のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

のろホセ

2009-02-04 | 音楽
2晩続けてカルロス・クライバー指揮『カルメン』のDVDを見て寝たら
ドン・ホセになった夢を見ました。

・・・カルメンじゃなくてドン・ホセなのかね、のろよ。いいけどさ。

主人公。セビリアの衛兵だったが、美しいジプシー女カルメンに恋して婚約者も生活も何もかも投げだしたあげく、嫉妬と絶望に駆られて彼女を殺す。


思うにドン・ホセの過ちはカルメンに恋したことではなく-----その点は責められません、恋に落ちるということを誰が責められましょうか-----、自らの価値観と実際の行動の間に大きな乖離が生じているのに、そのどちらをも修正しようとしなかった点でございます。
そもそもドン・ホセは竜騎士としての勤めを果たし、許嫁である清純な村娘と結婚して、母親に孝行するこそまっとうな人生だと考えておりました。それがカルメンに心を奪われてからは、脱走兵として、密輸などの犯罪に手を染める身となったわけでございます。
お上の命令には従わない暮らし。そうした暮らしはカルメンにとっては「自由」である一方、ドン・ホセにとっては、卑しいもの、恥ずべきもの、自分の価値観に背くものでございました。そして自らがそうした暮らしを送るようになってもなお、もともとの倫理観・価値観を変えることはなかった。即ち、もとの価値観は保持したまま、生活だけを変えることで、カルメンの心をつなぎ止めようとした。ここにドン・ホセの過ちがございます。

*以下、「善」とか「悪」とか申しますが、絶対善や絶対悪という意味ではございません。全て「ドン・ホセが善と思うもの:例えば竜騎士としての生活、許嫁との結婚、親孝行など」および「ドン・ホセが悪と思うもの:例えば脱走兵としての生活、密輸業への加担、親不孝など」の意でございます。

ドン・ホセは、カルメンへの執着ゆえに行動においては不名誉や悪の領域に踏み込みつつも、心の内には善への忠誠心や憧れを抱いたままでございます。しかし実際に悪を行っている以上、心の内にしか存在しない善でもって自らを責めさいなむことは、その責めがどんなに激しいものだったとしても、偽善にすぎないではございませんか。
行動において(しかも自覚的に)悪である以上、善なる自己イメージなんか捨ててしまえばよかったのに。
逆に、善を志す思いがどうしても捨てられないならば、カルメンとの生活は諦めて、善なる志に即した行いをとればよかったのに。
そのどちらも選ばないまま「田舎の母はどう思ってるだろう」なんてことをうじうじ言ってちゃあ、そりゃ、振られますよ。その上救いなど全然必要としていないカルメンに向って「お前を救いたい、そして俺のことも救ってくれ」なんてトンチンカンなことを言い出す、ああ、まったく、哀れなドン・ホセ。

善きものにあこがれるなら、それに即して行動すればいいし、そのように行動できないならば、善き自己イメージなんか捨てちまった方がいいんだ。そうした方が、自分にとっても他人にとっても断然いいんだ。
中途半端に心の片隅にだけ善を置いておこうなんて、そして自責することで善なるものの裾にぶら下がっていようだなんて、そんな魂胆は実にみっともないことだ、わかっているのかね、のろよ。
じゃない、ホセよ。


ちなみに、のろがタワレコのワゴンセールからひっ掴んで帰った(いや、お金は払いました)カルロス・クライバー指揮フランコ・ゼフィレッリ演出の『カルメン』、例によってYoutubeには全編UPされているようでございます。
字幕はございませんが、とりあえず前奏曲だけでも御覧下さいまし。

指揮台に上るなり、観客の拍手も無視して全力疾走のカルロスさん。
いやあ、かっこいいですね。
ほれぼれでございます。

オリビア・ハッセー主演の『ロミオとジュリエット』や『永遠のマリア・カラス』の監督。