■JR羽越本線100年を機に新発田地域の振興を考えます。
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◆新発田駅以北・私の提案(その2)
新発田地域にあり"日本一低い山脈"と呼ばれる「櫛形山脈」は、深い緑を湛えていい感じで連なる里山並みの低い山々だ。それは、玄人はだしのアルピニストだけに臨ませるような敷居の高さではなく、私のようなド素人にも優しく手招きしてくれるような佇まいだ。
余談になるが、私の山登りといえば、柏崎高校時代の3年間において毎年、丁度梅雨の季節に篠突く雨に打たれたりしてうんざりしながらも学校行事として頂上へと辿り着いた霊峰「米山」登山しかない。霧の中を泥川と化した険しい山道に足を取られて滑り落ちて行く者の悲鳴がコダマするのをあちこちで聞きながら、下手すれば滑落して死ぬのではと思うほどの中で頂上までなんとか辿り着いたものだ。そうした過酷な体験が登山というものに親しむところか逆に遠ざけるトラウマになっていたのだ。
それ以来の私は、新潟県の人口の3割以上が集中して今や日本海側唯一の政令市である新潟市の都市部にずっと住み続け、自然に触れ合うといっても整備され管理された都市公園や、都会人にちょっとした田舎暮らし感を楽しませることが意図された中山間地にある観光エリアにごくたまに小旅行で足を運ぶくらいで、山には馴染んでいない。
また、新発田地域にもともと住んできた人達には「櫛形山脈」のような自然は、珍しくもなんともなく、若い人にはむしろ、現代型の娯楽が何も見当たらない田舎ということで、背を向けてしまうものなのであろう。
しかし、都会暮らしが長く、何もかもが人工的で、計画的に設けられ、造られ、管理されたマテリアルやアイテム、ソフトや情報に囲まれた暮らしをしている人々には、その反動のように心理の奥底から生物としての何かが滲み出ていて、誰かの思い通りではない、自分の思い通りにすらならない、御し難くも未知の可能性を秘めた自然と関わりたいという欲求があるのではないかと感じている。
これは、数年前に、新潟県からの転出が深刻化する若者たちを何とか新潟に呼び戻したい、誘い込みたいという、いわゆるUIターン促進の業務に携わっていた時に、都会暮らしの若者達との懇談会において感覚的に会得したものだ。
しかし、櫛形山脈が「日本一低い山脈で親しみやすいですよ」という物理的自然環境のみをかざしても人はなびくものではないし、それに類するものは日本中あちこちにゴロゴロしているだろう。「ここだけ」の「この地ならでは」の誘因や仕掛けが必要なのだ。
里山と考えて思い浮かぶのが、緑を次世代に残したいという高い理念のもとで進める植樹活動に企業や団体、個人が多数協賛している「新潟県緑の百年物語」という取組だ。新潟県内の各地で関係者による協議会が設置されていて、令和5年の10月に、私が業務で所管するこの新発田地域においても協議会が再生する形で設立されたばかり。
折しも、脱炭素やSDGsなどの考え方が老若男女問わず国民的に広がっており、この取組においては正に追い風の時勢なのだが、祝辞のために設立総会に参加して関係者を見渡すと高齢者ばかり。引き継ぐべき地元後継者の、もしくは、外部から関与してくれる人の、植樹作業なども考えればできれば若い人からの、関与を増やす必要があると切実に思ったものだ。
その方策として、私なりに様々考えた中の一つのアイデアが、唐突に思われるかもしれないが、植樹に際して「未来の自分」に向けた「タイムカプセル」を埋めるという催事を行ってはどうかというものだ。
余談になるが、私の山登りといえば、柏崎高校時代の3年間において毎年、丁度梅雨の季節に篠突く雨に打たれたりしてうんざりしながらも学校行事として頂上へと辿り着いた霊峰「米山」登山しかない。霧の中を泥川と化した険しい山道に足を取られて滑り落ちて行く者の悲鳴がコダマするのをあちこちで聞きながら、下手すれば滑落して死ぬのではと思うほどの中で頂上までなんとか辿り着いたものだ。そうした過酷な体験が登山というものに親しむところか逆に遠ざけるトラウマになっていたのだ。
それ以来の私は、新潟県の人口の3割以上が集中して今や日本海側唯一の政令市である新潟市の都市部にずっと住み続け、自然に触れ合うといっても整備され管理された都市公園や、都会人にちょっとした田舎暮らし感を楽しませることが意図された中山間地にある観光エリアにごくたまに小旅行で足を運ぶくらいで、山には馴染んでいない。
また、新発田地域にもともと住んできた人達には「櫛形山脈」のような自然は、珍しくもなんともなく、若い人にはむしろ、現代型の娯楽が何も見当たらない田舎ということで、背を向けてしまうものなのであろう。
しかし、都会暮らしが長く、何もかもが人工的で、計画的に設けられ、造られ、管理されたマテリアルやアイテム、ソフトや情報に囲まれた暮らしをしている人々には、その反動のように心理の奥底から生物としての何かが滲み出ていて、誰かの思い通りではない、自分の思い通りにすらならない、御し難くも未知の可能性を秘めた自然と関わりたいという欲求があるのではないかと感じている。
これは、数年前に、新潟県からの転出が深刻化する若者たちを何とか新潟に呼び戻したい、誘い込みたいという、いわゆるUIターン促進の業務に携わっていた時に、都会暮らしの若者達との懇談会において感覚的に会得したものだ。
しかし、櫛形山脈が「日本一低い山脈で親しみやすいですよ」という物理的自然環境のみをかざしても人はなびくものではないし、それに類するものは日本中あちこちにゴロゴロしているだろう。「ここだけ」の「この地ならでは」の誘因や仕掛けが必要なのだ。
里山と考えて思い浮かぶのが、緑を次世代に残したいという高い理念のもとで進める植樹活動に企業や団体、個人が多数協賛している「新潟県緑の百年物語」という取組だ。新潟県内の各地で関係者による協議会が設置されていて、令和5年の10月に、私が業務で所管するこの新発田地域においても協議会が再生する形で設立されたばかり。
折しも、脱炭素やSDGsなどの考え方が老若男女問わず国民的に広がっており、この取組においては正に追い風の時勢なのだが、祝辞のために設立総会に参加して関係者を見渡すと高齢者ばかり。引き継ぐべき地元後継者の、もしくは、外部から関与してくれる人の、植樹作業なども考えればできれば若い人からの、関与を増やす必要があると切実に思ったものだ。
その方策として、私なりに様々考えた中の一つのアイデアが、唐突に思われるかもしれないが、植樹に際して「未来の自分」に向けた「タイムカプセル」を埋めるという催事を行ってはどうかというものだ。
(「活かすぜ羽越本線100年17「新発田駅以北・私の提案(その2)」」終わります。「活かすぜ羽越本線100年18「新発田駅以北・私の提案(その3)」」に続きます。)
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