朝、窓から外を見たら、向かいのマンションでおばさんが共用部分の清掃中。
見るたびに思うのですが、その掃除の仕方が並はずれて丁寧なのです。
一部屋一部屋の窓枠の桟まで一本ずつ丹念に拭いて・・・・そこは部屋の住人にまかせたら?
こちらの集合住宅にも清掃のおじさんが一週間交代で2人います。
どちらもマジメでよくやっていると思いますが、そこまで丁寧にはやりません。
カミさんも時々おばさんのことを見て、ほんと、感心する、表彰ものだわ・・・・。
今朝、おばさんを見て思ったのが、アンサングヒーローならぬアンサングヒロイン。
直訳すれば、歌われざる英雄、といったところですが、無名の英雄でもいいかもしれません。
この言葉、最初に知ったのは、たしか「生物と無生物のあいだ」という本でした。
DNAの2重らせんの発見者として有名なワトソンとクリック。
そこに至るまでには、地道な研究を続けていた一人の研究者の人知れぬ努力があった。
というエピソードが書かれていたのですが、たしかその研究者も女性だったはず。
ふだん見過ごしていますが、わたしの身の回りにもそんな人たちがけっこういます。
毎朝、小学校に登校する子どもたちを送って見守っているお爺さん。
高齢の1人暮らしの部屋に、食料品などを運んであげている近所のお店のおばさん。
そうした人たちが昔にくらべて減ってきたように思います。
その分、おれがおれが、わたしがわたしが、という人たちが増えました。
ただ、そういう人たちが、多くの他人様の為になることをしているのかは大きな疑問。
小さな親切、余計なお世話、といった言葉が流行りました。
その頃から、情けは人のためならず、を誤用する人も増えてきたのでしょう。
情けをかけるのは人のためにならないから、人に情けはかけない・・・・。
わたしも若い頃は、かなり利己的だったなあ、と今になって思います。
ただ、自分さえよければ、という考え方をする人が増えてくると、それはそれで問題。
自分のためだけの人生なんてあり得ません。自他一如、余生はそれがわたしの座右の銘?