我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

熱海俱楽部・東軽井沢ゴルフコース

2024-11-23 03:56:20 | ゴルフ及び山歩き、他スポーツ
                                         本文とは関係のない風景写真(山古志村)

月一このコースでゴルフをしてる、
昨日がその日だった、
ここはゴルフ場の名前にもなっている東軽井沢、
とは言え軽井沢ではない、
軽井沢は言わずと知れた長野県、
ここは群馬県、
軽井沢の東に位置することから
東軽井沢を名乗っても間違いではない、
だが軽井沢の雰囲気は全くない、
軽井沢は標高1,000メートルの高原地帯、
ゴルフ場のある一帯は標高200メートル程であろうか?
言うなれば軽井沢の麓の山の中に作られたコース、
軽井沢のネームバリューに肖(あやか)って
着けられたネームであろう、
コースは悪くない、
辺鄙な地(?)にありながらも
お客さんは結構入っている、
高速道路の松井田妙義インターからは
20分ほどの距離にある、
わが家からは一般道を走ってもおよそ1時間、
私にはこの行き返りの道中さえ楽しい、
途中に中山道の宿場町安中宿がある、
毎回行きは国道18号線を離れて
わずかに宿場の面影を残す旧道を走る、
何百年もの歴史を刻む杉並木がある、
白壁の土蔵もある、
本陣の面影漂う門構えの家もある、
運転しながらフトある疑問がわいた、
“安中宿は中山道の何番目の宿?”
スマホの音声検索で聞いてみた、
Bluetoothとやらの機器のおかげで
ナビを使って音声が返ってくる、
15番目の宿場だそうだ、
朝からこんな雰囲気を味わいながら
ゴルフ場に向かう、
帰りの道はガラッと変わって
里山を縫うように続く一本道、
途中から田園地帯を貫く一本道、
鼻歌交じりのドライブを楽しむ、
一番の目的ゴルフの成績は?
体調も回復して
好天に恵まれながらも
結果は満足できるものではない、
49打+51打=100打
それでも良しと思うことに決めた、
この年でゴルフができるだけでも
幸せなことである。

「天国とよばれた療養所」

2024-11-20 19:01:22 | 友人、知人及び同級生
                 白菊一輪

9月中ごろ
高校時代の友人から
一通のはがきが届いた、
“妻が本を出版したから
是非とも読んでほしい”
という内容であった、
早速発売日三日後の10月末
近くの本屋に行った、
取り寄せになるということで注文した、
一週間ほどして手元に届いた、

題名「天国とよばれた療養所」
作者:ゆきや星
(株)郁有社 

時代は大正期末期に始まる、
偏見の最たるものがこの病気であった、
この患者が親類縁者から出ようものなら
秘密裏に療養所に送り込まれ
縁さえ切られる者が多かったと聞く、
今で言うハンセン氏病、
当時は癩(らい)病と言われて
差別と偏見に満ち満ちて
国家政策で隔離された、
そんな患者の苦悩を描いた内容だった、
巻末に記載された数多くの参考文献は
作者の努力を物語る、
内容からしてストリーは
明るく成りようがないのは
仕方がない、
それにしても
読み進むのに苦労した、
時代は大きく変わって昭和30年代
最終章で主人公の男性患者が
病を克服して結婚し子供も出来る、
あるきっかけで金魚を飼うことになり
それの餌にコオロギを粉末状にして
与えたところ金魚の発育状況に
非常に効果があることが分かった、
主人公がそれをペットショップに持ち込んで
相談したところ好評化され
量産化に成功し取引が始まる、
ここまで来てやっと主人公は
人並みの生活を手に入れる、
それは読者の気持ちにも
明るい光をもたらす、
この病気に感心のある人が読めば
どんなに暗い場面でも
苦にはならないのであろう、
私には最後でやっと
救われた気になった、
それは
どんなに暗い生活の中にあろうとも
何かを作り出すという行為の中には
一縷の望みがあるということだ、
失敗するか
それが成功に繋がるかは
本人の才覚と努力次第。

喪中はがき

2024-11-20 08:39:44 | 老いの暮し
                          金鑚神社の紅葉

2月に兄が亡くなったので
喪中はがきを出さなければならない、
これには多くのハードルがあった、
手書きなどとても出来ない、
パソコンでやらざる負えない、
ところがパソコンが9月に
故障したので修理に出して
ついでにOSを
ウィンドウズ10から11に
アップロードしてもらった、
そしたらこれまでに使っていた
「筆ぐるめ」ソフトが使えなくなってしまった、
止む無く最新版の「筆ぐるめ」を購入して
インストールした、
すべてがおっかなびっくりである、
勿論今まで使っていた住所録は消え失せて
新たに作らねばならない、
幸い裏面は作られたフォームがあって
亡くなった故人名と日にちを
入れればいいようになっている、
印刷の段になって失敗した、
印刷ボタンを押すと
なんと同じ人物宛のはがきが
次から次へと出てくるではないか!
枚数を指定する欄で
“右の内容で1枚”とすべきところが
“全枚数”となっていたのに気が付かなかった、
5枚ほど無駄にしてしまった、
この手の作業
年賀状でも一年に1回しか行わない、
昨年やったことなど覚えていない、
毎年が初心者だ、
高齢者にはきつい作業を
三日がかりでようやく終えて
安堵の胸を撫で降ろしている。

突然のひとり暮らし

2024-11-17 20:38:32 | 老いの暮し
11時ころスマホの着信音、
“私 このまま入院することになった”
とカカ様の声、
先日来
咳が止まらないからと言って
病院に出かけてから3時間ほどもたっていたであろう?
取る物も取り合えず
入院先のF市の総合病院に駆け付けた、
幸か不幸か
わが家では総合病院になど縁遠くて
必需品を届けようにも
手続きが複雑で四苦八苦、
コロナ騒動以来
特に厳しくなったんだとか、
先ず
受付で面会のための書類を書いて提出、
病棟までの道筋もあちこちに扉があって
一筋縄には進めない、
病室に行くまでに2回も3回も立ち往生、
エレベータに乗って到着した階で
ドアーが開かないと呆然としていたら
反対側が開いてます、と教えられた、
病棟前の自動ドアーの前では
自動で開くものと待っていても
一向に開く気配がない、
たまたま来合わせた見舞客が
インターホンで連絡しないと開かないと
教えてくれた、
やっと必需品を届けられると思ったら
マスクをしないと案内できないと諫められて
慌ててマスクを買いに走る始末(常識に欠けたと反省)、
やっと会えたと思ったら
すでに様々なチューブに繋がれた
哀れな姿 !
風邪から喘息を併発して肺炎を起こしている
と説明された、
思いもしない一人暮らしが始まった。
                 北信の村で見かけた蔵

妙高山山頂にて

2024-11-17 12:11:40 | 写真 及び絵画
後期高齢者の領域に入って数年がたつ、
毎日が日曜日の身の上だ、
そんな日常で頭に浮かぶことの多くは
過ぎ去りし日々の後悔や反省ばかり、
悲しいかな
未来を夢見ることなど少ない、
今回も前回に引き続いて
若かりし頃上った山の写真、
北信に位置する妙高山、
当時100名山の登頂を目指していた、
妙高は100名山に含まれている、
写真は
妙高山山頂からはるか彼方に浮かぶ
富士山の影を写したもの。

                妙高から美ヶ原方面(?)