武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

いじめで死ぬことを考えているあなたへの提案

2012年07月12日 08時22分32秒 | Weblog

死ぬことを考えているあなたへ

 

どんなにつらくても、息がつけないくらい苦しくても、死んじゃったら、おしまいなんだ。

ねえ。

自分の今の気持ちを、100%書き残すことが、できるかい?

もしも100%残すことができるのならば、ちょっとは考えてもいいかもしれない。

 

でも実際、100%書き残すことなんて、無理なんだ。

 

録音や録画を使って、今の気持ちを話しておける?

それだって、100%のことを表現するのは絶対に無理と断言できる。

 

やってごらん。

できないから。

これが私の提案。

 

そんなことがなぜ必要かと、思っている?

なぜ自分の気持ちを残さなきゃいけないのかと、思っている?

 

もしもあなたが死んだら、まずはその理由を、まわりの大人は考える。死の原因を追究するんだ。

追求するうちに、あなたの頭の中の事実は、どんどんゆがめられてしまうよ。

本当はこうなのに、残された人たちは、ああ、ああだったんだ、と、あなたの頭の中の事実とは違うことを話し合い始めるんだ。

 

とんでもない迷惑だと思わないか?

とても困ったことにならないか?

 

死んでしまったら、訂正ができないんだよ。

 

私も中学生の時、何度も遺書を書いた。

何度も何度も、遺書を書いた。

いじめにあっていたから。

でも、事実を書こうとすると、親の顔が浮かんだ。

だから、自然に事実をゆがめてしまう。自分の手で。こんなことを書いたら、親はどんなふうに思うだろうかって思うと、事実は書けなくなる。

死にたい死にたいと苦しみながら、大人になった。

確かに大人になっても、苦しいことばかりだったよ。

 

恋人ができた。結婚もした。子どもも育てることができた。素敵な出会いもたくさんあった。

でも、いつもどこか投げやりだったんだ。自分は、死ぬこともできない、って。

私を愛してくれた人たちを裏切るような生き方をしてきた。

 

そんな生き方をしていたけれども、50年が過ぎて、やっと、生きていてよかった、と心から思える時が来た。

実に50年以上かかった。

その時が来るって、予想もしていなかった。生きていてよかった。生きていてよかったと思うと、自然に、今まで出会った人たちに感謝の心が芽生える。不思議な現象だった。

 

ねえ。生きていてごらんよ。

いつかきっと、生きていてよかったと思うことができる。信じていていいよ。

生きていてよかったと初めて考えた瞬間を、私は忘れない。

すうっと霧が晴れて、さわやかな風が吹いたんだ。

その経験を、一度でも味わうために、生きていてごらん。

 

いじめている奴と、戦うこと。見て見ぬふりをしている奴らと、戦うこと。

暴力じゃなく、知恵を使って。

暴力からは、逃げることだ。逃げることも、闘いだ。ちっとも卑怯者じゃないんだ。

でも、

死に向かって逃げることだけは、闘いじゃないって、わかるよね?

死んじゃったら、戦えないもの。

 

まずは踏ん張って、とりあえず何ができるか考えよう。

そしていじめられた時の事実を100%表現できるよう、試してごらん。

私はまだまだ、50%の表現もできないでいる。がっかりだ。

 

あした、晴れるといいね。

コメント (2)
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