●学童の立ち寄り先・カナヅチ苦労(その1)
大嫌いだった幼稚園通いから一転して、次なる比角小学校は入学した途端に面白い場所に思えたようで、私は行き来するのが楽しかったように覚えている。幼稚園では生まれた年で組を作られて自分より下の赤ちゃんじみた雰囲気を嫌がっていたようだと後に母から聞かされたが、小学校は年度単位の生まれによるクラスだから、今度は逆に年度末ギリの早生まれの私が一番幼い立場となり、周りからリードしてもらえるのが楽だったのかもしれない。
私のただ一人の兄は生まれ年で6年、学年では5年離れていて、私を疎ましがって一緒に遊ぶことは殆ど無かったのだが、それでも何か一緒にすることがあると、歳の離れた兄らしく身振りで示したり分かり易く教えてくれたりしていたので、導かれていれば何事もスムーズに進むという環境に慣れ切っていたのだろう。
要するに私は調子のよい甘えん坊だったのだ。
児童が集団で行うお遊戯の類や、もしくは読み書きの簡単なものの間は、周りの友達や級友をまねたりして授業時間を凌げば日々が済んでいたのだが、小細工が利かない教科が私の前に立ちはだかった。それは「体育」である。
皆でそろってやる体操や走ったり飛んだりの陸上競技の類は、出来不出来はともかくとして、何とか格好がついたのだが、「水泳」は何ともしがたい異質の分野だった。
小学校1,2年の頃までは、校庭内の足の着く25mプールで水に親しむことを目的とした遊び的なレベルだったと思えるが、私には小学校入学以前に家族と出掛けた近所での海水浴で溺れかけて海水を飲んだ辛い経験があったようで、水への恐怖心は相当なもので、プールの授業ともなると、その時間中はずっと顔の表情も身体もこわばらせて隅に佇んでいたように覚えている。
毎年、プール授業が始まる前になると、自宅でアルマイトの洗面器に水を張って顔を付けてみて慣らそうという漫画のような取り組みをしたものだが、水の中で目を開けることすらも本気で怖くて仕方なかった。プールへの恐れは本当に重症だったのだ。
柏崎市は海沿いの街だからなのか、小学校中学年の頃には級友の中にプールを嫌がるものは私以外にはおらず、そのくらいになるとスイミングスクールなどに通うなどする水泳上級者も表れ始めたりして、私の惨めさは年を追うごとに際立つようになってきた。
(「柏崎こども時代19「カナヅチ苦労(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代20「カナヅチ苦労(その2)」」に続きます。)
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