東京の汐留とお台場がゴーストタウン化しているということを動画で知りました。
汐留
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日本テレビ本社だけでなく電通本社やソフトバンク本社もありました。私も一時期毎週のようにこちらのお客さんと打ち合わせをしておりました。あの当時は本当に大勢のビジネスマンで賑わっておりましたが、現在は、商業施設も空きテナントが目立つ凋落ぶりでした。
参考動画
【ヤバい汐留】初日に5万人が訪れた商業施設が20年で廃墟化…その理由が納得だった…
https://youtu.be/lbpNOqhahCs?si=PSbQrUFZUnLXtLb5
お台場
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フジテレビがあることで有名です。踊る大捜査線が一大ブームになった時は、このお台場はパレットタウンやビーナスフォートなどの商業施設や大観覧車もあったのですが、今は閉館撤去され、かつての賑わいは嘘のようです。
参考動画
【閉館ラッシュ】お台場の今が変わり果ててスゴかった…裏にある意外な理由とは?
https://youtu.be/eOg75xBJTfg?si=9EwQL3emSaBCEzyA
どんな栄えているところも。
過疎化が進む地域ならいざしらず、コロナ明け再び転入超過日本一になっている東京で、しかも少し前なら人気のエリアであったお台場や汐留で、過疎化(?)が進んでいるという最新情報はショックでありました。
一斉を風靡した業種や地域も、淀みにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結んで、久しくとどまることはないなあと改めて感じざるを得ませんでした。
近未来小説。
お台場に関しては東京都からの土地貸出の期限、汐留に関してはコロナ禍のリモートワークがそれぞれ原因ということであります。廃れていった原因もそれぞれなのでありましょう。
ただ一つ。「汐留」「お台場」という地名から、なんとなく「潮のにおい」がする気がいたします。あんなに栄えていた地域(私も何度も足を運んでおりました)が、すっかり寂れている風景は、そういう近未来小説を描く作家さんがいるかもしれないなと思いました。その小説の題名はきっと「潮のにおい」かもしれません。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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SHO_KOさん、レイテ島の戦闘等についてのリンクをありがとうございます。
レイテ戦を生き残られた松本さんのご証言、亡くなられた戦友のご冥福を願い、毎朝、仏壇と神棚に手をあわされてるとのこと。
また、コロナ禍以前は、毎年のようにレイテ島をご訪問されて遺骨を探すのに御参加されていたと。
涙なく読めませんでしたが、本当に頭が下がるばかりです。
戦友を助けられなかったとのことでお辛い思いを持ってらっしゃるのが伝わりますが、松本さんご自身も、大変な辛い体験の中でなんとか生存されて、日本に命と思いを繋いで下さったのですから、どうかご自身を責めないですごされてほしいです。
「次の世代のために、国土を戦場にしないでください」
との言葉にはっとしました。
日々をなにげなく過ごす、この国土に生きる私達は、こんな想いのたすきを受け取っているのですね。。。
→ コメントありがとうございます。
再掲載「101歳 レイテ戦の生き残り 体験を手記に」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_166.html
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小さな警告を聞き逃さないのは大事なことですねー。
→ アンテナ感度を磨いて置きたいです。コメントありがとうございます。
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SHO_KOさんのレイテ島に関するコメントを読んで思い浮かんだのが、フィリピン海沖(沖縄本島の南約600km)で魚雷の攻撃により沈没し全乗組員亡くなられた軍艦多摩。調べたらやはりレイテ島の戦いによるものでした。
大国魂神社が軍艦内に分祀されていたことから、大国魂神社の境内に軍艦多摩戦没者慰霊碑が2014年に建立されました。それ以降沈没した10月25日に毎年慰霊祭が斎行されています。今年で沈没してから80年経ちます。
沈没した北緯21度23分、東経127度19分の地点と大国魂神社を線で結ぶとフィリピン海プレートの沈み込み(南海トラフ、琉球海溝)に沿っています。
→ コメントありがとうございます。m(_ _)m
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SHO_KOさん
・・・
検索をきっかけに、本当にフィリピン諸島は太平洋戦争屈指の激戦地であったことを知りました。慰霊、鎮魂の想いがとても必要な場所なのではないかと感じました。当たり前のことですが、知らない事をよく知ることで、供養など日々に祈る言葉にも気持ちが乗るような気がします。
もちろん、思いを向ける対象を限定するつもりはありません。けれどももし私が逆の立場で、死後に自分の置かれた境遇に対してたった一つでもいいから関心を持ち知ってくれる人がいたら、うれしいのではないかな?と想像しました。
子孫を残すことが出来なかった方々、また一族も亡くなられて寄る辺の無い方々、生き残ったけれど深い悲しみの中で懸命に生きた方々の行き場のない想いはどこで癒されるのでしょうか。供養習慣のない国内外の方々や先人たちの御魂はあの世でどうされているのだろうかと想いをはせます。今日もたくさんの鎮魂と供養の想いが届きますように祈ります。
・「マニラ市街戦」追悼 市民約10万人が犠牲 遺族「忘れないで」2024年2月3日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240203/k10014346201000.html
太平洋戦争末期、フィリピン首都マニラで日本軍と連合国軍による市街戦が始まって79年となる3日、来年2025年は80年の節目を迎えるそうです。日本国内でも大きく報道され認知を広めてほしいと心から願います。
・「フィリピンの戦い (1944年-1945年)」出典: ウィキペディアより
フィリピンの戦争被害:この戦いの結果、フィリピン全土が戦場となり、約100万人以上にもなるフィリピン人の死者を出した。日中戦争から太平洋戦争までの15年間の戦争における日本人の死者数は約310万人であり、当時の日本の人口は約7,200万人であるから、日本人の約4 %が死亡したことになるが、フィリピンの当時の人口は約1,600万人であり、そのうち約100万人以上が死亡し、その比率は約7 %となり、人口比では日本の2倍近くになる。また、マニラなどの主要都市は壊滅し、廃墟と化した。また終戦後も各地で残留日本兵が戦闘を継続した。 (引用終)
昨日は、厚生労働省主催により「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」が開催されました。
おかえりなさい!の想いとあわせて心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
→ 大切なことです。ありがとうございます。合掌。
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SHO_KOさん、レイテ島の戦闘等についてのリンクをありがとうございます。
レイテ戦を生き残られた松本さんのご証言、亡くなられた戦友のご冥福を願い、毎朝、仏壇と神棚に手をあわされてるとのこと。
また、コロナ禍以前は、毎年のようにレイテ島をご訪問されて遺骨を探すのに御参加されていたと。
涙なく読めませんでしたが、本当に頭が下がるばかりです。
戦友を助けられなかったとのことでお辛い思いを持ってらっしゃるのが伝わりますが、松本さんご自身も、大変な辛い体験の中でなんとか生存されて、日本に命と思いを繋いで下さったのですから、どうかご自身を責めないですごされてほしいです。
「次の世代のために、国土を戦場にしないでください」
との言葉にはっとしました。
日々をなにげなく過ごす、この国土に生きる私達は、こんな想いのたすきを受け取っているのですね。。。
→ コメントありがとうございます。
再掲載「101歳 レイテ戦の生き残り 体験を手記に」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_166.html
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小さな警告を聞き逃さないのは大事なことですねー。
→ アンテナ感度を磨いて置きたいです。コメントありがとうございます。
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SHO_KOさんのレイテ島に関するコメントを読んで思い浮かんだのが、フィリピン海沖(沖縄本島の南約600km)で魚雷の攻撃により沈没し全乗組員亡くなられた軍艦多摩。調べたらやはりレイテ島の戦いによるものでした。
大国魂神社が軍艦内に分祀されていたことから、大国魂神社の境内に軍艦多摩戦没者慰霊碑が2014年に建立されました。それ以降沈没した10月25日に毎年慰霊祭が斎行されています。今年で沈没してから80年経ちます。
沈没した北緯21度23分、東経127度19分の地点と大国魂神社を線で結ぶとフィリピン海プレートの沈み込み(南海トラフ、琉球海溝)に沿っています。
→ コメントありがとうございます。m(_ _)m
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SHO_KOさん
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検索をきっかけに、本当にフィリピン諸島は太平洋戦争屈指の激戦地であったことを知りました。慰霊、鎮魂の想いがとても必要な場所なのではないかと感じました。当たり前のことですが、知らない事をよく知ることで、供養など日々に祈る言葉にも気持ちが乗るような気がします。
もちろん、思いを向ける対象を限定するつもりはありません。けれどももし私が逆の立場で、死後に自分の置かれた境遇に対してたった一つでもいいから関心を持ち知ってくれる人がいたら、うれしいのではないかな?と想像しました。
子孫を残すことが出来なかった方々、また一族も亡くなられて寄る辺の無い方々、生き残ったけれど深い悲しみの中で懸命に生きた方々の行き場のない想いはどこで癒されるのでしょうか。供養習慣のない国内外の方々や先人たちの御魂はあの世でどうされているのだろうかと想いをはせます。今日もたくさんの鎮魂と供養の想いが届きますように祈ります。
・「マニラ市街戦」追悼 市民約10万人が犠牲 遺族「忘れないで」2024年2月3日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240203/k10014346201000.html
太平洋戦争末期、フィリピン首都マニラで日本軍と連合国軍による市街戦が始まって79年となる3日、来年2025年は80年の節目を迎えるそうです。日本国内でも大きく報道され認知を広めてほしいと心から願います。
・「フィリピンの戦い (1944年-1945年)」出典: ウィキペディアより
フィリピンの戦争被害:この戦いの結果、フィリピン全土が戦場となり、約100万人以上にもなるフィリピン人の死者を出した。日中戦争から太平洋戦争までの15年間の戦争における日本人の死者数は約310万人であり、当時の日本の人口は約7,200万人であるから、日本人の約4 %が死亡したことになるが、フィリピンの当時の人口は約1,600万人であり、そのうち約100万人以上が死亡し、その比率は約7 %となり、人口比では日本の2倍近くになる。また、マニラなどの主要都市は壊滅し、廃墟と化した。また終戦後も各地で残留日本兵が戦闘を継続した。 (引用終)
昨日は、厚生労働省主催により「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」が開催されました。
おかえりなさい!の想いとあわせて心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
→ 大切なことです。ありがとうございます。合掌。
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