厚い大きな布に 父が書いた文字が見えます。
太く 整然と書いてあります。
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今は店頭の商品の日除けに使っていますが、鳩目の穴があるので、昔はカーテンのように 明け閉めしながら日除けにしていたのでしょう。
昔 当店は 石畳の上の方にあったそうです。写真の手前は野菜屋さんで 奥の「椎茸」の文字が見える上の部分が最初の金子商店です。浴衣がけのお客様がいる左側です。
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下の写真は約70年前の写真です。時効で?両親の顔を載せました。狭い店でしたが隙間なく商品が並んでいます。当時は自炊客も多かったので 食料品がよく売れていたそうです。
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両親は
■温泉を冷やして「アイスキャンディ」を作ったり(ゆのひらんアイスの原型かも)
■蜂蜜を1斗缶で求めて 瓶に小分けして売ったり
■貸本屋をしたり
■干し柿を自分で作って家の回りにぐるりと干して売ったり
■自炊をする人に卵を売ったり
■父は毎日 朝早くから大分市内まで電車で出掛け 和菓子を背中に背負って持ち帰り販売したり
■原木産椎茸を近郷の農家から買い、土産物として確立したのも この時代からです。
いろんなアイデアと工夫と努力で 当時は たいそう人気があったそうです。父はアイディアマンで母は働き者でした。
私達の商売の基礎を作ってくれました。感謝しかありません。
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