数年前、バーチャル爺という言葉を知りました。
バーチャル空間のネットで老後を過ごしているわたしみたいな爺さんのこと。
ではありません。
現実に生きている身ではあるけれど、俗事を超越した視点で世の中を眺められる。
そういう人のことをバーチャル爺といいます。
古い時代では兼好や貫之、明治の頃では子規や漱石のような人のことです。
早く大人になりたい、というのは、日本古来の知的伝統の1つでした。
ところが今はそういうものが少なくなってしまった。
というようなことを書いた本の中にあった言葉が、バーチャル爺なのでした。
青二才と呼ばれることへの抵抗感は、若いころのわたしにもありました。
だから、「早く大人になりたい」という気持ちには切実なものがありました。
そのために選んだ方法の1つが本を読むということでした。
でも、兼好や漱石を読んだからといって、青二才から脱皮できるものでもありません。
リアル爺からバーチャル爺になるには、生まれつきの才も必要なのでしょう。
70過ぎた今もって、精神的には青二才の域を脱せず、いうなればリアル爺のまま。
人間の寿命は50年から80年に延びました。
たからといって、その分みんな大人になったわけでもなさそうです。
一生が短かった分、昔のほうが、中身が凝縮されていたのでしょうか。
知識という面では、今の人たちのほうが平均して確実に高くなっているはずです。
でも、たしかに、幼稚な大人が増えているような気もします。
たとえば、政治家など見ていても、小説「A宰相」だけではなさそう・・・・。
バーチャル=仮想ですが、その仮想もまたリアル=現実です。
思うに、そういう入れ子構造でものごとを捉えられる人がバーチャル爺なのでしょう。