『あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。第1コリント人への手紙10:13 (聖書)』
金曜日の夕方、とってもがっかりするような理不尽な事がありました。
怒りがこみ上げて整理するまでにとても時間がかかったけど、これもまた神様からの訓練だと今は思えるようになっていることに感謝です。
"怒りを覚える"事は必要だと思ってます。
それはこの世で真剣に取り組んでいるからこそだから。
でも聖書の中ではその怒りを長引かせる事を薦めていません。
「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。エペソ人への手紙4:26(聖書)』
信仰によって怒りを継続させない事を覚えるようになってから、とっても心が楽になりました。
結局他人に向けられた"怒り"を持続させる事は、自分自身を苦しめているんだという事に気がついたので。
先週は毎日ホント忙しくて、土曜日は子供達の学校公開日で1日広い学校の中を行ったり来たり。
子供達の合唱に癒され(なんで子供達の歌声ってこんなにピュアで泣けるんだろう?)体育での詩音のがんばりに感動し元気をもらいました。
日曜礼拝は金曜の件もあり、礼拝に対する心構えを再確認できて、より一層神様に心を向けて賛美し礼拝できて心が平安で満たされました。
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。マタイ6章31~33節(聖書)』
神様をいつも中心にする生活の中で全ての事が満たされる事を再確認した昨今です。