舞鶴若狭自動車道が無料になったこともあり、兵庫県篠山市を日帰りで観光してきました。
今回もたくさんの施設を回ったので、何回かに分けて書きたいと思います。
まず最初は、篠山城跡です。
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1609年に徳川家康の命で築城され、当初から天守閣は建造されなかったそうです。
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立派な石垣と濠は残っており、二の丸跡には、2000年に再建された大書院と展示館があり、見学が出来ます。
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展示室では、模型やパネル、年表、資料(出土品や巻物・古図など)、ビデオ映像などで、篠山城について解説をしてありました。
大書院では、縁側から各部屋を見学できるようになっています。
お殿様の座る上段の間が一番立派で(本物か複製なのかは分かりませんでしたが)襖絵や屏風、衝立が飾ってありました。
ちなみに他の部屋の襖は全て白無地でした。他の部屋には、篠山藩の出来事がパネル展示してあったり、大書院の大きな模型が展示してあったり、一部屋だけは中に入ることが出来るようになっていました。
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大書院の隣には二の丸御殿があったそうで、地面に石や芝生で区分けして“ここにはどんな部屋があったのか”を平面で復元してあります。
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篠山城の天守閣は、徳川幕府の指示で建築が中止になったそうです。
でも、天守台の石垣は残っています。ここには天守閣の代わりに隅櫓が建っていたそうです。
中止の理由は“城郭が堅固だから”、だとか...。(二重の濠と高い石垣で、“難攻不落の城だから作らなくてよい”ということなのでしょうか。)
天守台からは山々に囲まれた篠山の景色が一望できます。
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今は、本丸跡(天守台の隣)には、篠山城主青山家・十代青山忠俊公と、十八代青山忠裕公を御祀りしてあるという青山神社がありました。
十代藩主青山忠俊公は、三代将軍徳川家光の幼時の教育係で、その育て方の功績をたたえ、十八代藩主青山忠裕公は、篠山藩校の学舎を増やし、教育に力を入れた、という功績でそれぞれお祀りされていて、そのことからこの神社は学問・教育の神様として信仰されているそうです。
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大書院の隣、外濠と内濠に囲まれた三の丸には、小学校がありました。
外濠と内濠に囲まれているので、細長~い敷地の小学校です。
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明治新政府によって廃城令が出され、一時は篠山城大書院も取り壊しの危機にあったそうですが、保存を願う人々の努力によって、この大書院だけが残され、その後は、小学校や女学校また公会堂として利用されていたのだそうです。でも、昭和初期に火災で焼失をし、平成になって再建された、ということです。
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篠山城は、外濠の更に外側に「馬出」という施設が残っていて、東馬出跡は公園として整備されていました。
「馬出」とは、城への出入り口で、凹字型の複雑な形状にすることで、入り難くすることと、戦の時にはここに兵や馬を待機させ、一気に攻め出していく、という目的の施設のようです。
篠山城には3か所の馬出(出入り口)があって、そのうち2か所に、その馬出の遺構が残っている全国でも珍しいお城なのだそうです。
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東馬出跡の濠沿いには、きれいな花がい~っぱい咲いていました。
篠山城には、城内だけでなく、外濠沿いにも桜の木がいっぱい植わっていて、春は桜の名所のようです。
↓詳しくはコチラ
篠山市の公式サイト
篠山城周辺は、有料の駐車場がたくさんありますが、外濠北側の丹波交響ホール・観光案内所・大正ロマン館付近の駐車場よりも、城内三の丸駐車場の方が、駐車料金が安いです。
交響ホール・観光案内所付近は、普通車1日400円ですが、三の丸駐車場は普通車1日200円でした。
ゆっくり時間があるのなら、武家屋敷や歴史美術館にも入館できる四館共通券がお得です。それぞれの施設で、別々に入館料を支払った時の合計額の半額の値段です。
↓四館共通券についてはコチラ
篠山市観光四館共通券についてのサイト
篠山城の観光日記はひとまずここまで。
他にもいっぱい施設を訪れたので、続きは次回。
今回もたくさんの施設を回ったので、何回かに分けて書きたいと思います。
まず最初は、篠山城跡です。
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1609年に徳川家康の命で築城され、当初から天守閣は建造されなかったそうです。
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立派な石垣と濠は残っており、二の丸跡には、2000年に再建された大書院と展示館があり、見学が出来ます。
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展示室では、模型やパネル、年表、資料(出土品や巻物・古図など)、ビデオ映像などで、篠山城について解説をしてありました。
大書院では、縁側から各部屋を見学できるようになっています。
お殿様の座る上段の間が一番立派で(本物か複製なのかは分かりませんでしたが)襖絵や屏風、衝立が飾ってありました。
ちなみに他の部屋の襖は全て白無地でした。他の部屋には、篠山藩の出来事がパネル展示してあったり、大書院の大きな模型が展示してあったり、一部屋だけは中に入ることが出来るようになっていました。
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大書院の隣には二の丸御殿があったそうで、地面に石や芝生で区分けして“ここにはどんな部屋があったのか”を平面で復元してあります。
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篠山城の天守閣は、徳川幕府の指示で建築が中止になったそうです。
でも、天守台の石垣は残っています。ここには天守閣の代わりに隅櫓が建っていたそうです。
中止の理由は“城郭が堅固だから”、だとか...。(二重の濠と高い石垣で、“難攻不落の城だから作らなくてよい”ということなのでしょうか。)
天守台からは山々に囲まれた篠山の景色が一望できます。
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今は、本丸跡(天守台の隣)には、篠山城主青山家・十代青山忠俊公と、十八代青山忠裕公を御祀りしてあるという青山神社がありました。
十代藩主青山忠俊公は、三代将軍徳川家光の幼時の教育係で、その育て方の功績をたたえ、十八代藩主青山忠裕公は、篠山藩校の学舎を増やし、教育に力を入れた、という功績でそれぞれお祀りされていて、そのことからこの神社は学問・教育の神様として信仰されているそうです。
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大書院の隣、外濠と内濠に囲まれた三の丸には、小学校がありました。
外濠と内濠に囲まれているので、細長~い敷地の小学校です。
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明治新政府によって廃城令が出され、一時は篠山城大書院も取り壊しの危機にあったそうですが、保存を願う人々の努力によって、この大書院だけが残され、その後は、小学校や女学校また公会堂として利用されていたのだそうです。でも、昭和初期に火災で焼失をし、平成になって再建された、ということです。
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篠山城は、外濠の更に外側に「馬出」という施設が残っていて、東馬出跡は公園として整備されていました。
「馬出」とは、城への出入り口で、凹字型の複雑な形状にすることで、入り難くすることと、戦の時にはここに兵や馬を待機させ、一気に攻め出していく、という目的の施設のようです。
篠山城には3か所の馬出(出入り口)があって、そのうち2か所に、その馬出の遺構が残っている全国でも珍しいお城なのだそうです。
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東馬出跡の濠沿いには、きれいな花がい~っぱい咲いていました。
篠山城には、城内だけでなく、外濠沿いにも桜の木がいっぱい植わっていて、春は桜の名所のようです。
↓詳しくはコチラ
篠山市の公式サイト
篠山城周辺は、有料の駐車場がたくさんありますが、外濠北側の丹波交響ホール・観光案内所・大正ロマン館付近の駐車場よりも、城内三の丸駐車場の方が、駐車料金が安いです。
交響ホール・観光案内所付近は、普通車1日400円ですが、三の丸駐車場は普通車1日200円でした。
ゆっくり時間があるのなら、武家屋敷や歴史美術館にも入館できる四館共通券がお得です。それぞれの施設で、別々に入館料を支払った時の合計額の半額の値段です。
↓四館共通券についてはコチラ
篠山市観光四館共通券についてのサイト
篠山城の観光日記はひとまずここまで。
他にもいっぱい施設を訪れたので、続きは次回。