まだ、連休中の人がいるのかもしれません。
昨日のテクノのパソコン利用相談、来場者が6名と少ない状況でした。
そのほかに従来のルールだと思って来られて、お帰りいただいた人が5名。
もともとは、無料のネットカフェ的利用を排除するのが目的でした。
その目的は達成しつつあるのはよいのですが、利用客が少なすぎるのも張合いがない。
同時に、無料でパソコンを使える場所の吸引力?の強さを改めて感じています。
連休中に、最寄りの図書館へ行ったとき、3月までの常連の利用者さんを見かけました。
ネット端末の利用を申し込んでいたようで、受付けに待ち時間を訊いていました。
無料でネットが使える場所をあちこち探しているようです。
それだけの時間と労力を使うなら、自分でネット用の安いパソコンでも買ったら?
と思うのですが、そうしないところを見ると、何か理由があるのでしょうか?
たとえば、無料に使うことに無上の喜びと快感を覚えるとか・・・・。
かなり昔のことですが、無料でパソコンを使える場所に出没する高齢の女性がいました。
その人は自分ではパソコンを持たず、公共の場所でのパソコンを利用するだけです。
それでも、教える側に回れるほどの操作知識を持っていました。
何回か相談を受けたわたしも、よくやるわ~、と感心したほどです。
でも、そこまでやるなら、自分のパソコン持てば、とその時も思いました。
無料だけでなく、無料で何かをマスターすること、それに快感があるのでしょうか。
たいていの人は、何かをマスターしようと思えば、何がしか投資することを考えます。
そこのロジックが欠落している人もいるのでしょうか。
それとも投資せずに成果を得る、という方面の才覚が並はずれているのでしょうか。
ともかく、無料ならやる、有料ならやらない、という人が少なからずいることは事実。
この世はある意味で、お金で回っている世界です。
その世界への抵抗というほどの信念は感じられません。もしかして単なるケチ?