はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
本日、財産分与分が振込された。急いで入金してくださったようだ。
私は根っからの貧乏性なので、
実はこれほどの金額(人から見たらそんなに大した金額ではないかもですが)が口座に入ったのを見てなんだか落ち着かない気持ちになった。
前日から、振り込まれたらどうしよう…と実は眠れなかった。
もちろん以前銀行員の頃、何億という現金は見てきたけどそれは人のお金。自分のお金としては本当にお金なかった、いつも親とかダンナ、子供達のために使ってピーピーでした。
本当に入金になったのを見て、なんだかバチが当たりそうな気がして落ち着かない。
やっぱり私には貧乏が似合っている気がする、生きていくだけのお金があれば、それを稼いでいくことができれば、それで良かったのだ。
さて、どうしたら良いのだろうか??誰かに相談してみることにする(笑)誰に??(笑)
実は息子達の奨学金返済は、苦労かけたからどうしても返済してやりたい、と言いながら本当は大金入ってバチが当たるのが怖くて息子達に分散して気持ちを落ち着かせようとしている気もする。
昔、藁にもすがる思いでいくつか占いに頼ったことがあった。
どの占いも後半が運が良く、金運も良いと出ているのだった。当時本当に苦しかったから、それをいつも励みに生きてきたけど、占いは当たったようだ。
でも何よりもこれから穏やかに生きていけることがいちばんの願いです。
これからも山歩きを楽しんで、いろんなことを楽しんで生きていこう。
振り返ると本当に苦労ばかりだった。よくもまあこれだけ苦労してきたなと自分でも今更思う。(笑)お願いだからもうこれ以上悲しいことが起きませんように。
あと残すは年金分割の手続きのみとなりました。
こちらは戸籍が反映されるのに
2〜3週間はかかるとのことなので来月に入ってからになります。
調停最後にいろいろなことがスムーズに進んで本当に良かった。
そういえば、調停では私のような熟年離婚の人には会わなかったな。
待合室ではみんな弁護士と一緒だったけど、若い人が多かった。それがちょっと恥ずかしかったなぁ。
若い頃に決断するのか、熟年まで我慢してしまうのか、どちらがいいとも言えない、結局はタイミングなのかもしれない。
一つ言えるのは、相手がお金持っているうちに決めるのがいいのかもと。(笑)
本日、有休もらって離婚届を提出してきました。地元の市役所でも良いのかもしれないけど
何年も前に出した離婚届不受理届の取り下げが必要となるかもと思ったので
念のため朝早くから、元ダンナの居住地でもあり当時無理やり本籍地にさせられた某市の市役所へ出向きました。
実際には不受理届については何も聞かれず、書類提出も不要でした。
まあ提出した本人だし、調停離婚の調書があるからなのかもしれませんが。
調停離婚では、成立した調停日が離婚日となりますが、その後調書を持って10日以内に離婚届を提出しなくてはなりません。離婚届には相手のサインや印は不要です。調停離婚は私だけで出せるのです。
私は以前住んでいた市で離婚届をもらっていて持っていたので「○○市長殿」を二重線で消し書き直しました。訂正は全て二重線のみでOK。
一つしまったなあと思ったことがありました。
離婚時に新しい住所が既に「附票」というのに記載されてしまっていたことを知りました。
住所変更する時に戸籍の移動も考えればよかった。一度移動していればそこから住所がわかる事はありません。
それでも今後、戸籍がそのままである息子が一緒に住所変更すれば結局わかってしまうので、
もしかするとすでに住所はあちらに知られている可能性もありますが、
まあ元ダンナが何かしてくることは多分ないと思います、ちょっと不安ですけどね。
そこまで考えが及ばなかった。もしもダンナさんに酷いストーカーを受けている人は
住所変更時には戸籍の移動を先にするようにして(しかも戸籍は住所とは違う場所に)
充分気をつけて下さいね。私は気づいたのが遅く、一応直前で新戸籍は実家の住所にしてもらった。
長男と一緒の場所に住所変更をしたことになってはいるけど、今回戸籍は実家にしたことで
私だけが実家に戻って住んでいると思うかもしれない。(笑)今更できることはそのくらいだ。
それにしても離婚してもついて回るこの戸籍制度なんて本当に厄介なものですわ。
これ必要なんですかね?結局全てはこれに振り回されているような気がします。
そして受理されたことを弁護士さんにメールで報告した。
どんな結果になっても離婚ってしんどいんだろうなぁと覚悟はしていたんです。
調停で心が疲弊するだろうし、たいしたお金なんて結局もらえないだろうし
心は傷ついて一生後悔背負って生きていくのが離婚なのだと思っていました。
ところが、まさか、こんなに自由で気持ちがスッキリするとは思いもよらず(笑)
本当に離婚して良かったと思っています。逆にこのままだったらと思うとぞっとします。
実はほんのちょっとでもきっと後悔は残るだろうと思ったけど、財産分与も年金分割も希望通りになり、一つも後悔はありません。
きっと今だったから良かったのかもしれない。少しでもタイミングがずれていたら何かしらの蟠りを残して終わらせていたかもしれません。全てがうまく進んでラッキーだったのかもしれません。
お金のないダンナからしっかりお金を取るにはやはりタイミングが大切。
第一のタイミングは退職金をもらう時、そして大きなお金が入る時だ。
やっぱり女性の方が有利だと思う、みんな女性の味方、とくにモラハラ夫だとね。
調停委員さんも平等と言いながらやっぱり苦しんでいる人の味方をしてくれた。
本当に感謝したので何か手紙などを出してお礼を言いたいと思ったけど
基本、調停委員というのは平等なものだそうで、そういうのは迷惑になるそうだ。
これから幸せに生きていくのがお礼になればいいな。本当に良い人達だったので。
夕方、弁護士さんから費用の精算、弁護士費用の連絡が来た。
その分を差し引いて後日振り込みしてもらうことになっている。
送っていただいた明細にきちんと目を通し、全て承知致しましたと返事をする。
弁護士さんには何度も何度もお礼を言っても足りない気がするけど何度もお礼を言う。
本当に感謝でいっぱいだ。
これで私は本当に心の平和を取り戻すことができました。全ての助けてくれた方に感謝。
私は自分のことで必死でそれどころではなかったとだけど、自分なりにはアドバイスを続けていた。
長男は大学卒業後、ずっと働いていた仕事を辞めたいというようになった。
働き始めた頃から
「どうもこの仕事は自分に合っていない気がする」と言っていたけど6年ほどになってもそれは変わらないという。
最初は若い人が簡単に言う辞めたいって軽く言うやつだと思っていたけど、どうやらちょっと違うのでは?と思ったのはごく最近だった。
辞めたい時、人は色々理由をつけるものだ、そして親なら余計に息子のかたを持つものだ。
でも色々話を聞いていると何だか違うと気づいた。
どうやら息子はモラハラ•パワハラを受けているようなのだ。
それでも本人は「自分が悪いのだから」と仕方ないと言うのだった。
長男の仕事はある設計の仕事で忙しい時はずっと残業続き、その上ミスが多いと指摘され、評価を下げられ給料を下げられそれでも毎日残業しないといけないくらい忙しい。
職場もかなり遠くて通勤に時間がかかるのに高速代が出ないと言う。
定期的に面談があり「このままでいいのか、これからどうしていくのか」と責められミスするたびにひどく責められているようだ。
長男は自信をなくし、土日も疲弊して出かけることも少なくなりずっと寝ているようになった。
それでも一生懸命自分がダメだから、と頑張ろうとする。
他の会社で働いた経験がない長男、かなり精神的に参っていても頑張るしかなかった。
最近では朦朧として何も考えられなくなることがあるという。
私はそんなところで頑張る必要はないと言った。仕事を探せばいいと。しばらく休んでもいいんだよと。でも今の仕事をどうしても辞められないと言う。
もう完全におかしくなりかけている。
まだ長男は私に話をしてくれたからよかった、一人で抱えていたら本当に病気になっていただろう。
それでも珍しく長男は転職フェアに自分から行くと言い出し出かけた。そこで良い縁があった。何となくそう感じるような。それで転職先が決まった。
そして長男は会社の面談で辞めたいと伝えた。
その面談は、定期的に長男を責める面談なんだけど、思った通り、そこでかなり引き止めが入ったようだ。
給料をあげてやるから、評価を上げてやるからと急に手のひらを返してきたのだ。
辞めてどうするんだ、お前みたいなのはどこへ行っても通用しないよなどと。
思った通りだ。長男もやっとそこで気づいた、ここにいてはいけない、無理だと。
そうやって下の者にプレッシャー与えて安い給料で無理を押し付ける会社がまだ存在するんだなあ、面談の時にボイスレコーダー持ってって録音しなさいと言うとそういうところはしっかり録音機器の持ち込みを禁止しているのだ。
私の調停の終わり頃だったので弁護士さんに相談しようか迷ったけど、洗脳から覚めた長男は何とか自分で動くことができた。
何を言われても迷ってはダメだよ、人を大切にしない会社は変わらんよ、何を言われても「辞めます、もう無理です」をずっと繰り返して言ってなさいと(笑)
毎日辛そうだったけどまだ長男には戦う気力が残っていた。
そして何とか辞める方向で進み出した。会社は何とか来年3月まで…などと言ってくる。
そんなに大切なら何故責めたり無理を押し付けた??何故もっと人を大事にしない?
むかつく。
結局、メンタル面の不調を前面に出したら引き止めはなくなった。諦めたのだろう。
長男が話してくれてよかったとつくづく思う。
こう言うことは一人で抱えていては絶対いけない誰かに話せば、スッキリするだけでなく、道が開けることもあるのだ。
自分が悪いと思わされて責められるのはパワハラだ。
昨日、最終面接で採用が決まった、今の仕事のことを話すと辞めるまで待ってくれると言う。
新しい会社がどんなところかはまだわからない、それでも今のままでいたら病気になってしまっただろう、長男が動き出せたことで良い方向に進むといいなと思う。
調停が終了してあと、残る手続きは↓
①離婚届を本籍地に提出する
②弁護士報酬を差し引いた金額が振り込まれる
③年金分割の書類を年金事務所に提出する
④奨学金を全額返済する
とりあえずやるべき手続きはこの4つとなった。
①は、結婚時にダンナに強要されてダンナの実家が本籍地となった為、戸籍が必要な時とか面倒で困った。
何より嫌だったのは住所が超、田舎住所。(笑)
大字、字はもちろん、群、山、村、新田という名称てんこ盛り。見ただけで田舎だあと思える住所だった。
何で引っ越した場所を本籍地にしないかなぁ?当日そう話したけど何だかそうなってしまった。おかげで最後まで面倒だったよ。
離婚届手続きに必要な調停調書はその日のうちに発行され、翌日弁護士事務所へ受け取りに行ってきた。
離婚届用•年金分割用•自分の控えの3通をいただいた。
会社には調停のことも話してあるので、来週有給をもらいその田舎の(笑)役所に届けにいくこととなった。
②は、最初にいただいた料金の表から計算したところ、支払うべき成功報酬は、思いがけず旦那が最後に分与分を値上げしてくれたことで成功報酬額も値上がりする。(笑)
予想では100万ちょっとになるだろう。諸経費の精算も多少あるのでもう少しかかるだろう。
明細を後日郵送で送るとのことだった。ちょっと怖い〜。
成功報酬はそれなりに高額かもしれないけど、弁護さんは本当に、とても頑張って下さった。
あの弁護士さんがいなければこの額はもらえなかったのだから私は納得している。
本当なら弁護士事務所じゃ無くて弁護士さん本人にそのままあげたいくらいだ。
③は、離婚届を出してから新しい戸籍が反映されるまで1週間ほどかかってしまうことがあると。
年金分割は2年以内に手続きすればいいのだけど、弁護士さんが、
「旦那さんが死んだら無効になってしまうので早めに手続きしてくださいね」と言われた(笑)
弁護士さんのあの可愛らしい笑顔で言われたのがなかなかブラックやなぁと面白かった。(笑)
手続きした後にモトダンナが死んだとしても一生減額されることはないそうなので。
モトダンナが死ぬ前に急いで手続きしないとね!(笑)
④については当初から考えていたこと。
子供達に苦労をかけてモトダンナが動かなかったから子供達に奨学金を背負わせることになった。
弁護士さんは子供が払うのが当たり前ですよ、と言ったけど私はどうしても返してやりたいと思っていた。
それだけは決めていた。
調べてみると、奨学金は親が返済するのに贈与扱いとなるそうだ。
110万を超えると贈与税がかかるなんて、貧乏人の私には考えられなかったけど、一度に返すのは諦めて、今年と来年に分けて返済することにした。
後日、奨学金について家族会議をおこなうことにした。
調停中、モトダンナに奨学金の返済について話したが、モトダンナの心には響かず、
「そんなものはそっちが払えばいい」と冷たく言われた。」情けないな。
さっさと色々終わらせたいのにここまできてまたジワジワ進むしかない。
それでももう不毛な出来事はこれからは一切無いのでまあのんびりとすすめることにします。
ここのところ、心が軽い。
心の底から自由を感じています。