はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
色々ありましただいぶ落ち着いてきました。
以前鬱病になった時は仕事が原因だったし、本人が「おかしいから病院に行きたい」
と言い出した。その頃私は子供が小さくて
自分の方が育児ノイローゼ気味で気持ちにも余裕も無く
結局ダンナは自分で病院に行って辛い時期をやり過ごしました。
ダンナはもともと言いたい事を言えない人一倍弱いタイプの人で、
どんどんコミュニケーションが無くなっていきました、
なんとなく夫婦の間がぎくしゃくして気づいたらえらいことになっておりま
した。
その行動が全て病気から来るものだという事に気づくのが遅れました。
私も子供と自分の事ばかり考えていて全くダンナの事考えてやれなかったです。
ダンナのそうした性格は小さい頃からの環境からあったもののようで私だけでなく、
もう何もかも我慢するのに疲れたのです。
まるで子供みたいで大人としての常識もおかしくなり、
親としての責任感も無くなってしまいました。それは病気のせいなんですけどね。
やっと病気と思えるようになり、今はダンナと一緒に病院に通っています。
我が家はとても狭く家具が迫ってくるような、
そして子供達の騒ぐ声もストレスになるのでしばらく離れてみる事にしました。
すぐ近くですが近所にもばれない距離に別居する事に
薬が効いてきているのかダンナは落ち着き、
以前よりずっと良い関係になっています。別居と言っても週末婚のような感じで
来たければ帰ってくる、一人になりたければあっちの家に行く・・・という感じ。
うちはそんな裕福でもないのでかなり出費にもなりますが
ダンナの気が済んで病気が治れば・・・という感じ。
よほど困ればダンナの親が経済的に何とかしてくれるという安心な部分があるので
まずは大丈夫かなと。
私にももちろん原因があるだろうし、そうして距離を置く事で
努力できるし私の気持ちも楽になるし。
ダンナも少しずつ良い方向に変わってきています。
別居の期間が終わって自分の生活に自信が持てるようになったら
皆で住む今より大きな家を探すと言ってます。
先はどうなるかわかりません。私は今は自分のやれる事をやるだけです。
ダンナの別居先のアパートが決まりました。
保証人が必要なようでそれを父親にお願いすると言いました。
私はもしかしたらこの時に舅が判を押すのを断ってくれることを
密かに願っていました。
でも・・・
面倒ごとの嫌いな舅はあっさり保証人になりました。
私はびっくりしましたが。
何やかんや言ってもこの人たちは息子の言い分を信用して
別居がいいのかなと思っているようでした。
アパートが決まってからのダンナは嬉しそうでした。
私は苦痛でした、新生活の準備にと一緒に電化製品や家具を見に行こう!と
平気で家族を連れて出かけるのです。
こちらがどうにかなりそうで私はイラついていました。
彼女へメールが届かなくなった、メルアドを変えたらしい。
それで私は再び手紙を送った。
そして再びメールが来た。
突然アドレスを変えた事お詫びいたします
色々事情がありまして・・・すぐに教えなかった事
すみませんでした。お手紙読みました
あたしは、何もできないですね・・・
どんな○○でもあたしは一緒居たい気持ちがいっぱいでした。
遊び半分で付き合ってたわけじゃありません。
でもあたしが今出来る事をします。
○○とは、逢いませんメールもしません。
それで○○の気持ちが少しは楽になるなら、
あたしは逢わない、メールもしません。
夜遅くにメールしてすみませんでした
○○がよくなる事を祈ってます。
本当にすみませんでした。
何だかとっても勘違いちゃんな気がするのは私だけかな・・・。
毎度驚かされます。
メルアド変更したのも言い訳っぽいし、
なんともまあ、人の気持ちなんて全く考えず
自分よがりの所なんかは・・・
ダンナと同じ臭いがする。
結局類は類を呼ぶ、だろうか。
いろいろあった、ダンナの女性問題発覚。
家をつきとめ、手紙を渡した
。
実は家をつきとめたけどまだ名前はわからなかった。
私は女性に手紙を渡した。
ダンナとはどういうつもりか?ということ、ダンナは鬱病だということなど。
そして何か言いたいことがあるならメールしてくれてもいい、
と私のメルアドを書いた。
そうしたら彼女からメールが来た。↓
初めまして。
お手紙読みました。ずうずうしくメールしました
でもあたしから何を話していいのかなわかりません。
○○(ダンナの名前)といい加減な気持ちではないと
言うことだけです!
でも今何を言っても最初だけ・・・って言われてしまいます。
あたしも何を話してよいのか正直わかりません!
でも・・・わざわざ手紙いただいて何も返事をしないのは・・・
自分が逃げてるみたいで・・・
このメールをしてるのは、○○は知りませんすみません!
本当に何を話していいかわかりません・・・
ただあたしは逃げません!
話したい事があるなら、聞いてくだい!
言いたい事あるなら言って下さい!
いやあ、これが本妻に言うことなのか。ちょっとびっくりした。
言いたいことがあるなら言えって私のせりふではないか。(笑)
35歳と聞いていたけど(2人の子持ちバツイチらしい・・・)
まるで20代の女の子みたいな文章だし・・・。
私は強くない。
今日はちょっと心が軽くなった。
今まで誰にもいえなかったことを吐き出す事ができたからだ。
母親に打ち明けた。今起きていることを。
母親があとから心配して連絡をしてきた。
「ないてちゃダメ!あんたは強い子なんだから」
私は強くない、私は本当は強くなんか無いんだから!
仕事が終わって家に戻ると涙があふれる。
家にいると辛くてたまらない。
もしも自分が一人だけだったらどこか知らないところへ行ってしまいたい。
どこへ逃げる事もできず、大声で泣くこともできず・・・
人の心は一度離れたらもう決して戻る事はできないのだろうか。
取り戻せないのだろうか。
頭がおかしくなりそうで、何も食べられない。
心の中で誰か助けて!と叫び続けながらも平気な顔をして
いつものようにやり過ごすのも疲れた。
私はただ、平和な日々があればよいだけ、それ以上には何も求めない。
それは贅沢なのか。
私は結構強い人間だと思われている。でも人間の強さって一体何?
本当の強さを知っているのは自分だけじゃないのか。
私は弱い。本当は弱い人間だ。
だんなが心療内科に行きたいと言い出した。
何度も別居したいと言っていた。
そしてだんながやっとうちあけた。
「例の場所」の話をすると顔色を変えた。
「何で知ってるんだ!」と。
私はその方法は一生言わない、墓まで持っていくつもりだと話した。
何度も聞きたがったが絶対教えない。
どこまで私が調べているのか凄く知りたがったけどそれに対しても私は答えなかった。
最後の最後まで信じたくなかったけどやっぱ女がありました。
そして自称鬱。(心療内科の先生は何度も「鬱病じゃないねえ」と言った)
バツ一、中学生と小学生の子どもがいる35歳の女、親友の元カノ。
飲み屋で会ったとのこと、
今はパートで働いている
今年の2月か3月ごろから付き合っていると。
そんな事がばれる前、だんなは
「作業部屋のような部屋を一件借りて趣味のことをやりたい、
そこには家族みんなも自由に入れる場として・・・」
などとわけのわからない事を言っていた。
私は納得行かなくてそんなのダメでしょう!と何度も言い続けていた。
結局はその彼女の家の近くにアパートを借りて住みたいと言うことだったのだ。
ちょっと驚いたけど腹も立ったけどあまりにも正直に話すので
何だか何の感情もわいてこなかった。
お金と女性関係だけは全く無かっただんなだっただけに驚いた。
とても好きみたい。ちょっとくやしい。
とりあえずお互い納得いく案を出し始めた
籍は抜かない、別居というか・・・何曜日かの割合で来る。
話しちゃったら意外とダンナは優しくなった。
私に対する気持ちはまだわからないけど
彼女とは結婚できないと。いつか戻るかもしれないと。
それでも私は受け入れたい。そんな風に思ってしまった。
それまでいがみ合って大っきらいだと思っていたダンナの別の一面を見て急に惜しくなったのか。
私も鬱になって落ち込んだ。おかしくなりそうだった。
ダンナと同じ心療内科に通って安定剤と睡眠導入剤を処方された。
まだ彼女とは付き合って3ヶ月そこそこらしい。
だんなが鬱だということを知ったら別れるのも時間の問題だろう。
だけど私はまだ自分に何が起きているのか、よくわからなかった。
何が問題なのだろう?何が?
ダンナの病気?女性関係?それともやっぱり私がおかしいのか?