お人形と同じ部屋で寝起きしている私

お人形好きでけっこう沢山持ってます。専用ブログもあります。こっちでは家族と猫2匹と他の趣味や暮らしぶりなど語ります。

綺麗なお姉サンタクロース

2010-12-10 22:15:35 | お人形一般
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違う人形用に落札したサンタの帽子がぴったりだったので被せてみた。持ってるのはタリーズコーヒーで売ってたトナカイベアです。350円安いので思わず買ってしまった。お人形は美しくあるべき!とかデフォルトのドレス以外はNGなんて言ってる人もいますし、作家さまのコンセプトに基づいたスタイリングがされてる創作人形なら当然かもしれないけど、お人形はビスクで落っことさない限りキレイなままですが、衣装はどうしたって劣化するのよね。アンティークの素材なんか使った凝ったドレスなら尚更・・・・。

こういったきれいなオネエサン系のお人形にサンタ帽子ってかわいいなと思うの。

ところで、金魚が死んでしまって寂しいな~というところから、ある女性作家のエッセイを思い出した。

彼女は独身の時にスコティシュフォールドの猫を譲ってもらい、Mと名付けて溺愛しててよくエッセイのネタにしてた。それが、ご結婚なさったら、ご主人が猫嫌いで、そしたらなんと一緒になって邪険にし始めたらしい。猫はもちろん人間より早く老いる。かわいい盛りを過ぎた猫はもはや彼女の愛情を注ぐ対象にならなくなってしまったんだろう。何のために猫なんか飼ったんだろうと思う。スコティシュフォールドという当時は珍しい高級なかわいい猫を飼ってる女流作家っていう見栄の為?だとしたら猫がかわいそう過ぎる。彼女にとって、ケリーバッグやシャネルスーツと同じ扱いだったわけなのね。その猫が多分老衰で弱ってきたときに、家政婦さんが「あまりにもかわいそうだ。こんな扱いを受けて死んでゆくのはこの子が不憫だ」と衰弱した猫を引き取り、猫の最期はなんとその家政婦さんが看取ったというではないか。いい家政婦さんで良かった。そして私はその作家が大嫌いになった。

私は彼女のデビュー作のエッセイから好きでよく読んでいたけれど、元愛猫の死に至るまでの己の薄情さのエピソードまでエッセイのネタにしてしまう酷薄さにとても呆れてしまい、幻滅した。出来ることならこんなことは書いて欲しくなかった。こんなことも書かなくてはいけないほどネタが切れてしまってたのならそれは才能の枯渇でしょう。書店で彼女の本の背表紙を見ても中を見る気も起きなくなった。エッセイも自虐的なふりをしつつ自慢げなのが鼻について、ちっとも面白くない。美味しい物を高級な店で食べて、高い服を買い物する話ばかりでうんざりだったし、そんな中で猫の死はいいネタに過ぎなかったんだな。

ペットは心を癒してくれる。でもその飼い主は彼らの健康に責任をもたなくてはいけない。それができなければペットを飼う資格なんて無い。そんな無責任な飼い主に飼われたペットこそいい迷惑で不幸だ。
コメント (2)
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