ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

令和初のシビレる言葉3

2020-05-31 13:36:00 | 日記
甲斐バンドの同期…デビュー45周年のTHE ALFEE
高見沢俊彦さんへのインタビュー記事を読むと…
「ハードな活動を支えるのは、体力トレーニングや食事の配慮など
ストイックなまでの自己管理」だそうで
「昔なら酒を飲んでも翌日は平気でライブが出来たけど、今は無理ですから」と高見沢さん

甲斐さんもライブの疲れが残るようになられ「何でも体力だと思う
才能があっても、体力がないとダメだね
そのために、食事もダイエットするし、水泳もやる
毎日の行動も自然とステージのためのベースになってるんだ」
…と、27歳くらいから、ジム通いをお始めになったことを明かされていたし

また「ヒットが出ないまま、先に盛り上がって来たのがライブだった」のも甲斐バンドと同じですが
曲作りに関しては「教師だった父の影響で
ドストエフスキーや萩原朔太郎などを乱読」なさったため
「歌は文学には敵わない」とロックの聴き心地や幻想性を好まれたらしく

「全てをさらけ出そうと決めて曲を書いた時に
本当のプロになったと思った」甲斐さんとは違っておられたようで
「20代後半になってもブレークせずに大学に通い
全てが中途半端だった自分たちの応援歌」として「夢よ急げ」を書かれて初めて
「内省的に掘り下げてこそ、聴き手に響く歌もあると知って、スタイルに加えて行った」んだとか…

で、2000年以降に行なって来られたテレビ出演やクラシックとの共演などの
「様々なソロ活動は全て、刺激や発見を持ち帰り、アルフィーを長持ちさせるため」というのは
「甲斐バンドをひと回り大きくするため」にと
初のソロアルバムをリリースなさった時の甲斐さんと同じ思いでしょうし
やはり、アルフィーのリーダーは高見沢さんなんだなあと…

ともあれ…「才能」という目に見えないものが
「果たして自分にあるのか?」と不安を覚える方は少なくないみたいで
「エール」の中で、森山直太朗さんが演じられた裕一の恩師・藤堂清晴先生は
「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単に出来ること
それがお前の得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ。必ず道は開く」と励まし

十代目 松本幸四郎さんは…「20歳の頃、正座が辛いことがあった、声も出づらかった
自分の理想とする姿との開きにも悩んだ
『向いてない、辞めたい』と悩み抜いた挙げ句
『歌舞伎が好き』という一点で一番になろうと思って吹っ切った」…と話されていて
「どれだけ好きでいられるかも才能なんだよ」という甲斐さんの言葉を思い出していたら

宮下奈都さんの小説「羊と鋼の森」の中でも…
調律の仕事の難しさに怖じけづき「自分には才能がないのではないか?」と悩む若者に
ある先輩が「才能は必要に決まっている
でも、才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか」と告げると
若者は、才能のようなあるかないか判らないものじゃなく
「もっと確かなもの」を探りあてて行こうと決心するシーンがあるらしく
「好きこそ物の上手なれ」というのは真理なんだと改めて納得しました

ただ…「好き」だけで、才能を開花させるのはもちろん
その後もずっと、その「好きな道」で活動を続けて行くことが簡単な訳はないし
歴史社会学者の筒井清忠さんは「結局、人の仕事は、若い時に与えられたものを
一生かけて導くということなのかと、この頃ふと思う」とおっしゃっているんだけど

これは「10代の終わり頃、ある本に描かれていた情景への漠然とした引っ掛かりを
ずっと手放さずに、あれこれ調べ、考え詰める作業」を続けて来られた結果「ふと」思われたようで

「若い頃は、いつでも辞めてやると思ってた」甲斐さんが
「40歳を過ぎてやっと天職かも知れないと思い始めた」ことや
「とにかく目の前の山を全力で登って来た」と話されていたことを思うと
「企まずして」結果がついて来たというか
夢中で取り組んでおられる内に「ふと気がついたら」歳月が流れていたということじゃないかと…?

もっとも、元書店員でいらした矢部潤子さんが
ご自身の著書「本を売る技術」についてのインタビューで
「本の置き方というのは子育てみたい」とおっしゃった時
出版担当者の杉江由次さんは「『置かれた場所で咲きなさい』ではなくて
『咲く場所に置きなさい』ってことなんですね」と返されたそうですが

これは「本には思わぬ『実力』があったり
じわじわとゆっくり育って行ったり、色んな一生がある
それを守り育てるには『置き場所の見極め』が大事」という意味では「子育て」に似ているものの
「もちろん、本の場合は人生と違い『見切り』というのも必要」と結ばれていて
確かに「人生」は続いて行くけれど
「才能」には「見切り」をつけなくてはいけなくなる方もいらっしゃるんですよねぇ…(汗)

ただ、資生堂のPR誌「花椿」のアートディレクターを務められた
グラフィックデザイナーの仲條正義さんは
「どこか生煮えだったり、あんまり完璧にしすぎないって主義があるもんですから…
整いすぎると次の身動きが難しくなる
わずかな弛みや綻びがあれば、そこに割り切れない思いをそのまま注げる」と

「品の良いレイアウトや流行りものは、あえて斥けることで
時代に添い寝するのではなく、その奔流を巧くかわして」来られたんだとか…
そういうある種「あそび」の部分を「のびしろ」と呼ぶのかも知れないし
甲斐バンドのアルバムのB面のラスト曲には
「必ず『ネクスト』が込められている」という甲斐さんの言葉が思い浮かびました

また、鳥居ユキさんは、デビュー55周年のインタビューで…「振り向いたらそうだった
次を見ていると、あっという間なの
全部が上手く行くことはないけれど、100の内、1か2出来たらいい
欲張らずに、でも情熱を絶やさずに…」と振り返っておられ

甲斐さんと同じく、色川武大さんの「9勝6敗を狙え」…何もかも上手く行く訳はないから
「これを守っていれば勝ち越せる」というフォームを見つけること…というスタイルを
体得なさっている方なんじゃないかと…?

甲斐さんは、ジムに通われることも曲を書かれることも
好きだから、これだけ長く続いた訳で、義務と努力だと思ったら、絶対に続かない
毎日続けて行くってことは、ストレスを残さないことなんですよ

何事も毎日続けるためには、すごく大事なことがもうひとつあって
それは、明日の分量を少しだけ残しておく…これは、作品を書くのも同じでね
全部、その晩に書き上げちゃうと、次の日、何から始めようって感じで
5日間が過ぎちゃうんですよ」とおっしゃっていたけど

脚本家の山田太一さんは、脳出血でお倒れになった際に
ある週刊誌が「事実上の断筆宣言」と報じたことについて
「宣言はしていないと、ハッキリ言いたい」と宣言(笑)

「東日本大震災から5年後の被災者を描いたドラマ『五年目のひとり』が放送されて
ある程度、これで僕の仕事は終わりかなという気持ちもあったんですね
しばらくは仕事抜きで遊びたいなと…」と思っておられた矢先に倒れられ
「いつ死ぬか判らないと実感した」と山田さん

「今でも喋る時に変な言葉が出て来ちゃう
どんどん治っているけれど、ずいぶん時間がかかるのには驚いています
どうなるか、僕にも判らない
もうちょっと待って貰えれば、あと1本くらい書く余裕はあるかも知れないですね

そういうのがないと、これからの人生どうしていいか判んないってところもあるから…
明日死ぬとしても、余裕があったらアレ書けてたなと、僕らの仕事は、そう考えるものです
余白を残しておくためにも、待って貰いたいですね」と話されているし

「僕は、音楽という表現を通して『甲斐よしひろっていうのは何者なんだ』っていうのを
たぶん死ぬまでずーっと探ってるんだよね
それが、ある日、急に判っちゃうのか、10年後に判るのか、あるいは死ぬまで判らないのか
でも、判っちゃったら、音楽辞めそうな気がするんですよね
さっさと詩人を辞めて、アフリカに行って、奴隷商人になっちゃったランボーみたいにね」

…という甲斐さんの言葉通り「もう全てやりきった」と思ってしまわれたら
「断筆宣言」をなさっていたでしょうし
「まだアレ書けてたな」とお考えになったり
それがないと「どうしていいか判らない」というお仕事というのは
やはり「自分探しの旅」なんじゃないかと…?
コメント
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