今年は心の向きがいつもと違うのか、
震災に関連するドラマを2本みました。
「神戸新聞の7日間」と「その街の子ども」
「神戸新聞の7日間」は、
睡魔に負けてしまうまで、子どもたちも一緒にリビングで身を寄せ合って見ました。
途中、子どもたちが私に手を伸ばしてきて、
いつものようなじゃれあいのスキンシップかと思っていたのですが、
怖くてすがってきたようです。
「地震って、怖い・・・」
「こんなふうになったらどうすればいいの?」
私はそれには答えず、じぃっと画面に見入っていました。
あの日の神戸新聞会館の前も通りました。
あの崩れた社屋の中で、記者の方々がまさに動いていらっしゃったのだと、
今更ながらに知りました。
到底中に人が入れる状態には見えませんでしたから。
その日の夕刊が発行されたと知った時には、
本当に神戸新聞、すごいっ!と思いました。
京都新聞の協力があったことは当時の報道でも知っていたのですが、
どのような形でかは知らなかったので、
今回京都まで原稿を送り、その原版を神戸の工場へ届けるという形だったと知り、
当時の街の様子を知る者としては、それがいかに大変だったかがわかります。
街の様子を知るからこそ、無理でしょ?!間に会わないでしょ?!と思ってしまいました。
取材をしなければいけない、だけどカメラが向けられない。
カメラを向けたら怒鳴られた。
新聞記者だというと、「何か情報を教えてくれ」といわれるが、
自分たちも何も情報を持っていない・・・
これも、真実の姿だと思います。
空からの空撮ではない、実際に街を歩いて取材した等身大の街の姿がわかる写真たち。
それは、あの日私が見た街の姿でもありました。
主人公の前の会社の先輩の住んでいた住所が、私の家のすぐ近所で・・・。
改めて、生き残った奇蹟を実感しました。
長田の焼け野原で、しゃがみこむ少年。
「君、何してるん?」
「お母さん探してるねん」
「そっかぁ。お母さん、どこにいったんやろぉなぁ」
「お母さん、これ」
そうして差し出されたボロボロの洗面器の中の骨・・・。
「すんません。神戸新聞です。写真撮らせて下さい。すんません、すんません・・・」
洗面器に頭を下げながら、涙ながらに震える手でシャッターを切る記者。
当時、撮影されながら新聞に載ることがなかった写真です。
体育館にずらりと安置されたご遺体。
そして体育館にも入れず、外に並べられたご遺体の写真。
これもまた、真実の姿。
ここは、どこの戦場なんだ?
あの日の神戸はまさに空襲の後のようでした。
社説の中の
「生きている人の救助が先で、お宅は何番目になるかわからないといわれた。
理解できる。だけど、やりきれない。」
理解はできる。だけど、やりきれない。
こういうことが、山ほどあった。
そして、社説をきっかけに変わっていった見出し。
これ、すごく覚えがあります。
もう復興に向けて動き出してる!みんな頑張っている!明るいニュースもある!
本当に励まされ、前向きになれました。
人の心を救うのは、希望である。このことを実感しました。
そして、NHKの「その街の子ども」
友達がブログで、震災関連の報道を見ると、
確かにどれも真実なんだろうけど、どうもフィルターがかかっているというか、
美談にしてしまっている気がして・・・と書いていました。
これは、私も感じていたことで。
なんていうか、本当はもっとドロドロの口にできないようなことも
たくさんあったと思うんですよね。
みな口を閉ざしているというか、ある意味とても表にはだせないというか。
震災関連の報道は、そういったところに一切蓋をしてしまっていると感じています。
このドラマは、そういうところにも少し踏みこんでいました。
主演のふたりは、実際に神戸で被災した経験のある森山未來さんと、佐藤江梨子さん。脚本は神戸で学生時代を過ごした経験のある渡辺えりさんでした。
居酒屋でふたりが当時のことを語り合うシーンは、
番組の内容は全然違うけど「グータンヌーボー」みたいで、
台本なんてないような、本当にふたりがお互いの経験談を話しているようで自然でした。
震災番組にありがちな美談でまとめるのではなく、
被災はしたけれど、家も家族も無事だった人たちのリアルな経験談という感じ。
学校がなくなって、冬休みの宿題してなかったらラッキーと思った話、
もうこんなんしなくていいんやと漢字ドリルや計算ドリルをゴミ箱に捨てた話。
反対に、宿題の習字を学校に持っていったら、先生に
「ここはもう君たちのくる場所じゃない。学校は避難所になった」といわれた話。
仏様みたいやと思っていた近所のおばちゃんが、意外とセコかった話。
1本2000円で売りに来た焼き芋屋に腹が立って、車に石を投げつけた話。
大根1本1000円で売っていた店に許されへん!と思っていたら、
その後、その店がつぶれてざまぁみろと思った話。
そんなんありえへん!という佐藤江梨子に、
「でもそれって、ありやと思いますけどね。
需要と供給やん。需要があがったから、値段も上がる。
それでも欲しかったら買えばいいし、嫌やったら買わんかったらいい。
自分で選択すればいいだけやん。」
そういう森山未來は、お父さんが屋根屋をしていて、
震災後、相場の10倍の値段をふっかけたことによって、
友達から口をきいてもらえなくなった経験をしていた。
震災後、久しぶりにあった少年野球の試合でさよならホームランを打っても、
チームメイトも監督やコーチすら一言も声をかけてくれず、シーンとしていて。
さよなら勝ちしたのに誰も喜んでくれへん。あれはキツかったと。
居酒屋では、需要と供給。選ぶのは自由、なんていっていた森山未來が、
三宮から御影まで歩く道中で、語る。
震災後は、建材の値段もあがっていて、
人も足りへんから大阪の方から来てもらったりして、
ほんまに原価もあがっててん。
だけど、それでも通常の3倍くらいかな。
何を舞いあがっとってん。10倍もの値段ふっかけて。
人の人間関係めちゃくちゃにしやがって。
神戸におれんくなって、東京へ行ってから、お母さんも出て行ってしもた。
灘区のお父さんが屋根を修理した友達の家の前を通った時に、
ベビーカーや子ども用の遊具がある庭を見て、
「結婚したんかなぁ。いいやん、その同級生、今は幸せにしてくれてんねんから」
という佐藤江梨子に、
「俺は、幸せちゃう(違う)」と答える森山未來。
森山未來は設計の仕事をしている現在、新しい高層マンション建設にあたって、
地震の際の安全性を謳って、広島の地域住民へ嘘の説明会をしにいくところだった。
“100年に1回の災害だったんから、もうそうそうあんなこと起こるわけない“
“高層ビルのガラスは割れないことになっている”
“そんな予算ないし。次にもし震災が起こっても、俺もお前ももう生きてないだろ?”
そんな先輩社員の言葉に何かいいたげな森山未來。
「震災経験者として~とかって、いいたいことあるんちゃうん?」
という佐藤江梨子に、
「だますのも仕事ですからね~」とうそぶく森山未來。
尚もつっこむ佐藤江梨子との「うるさい!」「うるさい!」のやりとりが、
本当に同年来の若者同士の会話のようでした。
一方、佐藤江梨子も、震災で仲の良かった友達を亡くしていた。
「3回目。ゆっこ話、しかけて止めるの。」
友達とその妹とお母さんは亡くなって、
その晩酔っぱらって帰ってきて玄関で寝ていたお父さんだけが助かった話。
お母さんには「おじちゃんはすごいつらい思いしてはるねんから」といわれたけど、
日に日に痩せて人相が変わっていくおじさんが怖くて怖くて仕方なかったこと。
東京へ引越す時に挨拶しに行って、
「ちょっとあがっていって。拝んでいったって。」っていわれたけど、
どうせ家の中もぐちゃぐちゃやろうし、嫌で嫌で逃げるように帰ってしまったこと。
どのエピソードも、きれいごとではない震災の姿です。
普段見慣れた神戸の街並みが随所に登場して、
まるでカメラ1台でおいかけたような、
ドキュメンタリーのような仕上がりになっていました。
・・・と、私が実際に観たのはここまで。
0時までかと思っていたのですが、実際にはもうあと15分ほどあったようです。
この後、ふたりが東遊園地まで再び歩いて辿り着き、
そのシーンには当日撮影された東遊園地での映像が使われることは知っていて、
どのようにつなげるのか、どういう結末を迎えるのか興味はあったのですが、
どうにも体調が悪くてあえなくダウン・・・。
今朝、ニュースをみていると、
昨日のドラマにもでてきたメッセージを書いた木?がでてきました。
すると、花が一言。
「あ、これ、私も学校で書いたよ!」
きれい事だけではなく、リアリティのある内容でした。
再放送に期待します。
震災に関連するドラマを2本みました。
「神戸新聞の7日間」と「その街の子ども」
「神戸新聞の7日間」は、
睡魔に負けてしまうまで、子どもたちも一緒にリビングで身を寄せ合って見ました。
途中、子どもたちが私に手を伸ばしてきて、
いつものようなじゃれあいのスキンシップかと思っていたのですが、
怖くてすがってきたようです。
「地震って、怖い・・・」
「こんなふうになったらどうすればいいの?」
私はそれには答えず、じぃっと画面に見入っていました。
あの日の神戸新聞会館の前も通りました。
あの崩れた社屋の中で、記者の方々がまさに動いていらっしゃったのだと、
今更ながらに知りました。
到底中に人が入れる状態には見えませんでしたから。
その日の夕刊が発行されたと知った時には、
本当に神戸新聞、すごいっ!と思いました。
京都新聞の協力があったことは当時の報道でも知っていたのですが、
どのような形でかは知らなかったので、
今回京都まで原稿を送り、その原版を神戸の工場へ届けるという形だったと知り、
当時の街の様子を知る者としては、それがいかに大変だったかがわかります。
街の様子を知るからこそ、無理でしょ?!間に会わないでしょ?!と思ってしまいました。
取材をしなければいけない、だけどカメラが向けられない。
カメラを向けたら怒鳴られた。
新聞記者だというと、「何か情報を教えてくれ」といわれるが、
自分たちも何も情報を持っていない・・・
これも、真実の姿だと思います。
空からの空撮ではない、実際に街を歩いて取材した等身大の街の姿がわかる写真たち。
それは、あの日私が見た街の姿でもありました。
主人公の前の会社の先輩の住んでいた住所が、私の家のすぐ近所で・・・。
改めて、生き残った奇蹟を実感しました。
長田の焼け野原で、しゃがみこむ少年。
「君、何してるん?」
「お母さん探してるねん」
「そっかぁ。お母さん、どこにいったんやろぉなぁ」
「お母さん、これ」
そうして差し出されたボロボロの洗面器の中の骨・・・。
「すんません。神戸新聞です。写真撮らせて下さい。すんません、すんません・・・」
洗面器に頭を下げながら、涙ながらに震える手でシャッターを切る記者。
当時、撮影されながら新聞に載ることがなかった写真です。
体育館にずらりと安置されたご遺体。
そして体育館にも入れず、外に並べられたご遺体の写真。
これもまた、真実の姿。
ここは、どこの戦場なんだ?
あの日の神戸はまさに空襲の後のようでした。
社説の中の
「生きている人の救助が先で、お宅は何番目になるかわからないといわれた。
理解できる。だけど、やりきれない。」
理解はできる。だけど、やりきれない。
こういうことが、山ほどあった。
そして、社説をきっかけに変わっていった見出し。
これ、すごく覚えがあります。
もう復興に向けて動き出してる!みんな頑張っている!明るいニュースもある!
本当に励まされ、前向きになれました。
人の心を救うのは、希望である。このことを実感しました。
そして、NHKの「その街の子ども」
友達がブログで、震災関連の報道を見ると、
確かにどれも真実なんだろうけど、どうもフィルターがかかっているというか、
美談にしてしまっている気がして・・・と書いていました。
これは、私も感じていたことで。
なんていうか、本当はもっとドロドロの口にできないようなことも
たくさんあったと思うんですよね。
みな口を閉ざしているというか、ある意味とても表にはだせないというか。
震災関連の報道は、そういったところに一切蓋をしてしまっていると感じています。
このドラマは、そういうところにも少し踏みこんでいました。
主演のふたりは、実際に神戸で被災した経験のある森山未來さんと、佐藤江梨子さん。脚本は神戸で学生時代を過ごした経験のある渡辺えりさんでした。
居酒屋でふたりが当時のことを語り合うシーンは、
番組の内容は全然違うけど「グータンヌーボー」みたいで、
台本なんてないような、本当にふたりがお互いの経験談を話しているようで自然でした。
震災番組にありがちな美談でまとめるのではなく、
被災はしたけれど、家も家族も無事だった人たちのリアルな経験談という感じ。
学校がなくなって、冬休みの宿題してなかったらラッキーと思った話、
もうこんなんしなくていいんやと漢字ドリルや計算ドリルをゴミ箱に捨てた話。
反対に、宿題の習字を学校に持っていったら、先生に
「ここはもう君たちのくる場所じゃない。学校は避難所になった」といわれた話。
仏様みたいやと思っていた近所のおばちゃんが、意外とセコかった話。
1本2000円で売りに来た焼き芋屋に腹が立って、車に石を投げつけた話。
大根1本1000円で売っていた店に許されへん!と思っていたら、
その後、その店がつぶれてざまぁみろと思った話。
そんなんありえへん!という佐藤江梨子に、
「でもそれって、ありやと思いますけどね。
需要と供給やん。需要があがったから、値段も上がる。
それでも欲しかったら買えばいいし、嫌やったら買わんかったらいい。
自分で選択すればいいだけやん。」
そういう森山未來は、お父さんが屋根屋をしていて、
震災後、相場の10倍の値段をふっかけたことによって、
友達から口をきいてもらえなくなった経験をしていた。
震災後、久しぶりにあった少年野球の試合でさよならホームランを打っても、
チームメイトも監督やコーチすら一言も声をかけてくれず、シーンとしていて。
さよなら勝ちしたのに誰も喜んでくれへん。あれはキツかったと。
居酒屋では、需要と供給。選ぶのは自由、なんていっていた森山未來が、
三宮から御影まで歩く道中で、語る。
震災後は、建材の値段もあがっていて、
人も足りへんから大阪の方から来てもらったりして、
ほんまに原価もあがっててん。
だけど、それでも通常の3倍くらいかな。
何を舞いあがっとってん。10倍もの値段ふっかけて。
人の人間関係めちゃくちゃにしやがって。
神戸におれんくなって、東京へ行ってから、お母さんも出て行ってしもた。
灘区のお父さんが屋根を修理した友達の家の前を通った時に、
ベビーカーや子ども用の遊具がある庭を見て、
「結婚したんかなぁ。いいやん、その同級生、今は幸せにしてくれてんねんから」
という佐藤江梨子に、
「俺は、幸せちゃう(違う)」と答える森山未來。
森山未來は設計の仕事をしている現在、新しい高層マンション建設にあたって、
地震の際の安全性を謳って、広島の地域住民へ嘘の説明会をしにいくところだった。
“100年に1回の災害だったんから、もうそうそうあんなこと起こるわけない“
“高層ビルのガラスは割れないことになっている”
“そんな予算ないし。次にもし震災が起こっても、俺もお前ももう生きてないだろ?”
そんな先輩社員の言葉に何かいいたげな森山未來。
「震災経験者として~とかって、いいたいことあるんちゃうん?」
という佐藤江梨子に、
「だますのも仕事ですからね~」とうそぶく森山未來。
尚もつっこむ佐藤江梨子との「うるさい!」「うるさい!」のやりとりが、
本当に同年来の若者同士の会話のようでした。
一方、佐藤江梨子も、震災で仲の良かった友達を亡くしていた。
「3回目。ゆっこ話、しかけて止めるの。」
友達とその妹とお母さんは亡くなって、
その晩酔っぱらって帰ってきて玄関で寝ていたお父さんだけが助かった話。
お母さんには「おじちゃんはすごいつらい思いしてはるねんから」といわれたけど、
日に日に痩せて人相が変わっていくおじさんが怖くて怖くて仕方なかったこと。
東京へ引越す時に挨拶しに行って、
「ちょっとあがっていって。拝んでいったって。」っていわれたけど、
どうせ家の中もぐちゃぐちゃやろうし、嫌で嫌で逃げるように帰ってしまったこと。
どのエピソードも、きれいごとではない震災の姿です。
普段見慣れた神戸の街並みが随所に登場して、
まるでカメラ1台でおいかけたような、
ドキュメンタリーのような仕上がりになっていました。
・・・と、私が実際に観たのはここまで。
0時までかと思っていたのですが、実際にはもうあと15分ほどあったようです。
この後、ふたりが東遊園地まで再び歩いて辿り着き、
そのシーンには当日撮影された東遊園地での映像が使われることは知っていて、
どのようにつなげるのか、どういう結末を迎えるのか興味はあったのですが、
どうにも体調が悪くてあえなくダウン・・・。
今朝、ニュースをみていると、
昨日のドラマにもでてきたメッセージを書いた木?がでてきました。
すると、花が一言。
「あ、これ、私も学校で書いたよ!」
きれい事だけではなく、リアリティのある内容でした。
再放送に期待します。