ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

コンピュータには知恵が無い

2015-05-06 | 日記

 

近頃、鯉のぼりを滅多に見かけなくなりました。

少子化も続いているようだし、昔ながらの風習も廃れてきているのかもしれません。

そう思いながら買い物に出ようとしたら、玄関受付のところに棹に着いた鯉のぼり。

 

風が強い日など、飛ばされた洗濯物などが、よく置かれています。

鯉のぼりもその仲間、どこかの家のベランダから落ちたのでしょう。

余計なお世話ですが、少しくらいの風で落ちるようでは、子どもはしっかり育ちませんよ。

 

さて、わたしもまだ、青二才だった頃の記憶です。

コンピュータに絡めて、「知識」と「知恵」について、酒を飲みながらの議論。

まだまだコンピュータの草創期ですから、そんな話題になったのかもしれません。

 

「情報化社会」という言葉もまだ生まれていない頃。

といっても、わたしたちの職場の名前には、情報処理という名がつけられていました。

情報を処理する、とはどういうことだ、というのがたぶん議論の発端です。

 

人は、五感で情報を捉え、それを何らかの行動に結びつけています。

その情報というのは、大雑把にいうと「知識」と「知恵」とに分けられます。

「知識」は、簡単に言ってしまうとルール化、手順化、マニュアル化ができる情報です。

 

料理に喩えるならば、レシピに相当します。

レシピがあれば、いちおう誰でも料理が作れます。

でも、それが美味しい料理かとなると、それはまったく別問題です。

 

なぜなら、そこに「知恵」というものが介在してくるからです。

ところが、この「知恵」は体系化も手順化もできません。

できないのだけれど、人間の行動を意味づけるのはこちらのほうなのです。

 

これまた、料理の喩えでいうなら、「腕前」ということでしょうか。

料理上手な家庭の奥さんやプロの板前さんの「腕前」・・・・ですね。

ノウハウや勘と言ってもいいでしょう。

 

こんな云い方もできるかもしれません。

「知識」の蓄積はアタマだけですむ。「知恵」は、アタマとカラダを使います。

だから、子どもの教育も、アタマとカラダの教育、どちらも大切なのでしょう。

 

コンピュータが「知識」を肩代わりできても、「知恵」は肩代わりできない。

それがその時の議論の結末だった気がします。

思い出しながら帰ってきたら、鯉のぼりはなくなっていました。

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