のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『アヴァンギャルド・チャイナ』

2009-02-14 | 展覧会
ピーター・バラカンさんの隣で
炊きたてご飯とお味噌汁の朝食を食べている夢を見ました。

わん とぅー さん しゃいん
た た た た た た た た
ずっちゃずちゃちゃっ ずっ ちゃっちゃたららったーん

それはさておき
国立国際美術館で開催中の『アヴァンギャルド・チャイナ 中国当代美術20年』へ行ってまいりました。



絵画、映像、インスタレーションにパフォーマンスと、表現形態も題材も様々でございます。
その多様な表現のひとつひとつから、力強い印象を受けました。
力強いと申しましても、経済成長を反映したイケイケな活力という意味ではございません。
文革終了後の急速に変化する社会。そのただ中で、流されたり丸め込まれたりすることを拒み、自分と周囲の世界を見つめる誠実なまなざし。そこに見いだされる閉塞感や虚無感、グロテスクなゆがみを臆せず表現する、碓とした反骨精神。
そういう力強さでございます。

絵画作品では、明るい色彩なやわざとらしい笑顔の人物像で強烈な虚無感を表現した方 力釣 ファン・リジュン fang lijunや、古い家族写真をモチーフに、過去と現在の否応のないつながりと断絶とを表現した張 曉剛 ジャン・シャオガン Zhang Xiaogangの作品がとりわけ印象的でございました。

それ以上に印象深かったのは、映像を使った作品でございます。
世界10カ国の市井の老若男女が、おのおのの母語でカメラに向って「私は死にます」と言っては白くフェイドアウトしていく、楊 振中 ヤン・ジェンジョン Yang Zhenzhongの
I will dieには時間を忘れて見入ってしまいました。

洗面器で延々とニワトリを洗い続けたり、壊れた鏡の破片を延々とつなぎ続けたり、身体の一部を延々と掻き続ける映像をテレビに映す張 培力 ジャン・ペイリー Zhang Peiliの作品には、その「延々と◯◯し続ける」っぷりに馬鹿馬鹿しさとそこはかとない可笑しさがございますが、じっと見ていると不安をかき立てられる作品でもございます。
それはこの映像の中の行動が、テレビ等が提示するイメージにあおられるままに行動する私達の戯画であることに、見ているうちにじわじわと思い至るからでございます。本当に必要なものかどうかの判断を放棄して、ひたすら清潔さや完璧さや快楽を求め続ける現代社会。その滑稽で不気味な部分にぐぐっとクローズアップしたこの風刺は、中国の社会だけでなく、世界に向けられたものと言ってよろしうございましょう。

一方、仙人ヒゲの爺様やメガネのおばちゃん、工事現場の兄ちゃんに駐車場の誘導員など、ごく普通の人々が、その人なりにノリノリのヒップホップを躍る軽快な映像作品もございましたし、古き良き上海といった雰囲気のモノクロ映像が、観客をとりかこむ大画面にゆったりと展開するいとも風雅な作品もあったりして、中国現代美術の幅と奥行きを感じさせてくれる展示でございました。

こうした映像作品の中でもとりわけ、ほとんど苦行僧のような 張 洹 ジャン・ホアン Zhanghuan.と両性具有的な馬 六明 マ・リウミン Ma Liumingによるパフォーミングアートの記録映像は強烈でございました。

馬 六明氏のパフォーマンスにのろは大変興味をひかれましたので、氏についてはまた時を改めて取り上げさせていただきたく。

以上、全体としてたいへん充実したいい展覧会だったのでございますが、来場者のあまりの少なさにはちょっと驚いてしまいました。
そりゃ、のろが行ったのは平日ではございましたよ。でもね、同じ平日でもゴッホ展やらルーブル展にはどっから湧いて出たかと思うくらいに押し寄せるあの人たちは、一体いずこへ消えたんでございましょうか?学生だってもう春休みに入っていましょうに、若者たちよ、いったいどこにいるのか?
人の少ない静かな美術館というのは、鑑賞者にとってはもちろん喜ばしいことではございます。
けれども、内容は素晴らしいのにお客さんの入りがあまりにも少ない展覧会にやって来ますと、ちょっと悲しいというか腹立たしい気分に、ならずにはいられないんでございますよ。




ちなみに冒頭でずっちゃずっちゃ言っておりましたのはNHK FMのラジオ番組Weekend Sunshineのオープニング曲、
即ち↓これでございます。

YouTube - Sunshine Day - OSIBISA

途中で「おはようございます、ピーター・バラカンです」って声が入って来ないとなんだか妙な気がします。