ガラス細工の人形
日本エッセイスト・クラブが
ベストエッセイ集と名付けた本を
世に出したのは1984年、
出版元は文藝春秋社、
前年に新聞や雑誌をはじめとする様々な
出版物に掲載されたエッセイを厳選して
年間ベストエッセイ集として本に纏めたもので
20数年間続いた、
将に珠玉の数々、
様々な業界の人々がその名を連ねる、
私は毎年暮れ頃に出版されるのを
心待ちして買い求めた、
先のパソコン不調でこの本を再読する機会を得た、
追々紹介していきたいと思う、
期待に副うものと思っている、
2年目の本の中にこんな記事を見つけた、
作者は黒柳徹子、
タイトルは「テネシー・ウイリアムズに逢って」
今でこそその名を耳にすることなど滅多にないが
20世紀アメリカを代表するひとりに
その名を挙げてもいい劇作家であり詩人?
黒柳はこの彼に逢った時のことを
印象深く書いている、
出会いは黒柳が休暇でニューヨークに
滞在していた1971年、
彼女はブロードウエイで活躍する或る作曲家と親交があり
アメリカでのホームステイ的な滞在先になっていた、
ある日その作曲家夫妻に連れられて参加したのが
ある演出家兼映画監督の誕生パーテイー、
黒柳のエッセイに登場する人物も作品名も超一流、
人物はパーテイーに参加していたという訳ではなく
超一流の作品に関わった人々ということで
驚くばかり、
この道に詳しいわけでもないこの私が知ってる
作品だけを挙げると、
エデンの東、王様と私、アニーよ銃をとれ、南太平洋
などなど
こんなパーテイーで彼女は
テネシー・ウイリアムズに会ったという訳だ、
黒柳は当時女優、
ウイリアムズは
日本における舞台でのロングラン記録を塗り替えていた
「欲望という名の電車」の原作者、
ウイリアムズは黒柳に
日本の演劇界のことや
彼の作品の主役を演ずる杉村春子のことを
あれこれ知りたがっていたという、
盛り上がったパーテイーの中で
そんな会話を続けていると
若い男が二人に近づいてきた、
痩せて中背の髪の毛の長い25歳くらいの
男性だった、
黒い革の手袋に
しゃれた絹の黒いシャツを着ていた、
ウイリアムズの知り合いだとはっきりわかる
態度であった、
青年はウイリアムズの横に立って周りに
無表情に会釈をした、
黒柳にはあまりに場違いな青年に見えたという、
そにて気になって仕方がなかったという、
何故なら青年は手にキー・ホルダーを持っていて
終始カチャカチャ音を立てて
ウイリアムズを急かせるような態度をとっていたという、
それはまるで無言のうちに
ウイリアムズは俺の言うなりになるんだぜ
とでも言いたげな態度であったという、
黒柳はニューヨークに1年間滞在中に
何度も才能ある芸術家が若いジゴロ・タイプの
ホモの相手に同じように弄ばれているのを見たという、
その場に溶け込む雰囲気のない若い男に向かって
彼は諦めたかのように
“今 帰る”と言ったという、
そして彼女の正面に立ち
“会えて嬉しかった、また会いたい”と
暖かい手を差し伸べ
次いでハグをして別れたという、
数日して
ニューヨークのホテルの一室で
目薬か何かの蓋をのどに詰まらせ
たった一人で酒瓶と一緒に
転がって
死んでいるのが見つかったという。
箱根ガラスの森美術館