八日市大凧は、300年の歴史を持ち、「近江八日市の凧揚げ習俗」として国の選択無形民俗文化財に選ばれている。
その特徴は、巨大な凧であることの他、風の抵抗を考えた「切り抜き工法」、凧の運搬・収納を可能にした「長巻き工法」そして、凧の図柄に意味をもたせる「判じもん」である。
(『まるごと東近江市百科』より)
西沢久治は、4-5代滋賀県八日市市長「西澤久衛門」(1963年(昭和38年) ~1971年(昭和46年)の実弟で東近江市柴原町出身である。戦争を挟み一時期途絶えていた伝統ある八日市大凧の復活に全霊を傾けた。西沢は八日市の金屋通りに「西沢種苗店」を営んでいた。立派な髭を蓄えた人だったのを覚えている。西沢の努力は市町村合併後も「東近江大凧保存会」となり伝統が引き継がれている。
因みに2代目会長だった小梶淳一は実家の近所だったので小さい頃から良く知っている。
↑大凧を仰ぐ、左、初代会長西沢久治、右、2代会長小梶淳一
八日市大凧の起源
八日市大凧の源流は、「中野紙鳶(なかのいか)」(中野大凧)と言われている。
記録によれば、1回目は天保12年(1841年)、2回目は弘化2年(1845年)、3回目は嘉永元年(1848年)に揚げられている。
最も大規模なものは明治29年日清戦争の戦勝記念の時で長く中野神社に保管されていた。
明治41年(1908年)には70畳を西宮で、明治45年(1912年)には4間3尺7寸(8.3m)を彦根城下で揚げ、大正11年(1922年)には陸軍第3飛行連隊開隊式で5間四方(9x9m)を揚げている。
江戸時代中期発祥とされる同地域の大凧揚げの伝統は世界大戦を挟み、昭和10年(1935年)頃まで途絶えたが昭和28年(1953年)に八日市大凧保存会(現東近江大凧保存会)が設立され復活した。
この時の初代会長が「西沢久治」だった。
昭和58年(1984年)から八日市大凧祭りが開催され、その技術が伝承されている。
現在は「東近江大凧保存会」と、「世界凧博物館 東近江大凧会館」が協力して大凧の文化を保存継承させている。また、東近江市のメイン道路の1つに「大凧通り」と命名している。
直近では毎年、成人の日に中型(20畳)の凧を揚げているが平成27年に100畳大凧落下事故が発生し、大凧揚げが自粛されている。今後の計画は見直し中であるが十分な安全対策を講じて100畳の大凧復活を願う。
世界凧博物館 東近江大凧会館
http://oodako.net/
(大凧の写真や動画などを見ることができる大凧会館の公式ホーム)
<ふるさと中野参照>