●新採用で独身寮の衝撃(その1)
昭和62(1987)年度の新潟県庁新採用者に対する勤務場所の伝達は、4月1日の入庁と同時に始まった2週間にわたる合宿形式の新採用職員研修の中ほどで行われることになっていた。新潟県職員としての職場は新潟市の新潟県庁本庁舎のみでなく、県の北部の村上市から南西部の糸魚川市まで、さらに佐渡島もある。職務内容もさることながら、勤務地によっては住居確保の難易もあり、研修開始からずっと皆が自分の先行きに期待と不安を抱えていたのだ。
研修も中日を過ぎた頃であっただろうか、研修所の職員から新採用者の一人一人に配属先が伝達され、引き続いて皆がバスに分乗して各々の職場を所管する本庁の部署へ挨拶に行くということになった。
私には「企業局総務課予算係」が配属先であるとの告知。県庁の仕事といえば道路や河川の整備をする土木部とか、農業や商工業等の政策、もしくは福祉や環境に関する政策を担う部署などを想定していた私は、企業局とはそもそも何やっている部署なのかさえ分からずたじろいでしまった。ただ、少なくとも勤務地は新潟県庁本庁舎の中にあるらしい。先ずは挨拶に伺う中でどんな職場なのか何をやっているのかを見聞きするしかない。
宿泊合宿地の自治研修所からバスで30分ほどして新潟県庁本庁舎に到着。新採用者達は指示に従い、18階建ての建物の中の自分の職場もしくは自分が配属される出先事務所を所管する本庁部署へと各々で向かい始めた。企業局総務課への配属は私ともう一人の二人。聞けば彼は同い年の新潟大学経済学部の卒業生であった。同じ学部でも接点が無いと全く知らないものだねえなどと話しながら、14階の目的地へエレベータで昇った。
企業局総務課に着くと職員係長が我々二人への案内役となってくれた。いろいろと雑談などしてるうちに、係長は私に「君は業務向きのようだね。予算係ではなく業務第二係に就いてもらうわ」とのたまわれた。この係長による思いつきのような仕事の割り振りの凶変により、入れ替わりで予算係へと就いた同期の彼とは大きく異なり、苦労続き激務続きの仕事人生へと引き込まれていくことになる。
奈落の底へ一直線の仕事ぶりについて詳しくは「県庁新採用債権回収編」(リンク)から長々と書き続けておりますのでご笑覧ください。
さて、ここでは、当時に当座の心配事だった住まいについて書き続けることとする。
新採用の私たち二人は、各々の配置先係からの業務ガイダンスを受け終わると、職員係長の前に改めて呼び寄せられた。住む場所の話をしようという。
もう一人の新採用者の彼は実家が車で県庁まで30分ほどのところにあるので自家用車で通勤すると即決。職員係長は私に向き直ると「独身寮をなんとか確保できたから」と告げてきた。私の実家が柏崎市と先日知り得た職員係は、高速バス又は車で片道1時間半ほどで通えないことはないが、忙しくて残業もあり得るからと、気をまわして独身寮を押さえておいてくれたのだという。
「4月の上旬になって急に勤務場所の伝達を受けて直ぐにアパートなど探そうにも本務仕事も始まるし大変。そもそも異動時期に伴うアパートの動きも止んでしまっている。県職員用の独身寮ならば安価だし、場所も県庁に近い方を競争の末になんとか取れたので良かったね」。同席した職員係の女性職員も「有難いお話でしょう」と被せてくる。見たことも無い物件に一抹の不安はあったが、先々のこの職場での人間関係を考えると、最初から我がままと思われることを言うのは得策ではなく、どうやら是非もなさそうだ。私は「ありがとうございます」とさも恩を感じているように申し上げたのだ。
(「新潟独り暮らし時代61「新採用で独身寮の衝撃(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代62「新採用で独身寮の衝撃(その2)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
②「空き家で地元振興」の初回はこちら
③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら
研修も中日を過ぎた頃であっただろうか、研修所の職員から新採用者の一人一人に配属先が伝達され、引き続いて皆がバスに分乗して各々の職場を所管する本庁の部署へ挨拶に行くということになった。
私には「企業局総務課予算係」が配属先であるとの告知。県庁の仕事といえば道路や河川の整備をする土木部とか、農業や商工業等の政策、もしくは福祉や環境に関する政策を担う部署などを想定していた私は、企業局とはそもそも何やっている部署なのかさえ分からずたじろいでしまった。ただ、少なくとも勤務地は新潟県庁本庁舎の中にあるらしい。先ずは挨拶に伺う中でどんな職場なのか何をやっているのかを見聞きするしかない。
宿泊合宿地の自治研修所からバスで30分ほどして新潟県庁本庁舎に到着。新採用者達は指示に従い、18階建ての建物の中の自分の職場もしくは自分が配属される出先事務所を所管する本庁部署へと各々で向かい始めた。企業局総務課への配属は私ともう一人の二人。聞けば彼は同い年の新潟大学経済学部の卒業生であった。同じ学部でも接点が無いと全く知らないものだねえなどと話しながら、14階の目的地へエレベータで昇った。
企業局総務課に着くと職員係長が我々二人への案内役となってくれた。いろいろと雑談などしてるうちに、係長は私に「君は業務向きのようだね。予算係ではなく業務第二係に就いてもらうわ」とのたまわれた。この係長による思いつきのような仕事の割り振りの凶変により、入れ替わりで予算係へと就いた同期の彼とは大きく異なり、苦労続き激務続きの仕事人生へと引き込まれていくことになる。
奈落の底へ一直線の仕事ぶりについて詳しくは「県庁新採用債権回収編」(リンク)から長々と書き続けておりますのでご笑覧ください。
さて、ここでは、当時に当座の心配事だった住まいについて書き続けることとする。
新採用の私たち二人は、各々の配置先係からの業務ガイダンスを受け終わると、職員係長の前に改めて呼び寄せられた。住む場所の話をしようという。
もう一人の新採用者の彼は実家が車で県庁まで30分ほどのところにあるので自家用車で通勤すると即決。職員係長は私に向き直ると「独身寮をなんとか確保できたから」と告げてきた。私の実家が柏崎市と先日知り得た職員係は、高速バス又は車で片道1時間半ほどで通えないことはないが、忙しくて残業もあり得るからと、気をまわして独身寮を押さえておいてくれたのだという。
「4月の上旬になって急に勤務場所の伝達を受けて直ぐにアパートなど探そうにも本務仕事も始まるし大変。そもそも異動時期に伴うアパートの動きも止んでしまっている。県職員用の独身寮ならば安価だし、場所も県庁に近い方を競争の末になんとか取れたので良かったね」。同席した職員係の女性職員も「有難いお話でしょう」と被せてくる。見たことも無い物件に一抹の不安はあったが、先々のこの職場での人間関係を考えると、最初から我がままと思われることを言うのは得策ではなく、どうやら是非もなさそうだ。私は「ありがとうございます」とさも恩を感じているように申し上げたのだ。
(「新潟独り暮らし時代61「新採用で独身寮の衝撃(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代62「新採用で独身寮の衝撃(その2)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
②「空き家で地元振興」の初回はこちら
③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら