたしは充分親孝行した✨
って思ったら心がすっと楽になって、そこから祈れるようになって、涙もおさまった。
そこからは、父と共に告別式の段取りをしたり、母の交友関係を携帯から調べて電話しまくったり、業務的な事を淡々とこなす事ができた。
前日、牧師である義兄と話してる中で、誰よりも応援して励ましてくれていたゴスペルを告別式で歌う事を決意した。母教会のクワイア仲間が数人は来てくれる事が分かったから各パート1〜2人ずつでも…って。でも蓋を開ければ、蒲田のクワイアからも小岩のクワイアからももちろん利根のクワイアからも来てくれて、更にはVesselというシンガーズ時代のメンバーともちゃんやゴスペルシンガーの小林貴子ちゃんまでが駆けつけてくれて、特別賛美に花を添えてくれた。
本当に本当に嬉しかったし、励まされたし、慰められた。
仲間たちから贈られてきた生花や弔電もとってもありがたかった。母も愛されたけど、わたしもたくさんの人から愛されて支えてもらってるな…
親戚が到着すれば共通の思い出に涙し、教会の人たちと最後の母の様子を聞いては涙し、東京からわざわざ駆けつけてくれた友人達を見てまた涙し…
特別賛美も最初のソロは泣かずに歌えたけれど、みんなが入るセクションからは泣けて泣けて仕方なかった。
でも、多くの人がキリスト教式の葬儀が初めての人ばかり。母は最期、死を持って証しし、神様に栄光をお返しする事ができました。
娘と姪がずっと棺から離れず、顔を撫でては泣いていた姿にまた涙。息子も背を向けてずっと泣いておりました。
母の願いは、父より先に逝くこと、苦しまずに逝くこと。若い頃から病気三昧で痛い事ばかりの人生だったから、最後の最後は神様の憐れみによって眠るように天に召されました。
家族も最初はびっくりして悲しみのどん底におりましたが、冷静に考えると最善の時に神様が召してくださったんだと感謝の思いでいっぱいです。
今日もわざわざ静岡から茨城まで友人が2人きてくださいましたが、昔から母は助けてくれる人が周りにたくさんいたとのこと。
手がかかる人ではあったけど、なぜか憎めず、やってあげたくなる人だったねと😅
食いしん坊キャラは全ての人の共通イメージで、遺影でもソフトクリームを持っているという 笑
残された父を支えつつ、わたし自身も後悔のない人生を送りたい!と思わされた経験となりました。
生前、母と親しくして下さった皆様、また今回の事で励ましのお言葉をくださったり、お花、弔電を送ってくださったり、駆けつけてくださった皆様に改めて御礼申し上げます。
わたしは大丈夫です。
昨日の礼拝ではあまりに思い出がたくさんある空間でボロ泣きでしたが、午後のクワイアリハーサルはちゃんとできたし、明日もプレプレのリハーサル、明後日はキッズ、木曜日は日本橋、金曜日はGTC夜部。と、全部行くつもりです 会ってハグしてください