猫 乃 眼

猫に癒され、旅で癒され、マイペース。~おぐにゃん~

タクシー・トゥ・ザ・ダークサイド

2009-09-12 07:49:23 | 映画・演劇・音楽
2008年度第80回アカデミー長編ドキュメンタリー賞
「タクシー・トゥ・ザ・ダークサイド」

アムネスティ・インターナショナルの上映会に誘われたので、観に行った。

こんな映画があることも知らなかった。

アフガニスタンタクシードライバーが、突然「テロ容疑者」として拘束され、施設に収容された。
そして数日後尋問中に死亡。

この忘れ去られそうなひとつの事件をめぐり、収容所内では、「情報」を引き出すために拷問が繰り返し行われ、エスカレートしていったことが明らかにされていく。

実際に拷問に関与して後日裁かれることになる実行者たち。
その生々しい証言によって構成されるドキュメンタリーだった。

「一部の行き過ぎた」実行者たちだけが裁かれ、指揮命令系統の上層部の責任は問われない。
「報奨金」目的の犠牲者として、多くの一般人が、突然テロリストにされてしまう。
法の解釈を変えてまで、拷問を正当化する指導者。

戦争は人間から理性やモラルを奪う。
そういうシステムのもとで「正当」な戦争として継続されていく.........

ひとりのタクシードライバーの死は「殺人」として暴かれたが、自主上映でしか観る機会がない。
劇場公開は今後もおそらく無理なのかもしれない。

映画「ハゲタカ」

2009-07-06 19:09:20 | 映画・演劇・音楽
最近観た映画「ハゲタカ」は、TV版とは比べようもなくつまらなかった。(T_T)

TV版は、少なくとも泥臭い人間ドラマがあった。
最後はハゲタカ鷲津が宿敵芝野と組んで日本企業を救済するという美談の結末が、いかにも日本人好みでしらけたが、ある意味ホッとした。(と感じるのが、やはり日本人的!)

そこで終わっていればなんてことはなかったのだろう。
余計な続編を無理矢理作ったような映画だと思った。

TVに出てきた人物が、次々に登場するから、懐かしく安心ではあったが・・・・・
鷲津は一体なにをしたかったのか。
芝野は一体なにをしたのか。
西野がわざわざ登場しなければならなかったのか。

なんか、さっぱりわからない。(頭が悪い??××××××)

筋立ても、中国政府系ファンドが出てきたり、ドバイの王子が出てきたり、壮大といえばそうかもしれないが、すっきり胸に落ちない。

派遣労働者にもふれていたが、中途半端な描き方で何が言いたいのか伝わってこない。
まあ、企業買収がメインテーマの映画だから、そんなもんだろうが。
映像もTV的にアップシーンが多すぎるような気がした。

と、まあそんなこんなで感動の起伏がほとんどない平板な映画だった。

TVでおもしろかったドラマが映画化されると期待はずれというパターンは、過去にもある。
近いとこでは「相棒」がそうだった。大がかりな東京シティマラソンの舞台も、かみあってなかった。

TV版の映画化には期待しすぎてはいけない。

SISTERS

2008-08-04 21:27:02 | 映画・演劇・音楽
長塚圭史さんの演劇を初めて観ました。「SISTERS」。

天井から壁を伝い床を切り裂く一本のラインで区切られるエリア。そこで演じられるのはアブノーマルな世界。
一気に恐怖に支配される。
新郎と新婦(馨・松たか子)の二人は、ツインに並べてあるベッドを「わざわざ」くっつけることによって、踏み入ってはいけない禁断のZONEに入ってしまった。
もう一組の男女=父と娘(美鳥)はもともと禁断のZONEのなかで暮らしているから、ベッドは「やはり」密着している。
これが何を象徴するかはストーリーが進むにつれ、次第に明らかになっていく。
父が娘に強要する近親相姦。心身ともにずたずたに深い傷を負ってしまう娘。それを愛だと思いこまされる「美鳥」の悲しさが、不気味な恐怖となって染み込んでいく。
ZONEの内側で演じられる世界はアブノーマルである。そのZONEでは「男」が秘める異様なアブノーマルな欲情が成就し支配する。
本来アブノーマルとノーマルには超えてはならない一線が存在するはずで、それが舞台を切り裂く一本のラインなのだが、それは最初は強力に存在を主張していたはずなのだが、そのうち、禁断の魔性とでも言うべきなのか、容易に?超えることができそうに思えてくる。
そしてクライマックスが近づく。
ZONEを水が覆い始める。ZONEの外に不気味に着々と。
父と娘(美鳥)の二人は全身を水に浸す。水量が増えていく。禁断の罪を水が溶かし、そして毒(彼岸花)を運び広げていく。死によってしか二人は救済されないのか?
「馨」は叫ぶ。「(父は)どうして私でなく妹を選んだの?」
「美鳥」と父の二人も、そしておそらく「馨」の妹も、全身を水に沈め、死によってしか救済されないほどZONEに深く踏み入り、深傷を負ったのだろうか?
「馨」は全身を水に浸すことはしていない。それはZONEの奥底まで入りきれなかったということか?妹はZONEに残り、死によってしか救われなかった。
「馨」はZONEから疎外され生きのびた。しかし「馨」にとってZONEの外で生き延びることは、苦悩を背負い続けることなのだ。本来は祝福されるべき結婚でさえも。
境界を超えて水はさらに増える。ノーマルな日常生活が禁断の罪と毒で侵されていく。このエンドレスの恐怖。

SISTERSで、長塚圭史さんは劇場を恐怖で一気に支配し、私を釘付けにしました。私は最後までその世界から抜けることができなかった。
まるでミルハウザーの世界のようです。癖になりそうな危険性。故に機会があればまた長塚さんの作品に足を運びたくなると思います。
わざわざ重いものを背負いに。

至福の音色

2006-11-09 07:56:48 | 映画・演劇・音楽
札幌コンサートホールでブダペストフィルの演奏を聴くことができた。
(写真は、翌朝撮ったもの)

$チビ&ゴンのきままな生活 ■□■□■


旭山動物園の後に、続けてコンサートが聴けるとは、なんと強運なんだろう!
さすがに夜はぐっと冷え込んでくる。
中島公園の紅葉は終わり、銀杏の葉が風が吹くたびに舞い上がり、路面に滑り込むよう。公園の歩道は銀杏の葉に覆い尽くされて、冬が出番を待ちかまえている様子が、空気に伝わってくる。

札幌コンサートホールのある中島公園は、数年前に会合で訪れた際に、その紅葉の美しさにほれぼれして以来、札幌に来る機会があれば再度訪れたいと念願していたところだった。
落葉の公園もまた、寂しさが漂って、いいもんだ。

$チビ&ゴンのきままな生活 ■□■□■

(写真は、一部紅葉が残っている中島公園パークホテル前を、翌朝撮影)

コンサートは、夜7時に開演。
指揮者が登場し、タクトを振った瞬間!
そこに醸し出されたやわらかい音を聴いて、なぜ多くの人がわざわざコンサートホールに足を運ぶのかが、今にしてわかった。
ハーモニーとはまさにこの空間。

「この音を聞け」と言わんばかりの安物のスピーカー(だけではなくオーディオ装置全体の問題!)から出てくる金切り声風の癇に障るCD音に慣れきった耳には、その音は、おとぎの国にきたような幸福感に誘うハーモニーだ。

楽器から奏でられた音は、その場で融合し、瞬時滞留しているようで、そしてそのまま、すぅーっと静かに天井へ上昇し、私の耳に届いて消える。
それまでの間に、次から次に音が奏でられ、紡ぎ合わされてひとつの世界が創造されていく。
ただ至福。

最後に演奏されたドボルザーク交響曲第9番新世界より」は、とくに素晴らしかった。
よく考えると、「新世界より」を全曲通しで聴くのは、初めてだった。

第1楽章が終わると、いよいよ聞かせどころの第2楽章。
指揮者は余分に間をおいて、気を入れ直して第2楽章導入部に入ったようにみえた。
ここが難しいのでしょう。でも管楽器もモタモタした感じがなく、自然だった。

思わず涙ぐんでしまうほどの、静かな美しいメロディー。
固唾をのんで耳を澄ます聴衆。
その固唾の音が聞こえる(こんな表現があるのかどうか怪しいですが・・・)かのような静寂のハーモニー。
第2楽章が終わったときに、思わず拍手をしてしまいたくなるほど、完結した演奏だと感じた。

$チビ&ゴンのきままな生活 ■□■□■

第4楽章フィナーレが終わり、拍手はいつまでも鳴り止まない。
お決まりのパターンで、アンコールを2曲演奏していただいたのが、なにか興ざめしてしまったのは、私だけなのだろうか。
アンコールが悪いとは思わない。指揮者、演奏者に対する称賛の意思表示なのだから。
でも、どうもお決まりのパターンのように行きすぎのアンコールは、せっかくの演奏(本番)の感動を薄めてしまうような気がする。
実際、今回もアンコール2曲目が終わったときには、「新世界より」で覚えた感動が、薄れていくのがわかった。
個人的には拍手だけでアンコール演奏は「なし」にしてほしい。
感動をそのまま持ち帰りたい。

ヤーノシュ・コヴァーチュさんの指揮は、厳格でキビキビしていて、とても気持ちのいい指揮で、オーケストラとの一体感は、わかりやすい指揮法によるものではないか、と思う。

今回の演奏を聴いて「新世界より」のCDを買ってみたくなった。が・・・
あのオーディオじゃあねえ・・・。
グシュン・・・

サティを聴きながら

2006-09-29 20:14:39 | 映画・演劇・音楽
秋の気配が深まってきたしね。
夜もしっとり落ち着いた静けさを感じます。
こんなときはサティを静かな音量で聴くことにした。

iTunesに入れてても、普段は滅多に聴かないサティなのだが、個人的に秋モードにはピッタリはまる。
一般論だが、クラシックの曲は夏とか冬のようにはっきりした季節感よりも、春とか秋のようなマイルドな季節感が似合うように思う。

11月にたまたま札幌に出張があり、せっかくなので中の島公園の札幌コンサートホールでブダペストフィルハーモニー公演を予約した。
中の島公園は以前一度行ったことがあるが、その時の紅葉の素晴らしかったこと!
今回も大いに期待している。(ひょっとして北海道はもう冬かあ?)
ついでに話題の旭山動物園にも足を伸ばそうかと思う。