おととい 幼い時に行った『興禅院』のことを書きました。(その際 興善院と誤りましたが、正しくは興禅院です)
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昔 火事で燃えた藁葺きの屋根が 燃えない素材で建て替えられています。庭もきれいに整えられています。
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やはり 青の洞門を掘った禅海和尚が得度をされた お寺でした。
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あうんの 『あ』の仁王像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/12/65c889e9c9734cb40e38455d33fe387a.jpg?1712681260)
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父の撮った写真を渡そうと その『興禅院』に向かいました。
あれから60年以上経ちました。
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山門左右にみえた仁王像が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/60/d28f90f65e1f9a775fc88c1da62b5bca.jpg?1712679335)
手前に出て、白い石像になっていました。
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というのも『平成28年4月16日の大分地震で倒壊した』と記されています。あの時は実家の屋根瓦も落ちました。その後 4月29日には あの熊本の大地震が起こりました。
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昔 火事で燃えた藁葺きの屋根が 燃えない素材で建て替えられています。庭もきれいに整えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f4/3375e2ea1c3f30310e15ccb63551f718.jpg?1712680276)
やはり 青の洞門を掘った禅海和尚が得度をされた お寺でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/78/32e66689e3b91ce00b8606021bbbcf50.jpg?1712680482)
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境内には誰一人もおりません。庭内を見学して 本堂に外から参っていると 若坊守さんが出てみえました。
実家の父の写真を お渡しし、昔の『花祭り』のことや、赤い仁王像が怖かった話をしたら
『倒れた仁王像は裏にあるんですよ』と案内して下さいました。
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あうんの 『あ』の仁王像。
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あうんの『うん』の仁王像。
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幼い頃 怖かった仁王像は、地震で倒れて 膝から下は無く あちこち欠けたり割れたりして痛々しい お姿でした。
散策して帰ろうとしたら 老院さんと坊守さんが 庭に生えた筍を掘ろうと、出てみえました。
『先ほど 写真を下さった方ですか?』と聞かれ 話をしたら なんと実家の両親のことをご存知でした。
門徒ではありませんが、お札を毎年いただき、花祭りには参加していたので覚えておられたのでしょう。
本堂の賽銭箱に入れた小銭だけでは申し訳なくなり、お包みしたら なんと お土産をいただきました。
よく使う すりゴマでした。
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幼い頃 母に連れられて『花祭り』に来て それから60年以上経ちました。父の残した写真を渡し、昔に思いを馳せ 両親のことを覚えて下さったことが うれしい興禅院参りでした。お礼参りをした気分にひたりました。
福岡の『篠栗(ささぐり)さん』には 夫の祖母が寄進した お地蔵さんが複数あると聞いています。
いつか そちらにも参れたらと思います。
菊池寛の「恩讐の彼方に」を
私は連想してしまいます。
今の若い人は読んだりするのかなぁ。
菊池寛の「恩讐の彼方」を知っているのは 若い人では あまりいないと思います。
若くない私も文学史で聞いただけで 読んだことはありません😝