利根キリスト教会では、礼拝の後いろいろあります。
第1、第3はゴスペル(ゴスペル出ない人はお喋り会)
第2はサンドウィッチランチ会
第4はセル(二手に分かれて聖書の学びとランチ会)
第5は何もありません。
今日はGW前の第5日曜日。
電気系の修理が得意な男性総監督の元、教会の会堂をLED化する事に。
なんと!会堂の中に大きな足場を組みました。
写真だと分かりづらいですが、かなり大きいです!!生まれて初めての足場組みのお手伝い
本当は数日かけてやる予定が、やる毎にチームワークがよくなり、1日で交換完了!
業者を入れず自分たちだけでこんな事ができるなんて…
驚くようなギフトを持った人がたくさんいる事に感動
おかげさまで、教会はめちゃくちゃ明るくなりました
教会はキリストの体だと聖書に書いてあるんです。
面白いので、是非読んでみてください。
みんな違くて、みんないい
『12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
第1コリント人への手紙12:12〜27』
第1、第3はゴスペル(ゴスペル出ない人はお喋り会)
第2はサンドウィッチランチ会
第4はセル(二手に分かれて聖書の学びとランチ会)
第5は何もありません。
今日はGW前の第5日曜日。
電気系の修理が得意な男性総監督の元、教会の会堂をLED化する事に。
なんと!会堂の中に大きな足場を組みました。
写真だと分かりづらいですが、かなり大きいです!!生まれて初めての足場組みのお手伝い
本当は数日かけてやる予定が、やる毎にチームワークがよくなり、1日で交換完了!
業者を入れず自分たちだけでこんな事ができるなんて…
驚くようなギフトを持った人がたくさんいる事に感動
おかげさまで、教会はめちゃくちゃ明るくなりました
教会はキリストの体だと聖書に書いてあるんです。
面白いので、是非読んでみてください。
みんな違くて、みんないい
『12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
第1コリント人への手紙12:12〜27』