2021/8/3
ミュージカルを見に行った、
会場は高崎芸術劇場、
オープンして3年ほどのイベントホールだ、
演目の「おにころ」はわが町(高崎市新町)を
舞台に地元出身の音楽家三澤洋史氏が
地元合唱団を率いて1991年に初演した
民話風の創作ミュージカルである、
三沢氏は現在
新国立劇場合唱団の指揮者や
各地大学の教授、講師の肩書を持つ
音楽家である、
創作の主旨を次のように述べている、
ーー“おにころ”は村人たちのためにその身を
犠牲にすることで人の愛とは何かを教え
人間の性(さが)ともいうべきエゴイステックな
一面に気付かせてくれるばかりか
人と人が心を繋げることで得られる
喜びをも教えてくれるーー
だが、、、、、
民話仕立てとは言えあまりにも
ありきたりの主題で心に響くものがない、
加えて時代設定に統一性がないのも
失望感を深める、
例えば
主役のおにころが両親に呼びかける場面、
“おとぅ おかぁ 僕は~”
おにころは物語の中で一貫して
自分のことを“僕は”と言う、
また
主役のおにころと相思相愛の仲の
庄屋の娘がその両親に呼びかける場面で
“お父さま お母さま”と幾度となく呼びかける、
この違和感を作者はどう説明するのであろうか?
初演当時の公演を町のホールでみて
わが町が物語の舞台とは言え
所詮は田舎芝居の域を出ないと
その後の公演には興味が湧かなかった、
だが今回は回を重ねていることでもあり
親戚の娘が出演していることでもある、
更には高崎市自慢の新ホールでの公演
と言う事もあって大いに期待してた、
しかし“僕”は“ぼく”のまま
“お父さま お母さま”も
変わってはいなかった、
その点では残念ではあるが
この事をもって私はこの公演を
全否定するつもりはない、
配役の主要なキャストには中央で活躍する
ソリストが8名出演した、
これらソリスト達と同じ舞台に立ち
歌い演じたのはわが町の
アマチュアー合唱団の人々であった、
この中には無邪気に舞台上を飛び跳ねて
客席を和(なご)ませた幼子たちも
含まれている、
この子たちが将来歌や演ずることに
興味を持ちその道を目指す切っ掛け
となることだってあり得る、
現に今回準主役に抜擢されている
親戚の娘は幼少期
このミュージカルへの出演が契機(?)となり
音楽家の道を進んだ、
他人事ながら田舎の合唱団員に
プロと同じ舞台に立つ
喜びを味合わせてくれたのは
三沢氏の力以外の何物でもない、
また こうした試みが地域文化の
発展に寄与することも否定できない。
会場は高崎芸術劇場、
オープンして3年ほどのイベントホールだ、
演目の「おにころ」はわが町(高崎市新町)を
舞台に地元出身の音楽家三澤洋史氏が
地元合唱団を率いて1991年に初演した
民話風の創作ミュージカルである、
三沢氏は現在
新国立劇場合唱団の指揮者や
各地大学の教授、講師の肩書を持つ
音楽家である、
創作の主旨を次のように述べている、
ーー“おにころ”は村人たちのためにその身を
犠牲にすることで人の愛とは何かを教え
人間の性(さが)ともいうべきエゴイステックな
一面に気付かせてくれるばかりか
人と人が心を繋げることで得られる
喜びをも教えてくれるーー
だが、、、、、
民話仕立てとは言えあまりにも
ありきたりの主題で心に響くものがない、
加えて時代設定に統一性がないのも
失望感を深める、
例えば
主役のおにころが両親に呼びかける場面、
“おとぅ おかぁ 僕は~”
おにころは物語の中で一貫して
自分のことを“僕は”と言う、
また
主役のおにころと相思相愛の仲の
庄屋の娘がその両親に呼びかける場面で
“お父さま お母さま”と幾度となく呼びかける、
この違和感を作者はどう説明するのであろうか?
初演当時の公演を町のホールでみて
わが町が物語の舞台とは言え
所詮は田舎芝居の域を出ないと
その後の公演には興味が湧かなかった、
だが今回は回を重ねていることでもあり
親戚の娘が出演していることでもある、
更には高崎市自慢の新ホールでの公演
と言う事もあって大いに期待してた、
しかし“僕”は“ぼく”のまま
“お父さま お母さま”も
変わってはいなかった、
その点では残念ではあるが
この事をもって私はこの公演を
全否定するつもりはない、
配役の主要なキャストには中央で活躍する
ソリストが8名出演した、
これらソリスト達と同じ舞台に立ち
歌い演じたのはわが町の
アマチュアー合唱団の人々であった、
この中には無邪気に舞台上を飛び跳ねて
客席を和(なご)ませた幼子たちも
含まれている、
この子たちが将来歌や演ずることに
興味を持ちその道を目指す切っ掛け
となることだってあり得る、
現に今回準主役に抜擢されている
親戚の娘は幼少期
このミュージカルへの出演が契機(?)となり
音楽家の道を進んだ、
他人事ながら田舎の合唱団員に
プロと同じ舞台に立つ
喜びを味合わせてくれたのは
三沢氏の力以外の何物でもない、
また こうした試みが地域文化の
発展に寄与することも否定できない。
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