心の平和を求めて・・・

夫と別居中→調停離婚成立。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との戦いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の元夫との戦いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

2009年11月までまとめが終わりました。

2010-03-31 08:12:32 | 

いつもありがとうございます。

何とか過去の出来事をまとめる作業があと少しになりました。
トップには、
「最近の出来事は2010年02月26日から」

としてありますが、今2009年11月までまとめ終わりました。
もうじき現在の出来事へとつながります。

途中数年抜けていますが、
この間は何も記録をつけていませんでした。

思い出したらまたアップするかもしれないし、
まとめて書くかもしれません。

ダンナの深刻な言動はこの時期あまり無かったと思います。
だけどもともとパーソナリティ障害ですから、
多少困ったなあ、おかしいなあと思うことはしょっちゅうでしたが。

たとえば・・・犬を飼うと言い出したこと、
家が散らかったり、汚れることを過剰に嫌がる人が、犬を飼いたいと言い出したのだ。

別居を解消して以来、私は自分の感情を押し殺して、
ダンナには偽りの笑顔で、言いたいことも言えず、
日々の生活をただ必死に守ることだけを考えて生きてきました。
思えばこの時期はダンナに洗脳されていたのかなとも思います。
別居解消後も酷いうつになり、体調を崩し、PMSになり。
ダンナもダンナの両親も何事もなかったように接するのが
私にはとても辛かった。

今までどれだけ辛かったか。それを誰も謝罪することもなく
私の心だけが切り替われないままで居ました。
それでも生活は続く。私は自分を押し殺して生活していました。
ダンナは穏やかでした。
落ち着いている時は細かいことも何も言ってきません。

・・・またこの事については、そのうちまとめて行こうと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心臓に悪い・・・ダンナの突然帰宅。

2010-03-25 07:15:06 | 

あ~・・・
こんな嫌がらせがいつまで続くのやら。

昨晩、12時過ぎに玄関の鍵がガチャガチャと鳴った。
とっても嫌~な予感が。
犬が玄関に向かって吼えた。

私は昨日夕方から頭痛がして調子が悪かった。
なんとか家事を済ませ、一本だけ録画してあったドラマを見て寝ようと
くつろいでいるところだった。
何でダンナはこういうホッとしているときに現れてストレスを与えるんだろう。

ダンナは飲んで来たらしく、ご機嫌だった。
ダンナが玄関からリビングに向かって歩いてくる足音を聞いて
私の心臓はバクバクした。
生活費を減らしてくれって言う割には飲んで帰ってくるってのはなんなんだ・・・。

私のこわばった表情を見てだんなは「そんな顔するなよ」と苦笑した。
私は完全に混乱、やっと「おかえり。飲んできたの?」と一言言った。

昨日はダンナの給料日だった。
先日、生活費の話があったけど私は今回もとりあえず同じ金額をおろした。
結局結論は出なかったわけだしとりあえずって事で。
しかも朝、9時になると同時にキャッシュコーナーでおろした。
毎月毎月、この瞬間は緊張する。何事も無いだろうけど・・・
今後何をされるかわからないってのもある。
お金だけはなんとしても確保しないと生きていけない。

・・・そんなわけでおろした生活費に不満でもあったのか?と
頭の中はいろいろぐるぐると思考が駆け巡った。

ダンナはただ酔っ払っていい気分のようで犬をかまったり、
子供たちの部屋に行って「おい~元気かあ~」などとかまったり。
長男は起きなかった。いや、寝たふりしていたんだろう。
次男は喜んでダンナと喋っていたようだ。

犬はおびえてダンナに近寄らない。
もともと世話しないダンナにたいして懐いていないんだけど
何だか怖がって私の側にくっついて離れない。

私は慌ててテレビを切り、布団に潜り込んだ。
あとで何を言われるか解らないから一応ダンナの布団は出しておいた。
それ以上のことは・・・私は混乱して何も考えられなかった。

一体何なんだ?!また何か嫌なことでも言われるのか???
勘弁してくれ!!!

しばらくダンナはソファーに横になっていたが、
犬に「ばいばい・・・」とか話しかける声が聞こえ、出て行った。
鍵を掛ける音がして私は布団から出て慌てて自分のかばんから財布と通帳を取り出し
布団の下に隠した。
今日は給料日だったし・・・なんとなくだ。

数分様子を伺う、ダンナは出て行った、戻ってこないようだ。

しばらくしてリビングの電気をつけると次男が部屋から出てきた。

「なんだったんだろうね・・・」と私が言うと
「びっくりして眠れなくなった」と次男は苦笑いした。

本当になんだったんだ。
心臓に悪い、もう勘弁して欲しい。
私たちがこのマンションから出て行かない限り、
ダンナは当たり前のように家に戻ってくるのだろうか。

こっそり玄関のドアをあけて様子を伺う。
まだ外は雨だった。もうバスや電車も無いだろうに、
どこに行ったんだろう。
実家に帰ったのか?
大丈夫だろうか?
いや、もしかしたら近くに何か買に行ってまた戻ってくるのでは??

一気に眠気が覚めてしまったけど、
私もここしばらく仕事が忙しくてかなり疲れている、
何も考えずに眠った。
結局ダンナは戻ってこなかった。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダンナが離婚したいという理由

2010-03-22 09:46:51 | 

もう一回整理してみようと思いました。
ダンナが「離婚をしたい、どうしてもダメだ」と言う理由を。
毎日毎日私はそれを考えながら過ごしています。
何がだめなんだろう?どうしたらいいんだろう?
そして自分なりに治そう、とがんばりながら必死で掃除したり必死で片付けたり・・・。
できることはしてみました。自分なりに何がダメなのか?
自分を見直しながらやってきました。 ・・・でもそれはどれだけ考えても答えが出ないのでしょう。きっと。
なぜならばそれは自己愛が自分を正当化するために相手を攻めて相手のせいにしようとしているだけだから。

「家が汚い」
家は汚くありません。少なくとも私の感覚が異常でなければ。(笑)
でも凄く綺麗だ、とは言えません。
築数年前のマンションです。確かに物が多くてごちゃごちゃしている部分もあります、
仕事で掃除ができなくて埃がちらほらあるときもあります。
そんな時はクイックルワイパーで軽く拭いてから仕事に出かけます。
少なくても週一以上は必ず掃除機をかけ、拭き掃除もします。
犬がいるので毛が抜けたりするので気付いたら掃除するようにしています。
あ、犬を飼うと言い出したのはダンナです。
私は「部屋が汚れるから動物は飼いたくない」と反対しました。
子ども達が片付けられない子達で、部屋は散らかし放題です。
まめに注意して片付けさせたり、私が休みの日に少し片付けてやったり。
子供部屋はいらないおもちゃがあふれていたのでそれを処分すると
今度は「おもちゃを捨てられるのが嫌だった」という理由になります。

ダンナはそう言うわりには掃除はもちろんしません、
片付けもそんなにできるほうではありません。よくCDとか放置してあります。
一年に一度か二度、自分の気が向いた時にいきなり掃除してくれたりしますが
そんな程度です。もちろんどうだオレが掃除してやった、という態度になります。
ダンナから掃除しろ、とか汚いとかそれまで私に対して一度も言ってきたことはありませんでした。

「おもちゃを捨てられるのが一番嫌だった」
先ほど書いた子供たちのおもちゃです。
おもちゃを捨てることに酷く執着。あ、おもちゃだけではありません。
自分が実家から持ってきた生まれる前から家にあるという物凄いレトロな扇風機を結婚してからダンナは家に持って来ました。
私は何度もそれを粗大ごみに出そうとしましたがダメでした。
メーカーから回収対象になっても捨てようとしません。
昔のとても重い扇風機だったので小さな子ども達が暴れて倒れたら危ないな、
とひやひやしました。
実際何度も倒れて壊れそうでしたがダンナは何度も治して使っていました。

「5年前にあなたがくれた手紙がどうしても許せないから」
子ども達が小さい頃、私もノイローゼになりかけていました。
そんな時に鬱だ、と言われ自分が病気に行きたいくらいでした。
だんは犬もそうですが、子供もかわいいかわいい、と最初はかわいがるけど
決して面倒をみようとしない人です。
都合良くかわいがってあとはあっちいけ、という感じです。
やんちゃな二人の子供をたいして手助けしてもらえず私は必死で育てました。
ダンナは、たまに手伝った程度で「オレはやってる!」と言われました。
そんな時に鬱だ、と言われ、申し訳ないけど私もノイローゼになりそうです、
なにもしてあげられないから調子が悪いなら病院にいってみて、
私は育児でいっぱいいっぱいで今はあなたを気遣ってあげられない、
という内容だったと思います。
内容も忘れました。
もし裁判になったらその手紙を証拠に出すのだ!と言われびっくりしました。
内容は忘れたけど、そんな酷い内容でもなかったはずです。
私なりにかなり気遣って書いた手紙でした。
それをダンナは今でも「許せない」と離婚の理由にするんだ、と持っています。
でもそれ以前に、5年前のことを出されても、
今現在のことは治せても過去は治せません。

「オレとおまえとは教育方針が違う」
ダンナが子供たちのことで意見を言ったことはほとんどありません。
私が相談しても何も意見をするわけでもなく全て私任せでした。
だから私は一人で考え、一人で判断して子育てしてきました。
ダンナからそれは違うよ、と指摘することもありませんでした。
教育方針が違う、というのなら色々口出ししてくるものでしょう、全くそういう事はありません。
というか教育方針などというものにまるで興味が無いようです。
なのでこれは単なる言い訳だと思います。
ダンナは結婚前から奇妙な点があったけど、それが露になってきたのは
子供が生まれてしばらくしてからだと思います。
たぶんですが、私が子育てに必死になり、子供たちに愛情が注がれる分、
自分に対する愛情が薄くなったと感じたのが嫌だったんじゃないかなと思います。
確かに私の気持ちも薄れていました。だから子育てに必死でした。
子育てや家事、まあそれ以上に精神的な支えも何も無い夫に
誰が愛情を持ち続けられるでしょうか。
ダンナの本当の理由はその部分にあると私は思います。

「育った環境が違うから合わない」
まあいろんなこと言ってました。
「あなたは自営業の親の娘だから、サラリーマンの夫のことはわからないのだろう」と。
私自身も長い間サラリーマンしてたんですけどね。(笑)
それ以前に、全く環境が同じで結婚する人もいないでしょう。
ダンナの親は母親の方が色々と何かを決めて動く家でした。
ようはダンナと同じ、父親が動かないんです。
母親に依存しきってるんですね。多分同じく自己愛の母親に。
私の親は父が中心でした。父が色々なことを決めてみんなでやっていました。
だけど私はダンナに対して決してそれを押し付けたことはありません、
でもダンナは
「お前がいろいろ決めてやってくれないと。そうして自分は育ってきたのだからそれが当たり前だ」と、
色々なことを私にやれと押し付けます。
細かいことでは食べるものや着るものもそうです。
ずいぶん経ってから気付いたことがあります、
そうして私に色々と決めさせるのはダンナが自分で決められない人だと言うことです。
食べ物に関しても自分が何を食べたいのか、全く決められません。
着るものも自分で選べないのでいつまでも服がボロでも平気で着ています。
私はわざと選んであげないでいます。お金あげるから自分の好きなの買ってきてと。でもずっとボロのままです。
本人は「何にするのか決めたり考えるのが面倒だ」といいます。
自分の事に関しても何も選択できないのです。
多分そうして自分が選択する機会を親から与えられず、
親が何もかも決めてレールに乗せてきたからではないかと思います。
私は自分の子どもたちはそうなって欲しくないので
いつも選択する場面では子供たちに必ず考えさせるようにしています。

書いているうちに色々見えてきたものもあります。結局私のせいではなく、
(そう思いたいだけかもしれませんが)
ダンナの「病気」が面倒なことから逃げる為に私を陥れているのかなと。
もしかしたら私の都合のいい解釈かもしれないけど。

もう一つあったので忘れていたので更新しておく・・・

「あなたがしゃべってくれない。」

これが最近一番最初にはじまった理由だ。
姑から電話があり、この理由を私に言われたのだ。
息子がそう言うからもっと話しかけてあげて。と言われた。

もともとダンナは無口。無口なのはコミュニケーションに障害があるからだと
私は今では思っている。
自分からしゃべりかけてくることは今までもあまり無い。
なのに私のほうから積極的に話しかけてこないというだけでこれだ。
あなたが話しかけてきてくれないのはおかしい何かあるのだろう?だ。
しかもそれを直接私に言えず、母親に言うってのもねえ・・・
(このメールの内容はまたのちほどアップするつもり)
だいたい、ダンナを無視したら何されるかわからないのをわかってて
私があからさまに無視することはありえない。

子供たちに聞いてもこの理由はおかしいと言われる。
これを話したら「それは自分じゃないの?!」と笑った。
私もあまり自覚が無かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダンナが来た。色々とお金の話をする。

2010-03-19 19:01:01 | 

今日はダンナが来るということで朝から憂鬱でした。
朝用事を済ませて録画してあった番組を見ていたら眠くなったけど
うとうとしかけるとすぐに眠くなくなった。
いつダンナが来るのか・・・と思うとどきどきした。

結局午前中は来なかった。
次男が昼に帰ってきたので一緒にマックに行った。
その後買い物に行き家に戻ったけどダンナはまだ来ていなかった。

次男は遊びに行くと言って出かけてしまった。
家にいてくれればいいのに・・・。

結局3時ごろ、ダンナが来た。
私は少し離れて座る、ダンナはテレビを見たり、録画してある番組を見たり
何も言わない。
私はダンナが話しかけてくるのを、少し離れてダイニングに座ってじっと待つ。
ダンナはしばらくして寝てしまった。

なんだ、話があるってのなら早く話してくれよ、とちょっとむっとしたり、
ちょっとホッとしたり。1時間ぐらいそうして待っていただろうか。

しばらくダンナ起きたけどまだテレビ見たり、タバコ吸いにベランダ出たりしていた。

なかなか話が始まらない、このまま終わったりして・・・
と思ったらだんなはテレビを切って「ちょっと話してもいいか?」と言った。
まあダンナにしてみればこんな些細な事も凄い勇気がいっただろうなあ。
自分からアクションを起すことがどれだけダンナにとって大変なことか・・・
私はわかっていながらわざと知らん顔をしていた。
何事も自分からやる、ことが無いダンナだったから。

私がソファーの方に行こうとするとダンナがダイニングの方に来てくれた。

まずはケーブルテレビの契約の話になった、
私はそれはこっちで引き落とししていこう、って言った。
今後はどこにも連れて行ってやれず、テレビくらいしか楽しみが無いから
契約切りたくないと言った。

その次にダンナが携帯の調子が悪いので修理か買い換えたい、という
まあ契約者はダンナ本人になっているから勝手に買い替えしようと思えば
すればいいのにわざわざ私に相談してから・・・という気持ちだったようだ。
携帯の料金は今後自分が払っていく・・・と言う。

やはり母親とは考え方があわないから実家を出たいと言う。
その件に関して具体的な話は出てこなかった。
アパートを探しているようではあったけど。

私は用意してあった「毎月これだけかかる・・」って表を出して話をした。

ダンナは「食費○円ってのは多くないか?」とか、
「知り合いはみんな生活費は20万あればやっていけるはずだと言っている」
などと色々と言ってくる。
でもまあそんなに強気ではなく、冷静に話し合えたと思う。
私は現実の数字を見ながらこれは・・・って一つずつ説明していく。
理解してくれる部分もかなりあった。

結局今までも赤字だった、と言う話とこれからもっとお金が必要になっていく
という話しをした。
実際の金額を見てかなり驚いたような感じだった。こんなにかかるのかと。
私はちょっと脅してみる。
「一ヶ月ここに住んでやってみてくれてもいいよ、私その間実家に戻るから、
 一ヶ月やりくりとか何もかもぜーんぶやってみたら?そうしたらわかるよ。
 それでかなり節約が出来たら私にも教えて欲しいし~。」と。

苦笑いしていたけど、結局自分には無理と思ったのだろう、
きちんと受け止めてくれた様子だった。
それでも今より2万円は減らしてほしいと言ってきたので。
「今までもずっと赤字だったよ、無理だね、」と言い切った。
ダンナは黙っていたけどね。

結局はスターキャットは私の方で払っていくってことにした。
携帯はダンナが自分で払うって言ったけど・・・まだわかんない。

ダンナはかなり真剣にう~んと悩んでいた。
「月々のお金を減らすか・・・ボーナス分で減らすか・・・どちらかになるよね」

お!よかった。ボーナスもくれる予定でいるんだね。(笑)
実はボーナス渡さないとか言い出さないかな・・・って
それがちょっと不安だったけど。
だから実はボーナスくれなくても仕方がないとあきらめていた。
それだけでもちょっとホッとしたな。

一応きちんとした明細をこちらから出したこともあり、
現実としてこれだけお金が掛かるんだ、
という部分はダンナに理解してもらえたようだった。

クリニックで今どんな治療をしているのかと聞いてみた。

ダンナには「考え方が自分も人も同じだ」と思っている部分がかなり強いらしい。
・・・って私はわかりきっている部分だけど、ダンナがそう自覚していることが
ちょっとびっくりでした。
そして自分の母親もそういうところがある、という。
・・・ってまあそれは全てクリニックの先生にそう言われてそうなのかな、
程度に思った部分らしいけど。
まあ人の意見を素直に認める気持ちが多少でもあるだけでもまだましなのかもしれない。


そして今はそういう部分を「人は自分とは違うのだ」という方向に持っていけるよう
そんな内容のカウンセリングをしていると言う。

毎回、50分~1時間ぐらい臨床心理士と話をして、
その後医者と話して終わりとのこと。
夕食後に飲む安定剤のようなものが出ているそうだ。
薬が体に合っているのか、調子はいいらしい。

毎回「宿題」が出るらしい、今週はこういうことを気をつけて過ごしてみて下さい、
と指示があり、次の時に「やれましたか?」という感じで聞いてくるらしい。
あとは臨床心理士と、この一週間どんなことがあったかとか、
様子を色々と話するそうだ。

ダンナは、自分自身はかなりそれで変わってきたと思う、と言う。
私にはまだよくわかんないけど。
でも確かに今日の話し合いを見ていても自分勝手な言い分ではなく、
私側の事情も一緒に考えてくれたところもあった。
ダンナは変われるのだろうか?

とにかく冷静に話しが出来るってだけでも安心した。

それでもまだ、
「今後は携帯料金のこととか・・・色々な料金を切り替えていかないと
いけないと思っている・・・」

と言っているのを見るとまだまだ家族と生活するのは無理なんだなと
思い知らされるのだけどね。
その部分はお互い様だから仕方が無いけどね。

ダンナにまだ「家にお金を入れなきゃいけない」って義務感があるうちは
私の中ではまだ大丈夫かなと思える。
お金を入れてくれるうちはなるべく冷静でいようと思う。

ダンナは6時過ぎに飲み会だからと出かけた。
飲み会行かずに節約すればいいだろ!と言いたい気持ちを押さえて
静かに見送った。

私は、姑に勘当されたことで、
「今まで母の日や姑の誕生日に贈り物をしていたけど今後はしない」
と話した。
でも、私の気持ち上、お歳暮お中元だけは贈り続けたいと思う、と言う。

甥や姪に対するお祝いに関してはうちがもらって来た分は
お返しの意味でお祝いをしていくつもりだけど、
それ以外今後は受け取らないでくれ、と話しをした。
もう姑にお金のことに関してあれこれ言われるのは嫌だから。
気持ちの上でも関係を切って行きたいと言った。

その件に関してはダンナも姑のことをこれからは気にしないでくれていいよ、と
言ってくれた。それだけでも私の気が晴れた。

ダンナが実家や、私たちとは生活できないのはどうしようもないようだ。
だからと言ってこちらに無理な圧力をかけたりする気は今の所はなさそうさ。
ただ、人格障害だからいつころっ・・・と態度は変わるかもしれない。

まだまだ何を考えているのかはわからないけど、
今の所はカウンセリングをきちんと受け止めている様子なので
もしかしたら今後は変わっていくのかもしれないし、
相変わらず一緒には住めないのかもしれない。
それでも冷静にダンナと話し合いを出来るうちは私も冷静に受け止めようと思う。

第三者的に見れば・・・なんて無責任な人間なんだろう、と思うかもしれない。
私も本当にそう思う。こんな現実受け止められるもんじゃない。
だけどそう言ってみても仕方が無いのかもしれない。
どうしても出来ないのだろう。ダンナには。

もう少し様子を見ていこう。

とにかく今日の話し合いが終わってとりあえず私は少しすっきりした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安

2010-03-18 23:12:49 | 

金曜日、ダンナが帰ってくると思うと憂鬱。

体も心もすっかり疲れてしまったせいか、
仕事を終えて家に戻ると子供たちはみんな勝手なことをしていた。
録画したアニメを見ながらゲームをする、
しかも色々出したまま、お願いしてあった手伝いは何もしていない、
お茶を飲んだコップはゆすがずそのまま。
いつもは我慢しているけど今日はかなり疲れていたのかも。
怒鳴った後に大泣きしてしまった。
長男は塾の時間で慌てて逃げるように出かけてしまったが、
後に残った次男はもろ、とばっちりを受けて後で思うと悪かったなあと。

多分、明日、ダンナが帰ってくる不安感もあるのだと思う。
一体どんな話をしてくるのだろうか。
まあまた私を傷つけて楽しむんだろうな。
気が重い・・・

今日は早く寝よう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする