心の平和を求めて・・・

夫と別居中→調停離婚成立。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との戦いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の元夫との戦いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

気に入らないメールには返事をしない。

2006-01-05 23:48:11 | 

ダンナに「週末カラオケに行くからいないかもしれない」
とメールしたらやっぱり返事はこなかった。

ダンナは自分が気に入らないと返事をしてこない。
そのくせ自分がメールした内容に、こちらが返事をしないと激怒する。
なので私のメールに返事をくれないことはかなり多い。

あいかわらずだ、私が楽しそうにしていると気に入らないのだ。
病気だから仕方ないけど。

夜寝る寸前に精神的に不安定になり、デバスを飲んで寝た。

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ダンナの奇妙な正月。

2006-01-04 01:10:21 | 

正月はしんどいような、またちょっと良い方向に向かったような・・・
まあよくわからないけど疲れたのには変わりない正月でした。

まず、ショックだったのはダンナ、自分の実家に行かないと電話しておくと言って
結局しなかった事、
31日になってまだ電話していないとぶつぶつ言い訳をした。

あきれたけど我慢、そこまではまだ良かった、
ダンナが長男に「電話をしろ」と言い出した、
「1日は行くけど2日に○○(私の実家)行くから泊まらないからと言って」と。

私がそれじゃまた私のせいにされちゃうじゃない、やめてよ、というのに
無理やり長男に電話をかけさせる。

長男が「1日は泊まらないからね」と言うとダンナは長男から受話器を取り上げて
「だって」と一言。
なんじゃそれ!私は凄い腹が立った。だけど我慢・・・
むちゃくちゃ腹が立って。

ダンナも電話切った後私の顔色でわかったのだろうけど
わけのわからない気の遣い方をした。
テーブル持ってきたり、慌てて風呂に入る用意したり・・・
でタバコを買いに行くと出かけた。逃げてった。

私は腹が立ったので隣の部屋で一人テレビを見ていた。
ダンナが何度か様子見にきたけど愛想笑で返す。
ここで逆上してももう何も良い事は無いとわかっているのでもう何も言うまいと。

もうはらわた煮えくり返るくらい腹が立っていた。
私が何をしたっていうのさ。
自分が親に本音で向き合えないにしても私を巻き込まないで欲しい。

それに関しては1日ダンナの実家に行った時にしっかり言い訳しておいた。

「年末大変だったんですよ・・・行かないって言い出して・・・」と。
昨日の電話も私のせいみたいにされちゃって・・・と涙ながらに演じてみた。
ざまーみろ!

何だかわかんないけどダンナ、「よし!きめたぞ!みんなに宣言したぞ!」と
なにやら意気込んでいる、
私は家族を大切にすることを決めたと思いきや、

「今年は仕事の部署を以前いた部署に戻るのを目標に頑張る!」と決めたらしい。
姑も私もあぜん。(笑)何かダンナはずれている。今に始まったことじゃないけど。

まあ、ダンナの中では今の部署が掃き溜めってのがコンプレックスなんだろうな。
だから姑がいる目の前でダンナに聞いてやった、
「○○課が掃き溜めって意識はお父さんもそうなの?そう思っているのは
 もしかしたらあなただけじゃないの?」と。
「だって○○課は病人ばかりだもん」と。

ひゃはは。私は分相応だと思う。その職場。姑も無言・・・。

あちこち部署を変えるより、人脈を作るとかその場所で頑張るのが大事じゃないの?と
姑は言う。私もそう思う。
ダンナはあっちでだめ、こっちでだめと結局何が悪いのかわかっていないのだ。

何処でも通用しない人間は何処へ言ったって所詮ダメなのだ。
分相応とか、そういうものを受け止めない人間はダメだと思う。
みんなダンナのそうした態度に何かズレのようなものを感じたことだろう。
キチガイめ。

1日はダンナの実家に着いた時、入りにくそうにしていたけど
その後は酔っ払っていい気分だったみたい。
バカみたいな男だね。

私達は母子3人の生活に慣れていたけど正月ダンナが居る生活、私自信は多少窮屈だった。
でも窮屈なのは家族を持つ妻が誰もが感じるものだ。
どんな家族だって。私だって今までそうだったのだから。
翌日、ダンナに一応私の実家に行くかと聞いてみたら「まだ敷居が高い」という答えだった。
一つ一つ解決していけば楽になるんじゃないの?行ってみたら?無理じいはしないけどと。
やっぱり行けないと。特に言う事も何も無いと。
いつまで逃げているのか知らないけどね。

結局子供達と私の三人で実家に帰る。まあ私もそのほうが気楽だったし楽しかった~。
残念だったのは弟が仕事だったのでカラオケいけなかったこと。
また後日集まろうということになった。

ダンナは3日まで自宅に居て4日にアパートに帰って行った。
1日、2日と夜は子ども達がみんなで寝たいというので狭い部屋に4人並んで寝た。
まあ私は大勢の方が安心するので落ち着いたけど毎日は無理かも。
3日の夜も私は眠くて寝てしまい、ダンナとゆっくり喋る機会は無かった。
4日、やっとのんびりできる一日だった。ダンナを仕事に送り出し、一寝入りした。
遅くに子供達と起き出してビデオを見る。
のんびりできる幸せな時間だ。
夕方やっと動き出して買い物に行ってついでに何か食べてこよう、と思ったら
ダンナからメール。
もう今日はこないと思ったのに・・・
御節で残ったなま物をどんぶりにして食べようと。
ネギトロ買って行くからと~。

まあ残り物さらえてくれるのは嬉しいがまたどういう心境だろうねと。
で、買い物して子供達はお年玉で好きなものを買い慌てて色々買い物をして家に戻る。
ダンナは暇だったらしく6時に返ってきた。
「今日はビールいらない、帰って制服とかアイロンかけないといけないので」と。
子供達はまた今日もみんなで眠れると喜んでいたのに・・・。
私はでも半分ほっとしていた。気が休まらないから。

そういえば姑も言っていた。
それまでは私に対して、中心になって家のことを考えろといい続けていたのに
この間、今度はダンナに家のこと考えてもらわないかんね、と言い出した。
私もダンナが何かを決断して何かを言って来るまで何もしないことにした。

次はまた週末だろう。そのほうが私もほっとする。
もうダンナが居ない生活にも慣れてしまったから。
年末の事以来私はダンナに笑顔をみせられない。
何か聞かれてもぽつりぽつりと答えるだけ。

この間までのように頑張って笑顔を作る気になれなくなってしまっている。
あまりにも腹が立って。普通に対応しているだけが限界だ。

色々考えてみた。ダンナはどうしてこんなに当たり前のように家に来て
何もしないで平気でいるのかと。
もしかしたらと思う、私は良い方に考えていたのだけどそれは違うのかなと。
ダンナはもう本当に今でもやり直すつもりはないのだ、
だけど子供の事を考えて仕方なく家族ごっこをしてやっているのだ、
してやっている、という気持ちだから何もしないで平気でいるのだ。
・・・と考えてみた。
そう考えると私の頑張りはとてもむなしくなる。
でもそうだとしたら私への接し方は嫌々って感じではない・・・
よくわからんけどそうじゃなさそう。

では私がずっと思っていたように反省しているけど帰れない…帰りたいけど今はまだ帰れない・・・
という事だろうか?それは私がそう思いたいだけのような気もする。
そう思えば私は嬉しいけどそうじゃなかった時は悲惨だからそう思わないほうがよい。

この先どうなるんだろう・・・だけど今はダンナに不安にされない分、
安定した気持ちで居られる。

またキチガイ発作がいつか現れるに違いない。
そう思うと怖いし、私は色々なトラウマを抱えすぎちゃっている。
この先一緒にやっていけるのだろうか。今の私は自信がなさ過ぎる。

ダンナが私に本音を話し、そしてきちんと謝罪して・・・
そうしたら私のトラウマは消えるだろう。
でもその日がくるのかどうかわからない。
今はまだ私はダンナを恨み続けている。

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