はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
今日は子供たちを連れて遊園地に行く予定だったのに朝から雨になった。
雨になって・・・どうしよう・・・
実は今週ずっと仕事が遅かったので本当は今日はゆっくり過ごしたかった・・・
でも子供達が退屈がって、最近私は子供達が退屈だ・・・と
つまらない顔をしていると自分を凄く責められているようで辛くなってしまうので
どうしようどうしよう、と考えてしまう。
で、仕方なしにダンナの実家に行こうか、と言う話になり
ダンナにメールしたらとりあえず自宅に来るというので
私が車でアパートに寄って拾っていくよ~と言った。
初めて車でダンナのアパートに行く、
長男ナビゲーターが的確な道を教えてくれる。
変なところで曲がりそうになってダンナが怖い顔をしていた。
朝だから辛いのか、私の情けない運転を見てむっとしたか・・・。(笑)
それからすぐに運転交代した。なぜだろうか、自分が運転すると言いだす。
マックとケンタッキーに寄りその後ダンナの実家に行く。
ダンナは相変わらず長男と趣味の部屋にこもってしまう。
私は姑と次男と一緒にテレビを見たりしてゆっくり過ごす・・・
って私はここに来ても何もやる事がないんだなあと。
結局姑と二人きりになるとダンナの話になってしまうのだ。
「鬱病はどう?」と聞かれたのでありのままに答えた。
私は病気がポイントなのか、不倫がポイントなのか・・・原因がつかめずに居た為、
しばらくの間不倫の方にポイントを置いていて病状をきちんと話していなかった。
なのでダンナが病気である、ってことをかなり強調しておいた。
薬も続けていかなければいけないという事、
調子もあまり良くなっていないという事も。
それにしても私も今日はよくもまあ、自分からダンナの実家にに行く、
と言えたものだ。
もう二度とこうしてダンナと行く気にはならないと思っていたけど
人の気持ちって変わらないようで居て変わるものなのだなと。
全く嫌だとか、悲しいとか全く無かったのである。不思議だけどね。
長男は楽しそうだったけど、次男はたいくつそうだった。
姑と三人で買い物に言ったりしたけど次男はやんちゃで困った。
夜はすき焼き。おいしかった~。
帰りも私が運転していかなきゃなんないかな~と少し憂鬱に思ったら
帰りはダンナが運転してくれた。ダンナはもともと私には無理強いはしない。
なので私は「この間の運転の復習をしなくちゃ!」と高速の走り方などを質問したりした。
そうそう、姑が言っていた、私がこの間帰りに高速運転して帰ったこと、
自分からやろうと努力している事・・・
認めてくれていたらしい話をしていたとか。(笑)
笑えてくるけどちょっと嬉しいような。
それにしても相変わらずダンナが私に対する態度と姑に話す内容には
かなりのズレを感じるが。
帰りに一旦アパートに戻るという、何だかがっくりと来て送っていくから~と
引き止めたら結局泊まっていってくれたけど
それは翌日自転車を取りに行くということだったのに私が気づかなかっただけなんだ。(笑)
夜はいっぱい話しをした。
「自分はまだ病気が治っていなかったんだと思う」と。
「正直、今の生活はとても落ち着くと(アパートに別居)。だけど寂しいけど。
家に帰ってくるとただいま・・・は無いわな・・・って毎回言うよ。って。
(女は連れ込んでないということなのか~?)それでも居心地がいい。」
そりゃあ何もかも新しくて居心地がいいだろう。
居心地良すぎると余計帰りたくならないだろうなとちょっと不安になった。
冗談で今まで言おうとして言えなかったことをちらっと私が言う。
マンションの広告を見て「もしマンション買ったら一緒に暮らす?」と。
そんな金ないだろ~と言う。
私はもしもだけど・・・
ダンナがよければどこかに引っ越してそこにダンナの自分の部屋を一部屋作れば。
こもりたいときにこもればいいし、朝まで起きてたっていいし好きなようにすればいいし。
ダンナは否定はしなかった、だけど一緒に暮らすのがまだ「怖い」と言った。
怖いというのは私が昔妊娠中にお互い理由は忘れたけど
ダンナが切れて扇風機を投げた。
それで私が過呼吸を起こした。それがひっかかっていて
またそうして自分がキレたらと思うのが怖いというのだ。
意外だった。まあそれだけでなく、気の弱い人間でまた失敗して
自分がおかしくなるのが・・・そして私から冷たくされるのが怖いのだろう。
たまに来て子供達も優しく接してくれるから嬉しいらしい、
それを聞いてまだまだ病気だなあと思ったけど・・・。
そんなこと考えるのはやはり普通の精神状態では無いから。
怖いから暮らせないなんてねえ・・・。
私がいつもいう「逃げ」と言う言葉に凄く反応していたようだ。
だから私はフォローした。あなたは「逃げ」という言葉を凄く悪く受け取っているけど
私はそう思っていない、「逃げ」も大切なことだし、
それを悪い事だと罪悪感を感じる必要も無いと。
誰だって逃げたくなる事がある、私だって。
「うまくまとめてくれたね~」と言っていた。
「母親に甘えたいと思った事が無い」と母親の話をしはじめた。
母親に甘えたくない子供なんているはずがない。
ダンナは「生まれたときからどこかおかしかったのかもしれない・・・」
のような事を言っていた。
自分でもおかしいと感じる部分に気づき始めたのだろうか。
私にはその原因がどこのあるのか、特定しようが無いのだけど。
とにかく、父親からは相手にされず、母親も寄るな、と言われ
ダンナは歪んでいったのかもしれない、
甘えたいと思った事が無い・・・というのは
「甘えたいのにそう思ってしまったんじゃない?」と聞き返すと
そうかもしれないねと。
中学校のときに、母親が急に子供連れて内海?の方に遊びに言って
帰りに金山駅で「二人で家にもどりなさい」と言って子供たちを置いて
母親が消えてしまったそうだ。
ダンナは弟を連れて家に戻って父親はそれを聞いて真っ青になり探しに出て行った・・・
しばらくして父親は母親を連れてもどり、家族で泣いたと・・・
前にもほんのちょっとその話を聞いていたけど具体的に聞いたのは今回が
はじめてかもしれない。
その頃から更に母親と自分の距離が広くなった気がすると。
その時に母親から捨てられた気がしたのだろう。
母親から見捨てられると子供は深く傷つくのだ。
そんな話をずっとダンナとしていた。
ダンナは私の目をじっと見て話をする、ずっとそんな話をしてくれなかったのに。
急にどうしちゃったのかな、病気が少しでもよくなってきているのかな、
私の事に関しては「完璧な人間はいないよ」と何度も言っていた。
ダンナがそれを私に求めていたのに。
なんでそんな事を言ったのか今度の機会にまたそのへんの心理を探ってみよう。
聞き忘れたのだ。
「あなたもおかしかったけど私もおかしかったのよ、私も悪かったの、」
とフォローした。
「でもやっぱり家族は一緒に生活した方がいいと私は思うよ」と言った。
「急がないからさっき言った事は少しずつ考えてみて」と。
どちらの言葉も否定しなかった。
こうした別居生活をしていること、ダンナははっきりと
「馬鹿なことをしていると自分でもわかっている、馬鹿なことだけど・・・でも怖いんだよね」
と言った。
自分でもばかげているとわかっているようだ。
だけど家にもどるのがまだ怖いというのもわかる。
今日のダンナの話はなるほど・・・と理解できることばかりだったので
嬉しくて涙が出た。嬉しくて。でもやっぱり病気なんだなあと思い知らされた。
人格的にやはり歪みがある。でもそういうことだったのだ・・・と理解も出来る。
やはり自己愛性人格障害だなあと思い知らされた。
それでも何かわからない漠然としているものにくらべて
はっきりし始めているという事は私にとってはありがたいことだった。
たくさん喋りながら・・・本当に色々と話をしながら眠ってしまいました~。
同じオーラを感じた人。
昨日旗当番の旗を持ってきたパパさんだ。
これで2度目か3度目だ、私は奥さんが仕事忙しくてずっとやってあげてるのかなと
素晴らしいご主人だと思っていた。
けど何だかあるオーラを感じていた。
共通のオーラというか普通の幸せなパパのオーラではないものを。
私はこの夏少し成長したのだろうか、
今まで見えなかったことが色々と見えるようになった、
そうしてこのご主人からは同じオーラを感じていたのだ。
そうしたら今日長男の同級生のお母さんが教えてくれた、
そのパパさん、離婚したんだってって。
しかもその人の奥さん、知っていただけに驚いた!
奥さんは小さい頃子供を公園によく連れてきていた。
目のくりくりした少し大柄なおとなしい感じのお母さんだった、
ええ!あの人が離婚したのか!とびっくりした。
今、そのパパさん、社宅に3年生の息子と二人で住んでいるらしい、
下にもう一人女の子がいたそうだけどその子はお母さんにひきとられ
遠くの実家に帰ったそうだ。
息子の方は自分から「お父さんと暮らしたい」と言ったそうだ。
2~3年くらい前らしいんだけど、その当時、母親より父親を選んだ息子って・・・。
どちらに原因があったのだろうか。妙に気になってしまう。
父子家庭だから本当は交通当番も免除のはずだけど
あえてがんばっているそうだ。
凄いなあ~。うちのダンナに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいな。
パパさん、いつもスーツ姿なのは交通当番やってすぐに仕事に行くからだ。
本当にすごいなあ~。
なのに私は毎回セールスと間違って冷たく対応してしまうのだ。(笑)かわいそうに。
今度はちょっと話しかけてみようかしら。下心みえみえかな。
結構若かったと思う、スーツ姿、
うちのダンナはあまり最近じゃスーツ着なかったから
とても新鮮でやはりスーツ姿の男性ってセクシーだなと。
夫婦っていろいろなんだあ。
やはり子育て時期ってのは夫婦のデッドゾーンなのかもしれない。
この時期、子育てで夫をきちんと見れない妻、そして
そういう妻に寂しさを感じるおこちゃまな夫。
そんな隙間風に入り込む悪魔達。
そういうことなのかな?
悪魔とはもちろん異性もあり、精神的な落ち込みもあり・・・。
最近ダンナは落ち着いているので私も落ち着いていられる。
今日は朝ゴミを出しに言ったら早速ダンナが自転車でやってきた。
私は何事もないようににっこり笑顔。
ダンナは年賀状の事を引きずっているのか顔はこわばっている。
本当に気の小さいと言うか、バカみたいな性格だね
。子供だよね情けない。
釣りに行くので車を借りていいかと。どうぞ行ってらっしゃい~とにっこり手を振る。
夕ご飯は?と聞くと食べると言う。
じゃあね、とあっさりと別れた。
私は今日は仕事だったけどとても忙しかった・・・。この頃忙しくて辛い。
でも何だか朝のダンナへの対応のせいか、何だか楽しい気分でした。
私が買い物をして5時ちょっと前に到着するとダンナも同時に釣りから帰ってきた。
思ったより早く戻ってきてちょっとびっくりした。
帰ってきたのに気づいていたけど知らん顔する。
ご飯の支度など、私は慌しく過ごす。
テレビを見ながらあれこれはなしたり笑ったり。
今日の私はいつもよりそっけなく対応した。
陽気に、そしてあっさりと。
風呂に入っていったら?も泊まって言ったら?も今日は無し。
・・・もう期待しないとあきらめたら何だか楽になったんだよね。
毎回毎回・・・何か言ってくれることを期待して・・・
ダンナの言葉一言一言じっと大切に待った。
でもあんな男に何が言えるか。
まあそれだけの男だったのだ。価値も無い。
だから逆に楽になれたのかも。
夜9時過ぎぐらいにじゃあねばいばい~とそっけなくした。
そして帰っていった。
今日は不思議と悲しさとか寂しさはこみ上げてこなかった。
私も何か変わってきたのかな?
男と女ってそういうものなのかな?
追えば逃げる、逃げれば追われる・・・。
わからんけど多分ダンナは女とは切れたのだろう。
そんな気がする。でもまあ、切れてないと癪に障るから
あまりそう思わない方がいいけど。
そうしてこちらに向き直ったらもう私は興味が失せたのかもしれない。
よくわからないけど。安心?よくわからない。
これからどうなっていくのかわからない。
でも私が悟った事は正直者はバカを見るということだ。
女は小悪魔じゃなきゃいけないのだ。
男を手玉にとって・・・もらえるものはとことん吸い取る!
私はこれで行くと決めたのだ。
そしてアメとムチだ。
私が今まで甘かったのだ、バカ正直すぎたのだ。
私は自分は絶対浮気をしないと決めた・・・だってもし裁判になったら不利だから。
でもあることを知った、
夫婦関係が破状してからの不倫関係は批難されない。
ダンナの場合は夫婦として生活していた時も別居してからもその関係があった、
そして証拠もあるわけだから完全に慰謝料の対象になる。
私はそうして万が一裁判になったとき不利になると思ったのだけど
別居後にそうなった・・・しかも別居は勝手に出て行ったわけなので
私の不倫は許される可能性が高いのだ。
この先どんな良い人と出会ってもそういうことは子供の為にしないと決めていた。
だけど私はまだまだ人生この先長いのだ、何があるかわかんないよね。
良い人にまた巡り合えるかもしれないのだ。
だから絶対恋をしない!と思うのはやめた。
結婚してから、子供が生まれてから自分は女として生きていなかった気がする。
母親として生きていくということに必死すぎた・・・正直すぎたせいだ。
私は女なのだ、女として、自分としてこれからは生きていこう、
そして良い人が現れたら素直に自分の気持ちに従って生きていこう。
人生はまだまだ長いのだ、楽しい事もこの先たくさんあるのだ。