”スローライフ滋賀” 

「レンガの煙突」の歴史と街角の文化財

 東近江市の八日市郷土文化研究会の元会長中島伸男氏がユニークな「レンガの煙突」の記事を滋賀報知新聞に掲載していたので以下に紹介する。

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 明治時代から昭和期前半にかけ、醤油醸造・酒造業・窯業など、作業工程に燃焼装置が必要な分野で「レンガの煙突」が築かれるようになり、全国各地で建設されて活躍した。しかし、燃料革命や生産品の衰退などのためつぎつぎ姿を消していった。いま残っているものも、ほとんどは使用されていない。十数年前から私はレンガの煙突に関心をもち、現地を訪ねてきた。
このとき確認できたのは、藤居本家(愛荘町長野)・宇野勝酒造(野洲市野洲)川島酒造(高島市新旭)など滋賀県下で20基であった。

東近江市内にはレンガの煙突4基が残っている

1. 東近江市西中野町のNPO法人は、敷地内にある「レンガの煙突」をグループの名称にしている。「れんがのえんとつとまれ」である。この煙突は、「マルハチ醤油醸造所跡」に建っている。


 マルハチ醤油は、明治25年(1892年、珠玖家が灰谷家から施設や経営権を買い取り経営されたもので、煙突は大正末期から昭和初年にかけ建設されたという。
モロミの絞り液を大きな釜で炊きあげるときに使われていたが、昭和30年代の醸造中止とともに、「レンガの煙突」もお役ご免となった。

2. 御河辺橋のたもと、東近江市上岸本町の「かねキ醤油」(辻英久さん)は初代・喜助さんから8代目となり200年以上の歴史を誇る。「レンガの煙突」は、醤油の仕込みの最終段階でいまでも重油を焚いているので、月に一度くらいは煙突から煙が流れるという。



3. 東近江市下二俣町の「奥野酒造」は明治38年(1905年)の創業であるが、既に醸造は廃止され白壁の倉庫を背景にした「レンガの煙突」が残されている。



4. 東近江市川合町の「櫻川酢」(野村醸造株式会社)は現・野村忠一さんで8代目という老舗であり、品質のよいことで知られていた。しかし、近年は大手の製品に押され採算が合わなくなり、近年、廃業された。酢の製造のためにも煙突は必要であるが、屋内のみがレンガ積みで屋上部分は土管の煙突になっている。


 現在の「レンガの煙突」は、戦後、こんにゃく製造を始めたので昭和31年(1956年)に建設されたものである。八日市の左官職人が築いた。こんにゃく製造には、最後に大釜でこんにゃくを炊くときに煙突が必要になった。しかし、このこんにゃく造りも工程が変わるなど、機械導入に経費がかかるので廃業され、レンガで築かれた竈は破砕された。煙突までは手が回らずに今も残っている。

安政元年(1855年)創業という「岸醤油醸造所」(今在家町)にもレンガの煙突があったが、台風禍を避けるため30余年前に取り壊された。ご主人は「記念のため残しておいてもよかったかな」と話されている。

<記事・写真:滋賀報知新聞より>

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