かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.2鈴鹿市民会館

2006-11-03 02:03:00 | 2007年までのライブの思い出

三重鈴鹿と岐阜土岐は宿泊先は名古屋にしました。駅前ホテルモンブラン。夕方は松坂屋の上の階の飲食店へ。おひつまぶしを食べる。これ一杯じゃ足りないと思う。でも僕は一杯しか食べなかったが。田楽の店にも行く。赤みその田楽。9月2日はお昼前にホテルを出る。

三重県鈴鹿市。僕は以前応援していた歌手のコンサートで三重県には3度来ている。四日市、伊勢、それにここ鈴鹿。ここは1999年以来くらいかな。ここも久しぶり。僕は最初に四日市に来た年、ついでに伊勢神宮にも参拝した。内宮だけだったが。その次の年1991年に伊勢のコンサートがあった。そのコンサートのとき朝早く一度会場に行った。別に一番乗りを目指したわけではない。今の大垣行き快速「ながら」のまえに東京発大垣行き普通電車というのがあった。僕が当時応援していた歌手のコンサートで地方に行くときよくその電車を利用していたが、結局それを利用して中京地区のコンサートに行くとすごく早く会場に着いてしまう。

1991年は朝名古屋に着きそのまま伊勢に向かった。会場は宇治山田駅前。かなり早く会場に着いた。でも僕は一番乗りではなかった。すでに先に来ていた人がいた。いつ来たんだろう。僕は会場を去り伊勢神宮を参拝する。今度は外宮内宮とも参拝。午後会場に戻る。会場の地下が駐車場でその歌手は車でそこに入っていったようだ。当時僕はツアー限定追っかけもやっていないころで、他のファンとの交流も少なく、情報も乏しかった。僕は偶然上のほうからその様子を見ていた。どうやら車にその歌手が乗っていたらしい。でも雨がひどく降り始めていて車の中の様子はよくわからなかった。服装の色からすると、当時その歌手がその色の服でよく会場入りしていたようなので、おそらくその歌手ではないかと思ったが、違うかもしれない。

僕はブログで詳しく説明しているが、以前応援していた歌手に対する応援姿勢だけれども、1992年の名古屋公演以降ツアー限定の追っかけをやり始めた。1992年のツアー最初のころまでにすでに50回以上コンサートに行っていたけれども、ツアー限定追っかけもやっていなかった。以前応援していた歌手においても前半と後半では応援スタイルが大きく異なっている。倉木麻衣ファンになってからは全く追っかけをやっていない。要するに以前応援していた歌手の前期の応援スタイルに戻っているわけだが、何度言ってもわからないやつがいる。

もちろん僕自身スタッフや他のファンの嫌がらせに苦しみ、以前応援していた歌手の前期の応援スタイルとも違うところがある。これは嫌がらせのために不本意ながらやっていることである。僕は倉木麻衣については、単にコンサートやラジオキャンペーンにたくさん行っているだけで、追っかけをやっていない。以前からずっとそう言っているじゃないか。定義以前のレベルの話である。それに定義を持ち出すのであるなら、そもそも僕のことを追っかけといっているのは誰か、その情報のもとをただすと誰に行き当たるのか。

以前応援していた歌手のファン時代、一緒に行動した追っかけマニアの人は僕を追っかけとは認めていない。僕の前でそういう発言をしている。他の古参有力ファンも僕を追っかけだとは言わない。では誰が僕を追っかけだといいはじめたのか。誰が僕をツアー限定交通期間限定追っかけと呼ぶようになったかというと、僕自身である。つまり僕を追っかけと呼ぶのは僕の主張を支持していることになる。実際には多くの人間は、僕の発言のうち一部をそのまま容認し、容認すると自分たちに不都合な部分のみ、他人の意見や僕の意見と異なる意見を勝手に僕の意見呼ばわりする。悪質な嫌がらせである。復讐されたい人間のみやることだろう。

語呂合わせ、駄洒落でごまかせばますます問題解決は困難になり、状況は悪化する。それを承知で語呂合わせや駄洒落を当てはめるのが、多くの日本人のやり方である。組織・多数派・権力寄りの人間に不幸があれば、自業自得というべきだろう。

その1992年のコンサートのあとその歌手からはがきが届いた。14年間応援をしていて、たった一回もらったはがき。プレゼントのお礼のメッセージとサインが入っている。うそだろうというやつもいるかもしれないが、ちゃんとしまってある。記念。もうその歌手のファンも辞めてしまった。当時のことがいろいろな形で嫌がらせをされている。倉木ファンからも嫌がらせをされ、ライブ・スタッフからも嫌がらせをされる。当時のファンの仲間とも人間関係がこじれ、それだけでなく、僕を攻撃する連中の一方的言い分を鵜呑みにするやつも多い。しかもそれを根拠にまた僕に対する攻撃。とてもじゃないがその歌手のファンは続けられない。やめても影響が大きいくらいだから、続けたらどうなることやら。僕は当時応援していた歌手のファンは辞めた。

そのはがきのことがあって以来、げんを担いでしばしば伊勢神宮に参拝していたが、郵便局時代「伊勢」という名前の職員がいておちょくられることも多く、また僕が伊勢市に行くと不審な人間を見かけることが増えだしたので、ここ数年は全く伊勢神宮には参拝していなかった。今年はせっかく三重県に来るので久しぶりに伊勢神宮に参拝しようと思った。

宇治山田駅から外宮に行く。参拝する。バス停に行く。バスの時刻が変な気がしたが、よくわからない。内宮に着く。参道を歩いていたのだが、やはりおかしい。参拝客の歩くところが違うようだ。良いといわれることの多い宗教、実質いかがわしい関係者だろうか。時間が迫っていたので、早めに参拝を終わらせ、バスで宇治山田駅に戻る。五十鈴川駅でたくさん客が降りる。宇治山田駅に着くと母親と小さな子供の二人組が、運転手にこの駅から賢島にいけるかと聞いていた。また違和感。こういうことはよくある。いちいち取り上げていたら大変だ。

特急で伊勢白子、急行で伊勢若松まで行き、乗り換え鈴鹿市へ。特急の中では座席を一列間違えたという人がいたが、これと全く同じことが来るときもあった。変。会場には6時くらいに着く。トラックの運転手はもう来ていた。僕は一般発売までにチケットが手に入らないときのみオークションを利用することにしている。今回のツアーでは唯一のオークション利用の会場。1階ひ列。後ろから3番目の端。ただ入場するとき若い女性が僕の周りで「ヤフオク、ヤフオク」と言いまくっている。誰だろうこいつ。僕の知らない女性である。顔はまずまずの美貌でかなり男性に人気のありそうな女性だが、この態度からはかなり性格が悪そうな印象である。美人なので周囲の若い男性がちやほやするのでいい気になっているのか。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではない。でもいまどきはこの程度の美貌で、性格の悪い女性は多いのか。多そう。でももう顔忘れてる。覚えていない。

倉木さんはロック温泉の話をしていました。地元のスーパーにも行ったらしい。麻衣さんが楽しんでくれるのはうれしい。ライブが終わると宿泊先の名古屋のホテルに戻りました、


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.31宇和文化会館

2006-11-03 01:02:00 | 2007年までのライブの思い出

28日夜ドリームにちりんに乗り、小倉へ新幹線で東京へ戻る。輪島のチケットは取れていました。アパートの家賃を払い、30日朝にはまた四国に向かいました。新幹線と特急を乗り継ぎ、卯之町駅到着。午後2時くらい。近くの宇和郵便局に行き、輪島のチケット代金を送る。アリスで食事。小さな町だけれどもいろいろな店が揃っているようでした。あとで街を歩いてみようと考えていました。

ホテルは午後3時チェック・インのつもりが、午後4時でないと入館できないらしい。1時間ホテルの前にいたり、前の川やその近くを散策する。薬局の前にいたら、倉木さんの「Diamond Wave」が流れてくる。ラッキー。ホテルの横はコーヒー屋さん。田舎町なのにこういう店まである。遅くまで営業するスーパー、マクドナルド、回転寿司屋、ファミレス、ミスタードーナツ、パソコン教室といろいろ揃っている。大阪行きの夜行バスもある。小さな田舎の都市のようでいて生活は都会的な便利さがかなり取り入れられている。午後4時チェック・イン。

今回はこのあと三重県鈴鹿、岐阜県土岐を回って東京に戻る予定で日数が短くノート・パソコンは持ってきていない。夕方街へ出る。結局ほっかほっか亭で弁当を買ってきて食べる。天気は降ったりやんだり。前の川は濁っていて、魚は見えない。流れはゆっくりとしている。

翌日このホテルの従業員はお昼は掃除担当を除き不在になるらしい。連泊の場合、鍵の授受について話しをしておく。お昼前の外出し、コインランドリーに行き洗濯。近くの庁舎近くの池を見ていた。洗濯が終わるとその近くの回転寿司屋による。たっぷり食べ、街を散策し、ホテルに戻る。会場はここからでも近い。

夕方5時過ぎにホテルをまた出る。途中の軽食の店で食事。会場へ。雨がだんだんとひどくなる。会場前には池があり、そこに雨が降り注ぐ。ライブは大都市圏に比べれば盛り上げるファンも少なく、盛り上がりがイマイチだけれどもでもライブ自体は結構よいライブでした。楽しめました。僕の席は1階L列。ライブ終了後アンケートを書いて出す。トラック運転手の友人が話しかけてくる。岡山在住の人のようでした。

僕はそのまま会場を去り、またほっかほっか弁当屋に行く。結構おいしい。他のファンらしき人も見かける。出待ちはしなかったのか。どこで食べようか、などと話をしている。ホテルは取っていないのか。雨も降っているし、適当な場所を見つけるのが大変だったかもしれない。どこか無人駅の待合室など考えているのか。東屋のある公園とか。僕もそれほど多いわけではないが、20代のころコンサート・ツアーに行き、何度か屋外で夜を明かしたことがある。駅構内、バス停のベンチ、バスの待合室など。

ホテルに戻る。翌朝は少し早めにチェック・アウト。川沿いを歩く。昨日の会場の横を通り、駅へ。途中途中後ろから来た女性二人が挨拶をしていく。誰だろう。駅のところのパン屋でパンを買ったら、今日はパンの日だということで、お皿を2枚もらった。今日の宿泊先は名古屋。特急と新幹線を乗り継いでそちらに向かいました。新幹線の中では傘自慢の男が隣に座る。付きまといでしょうがしつこい。ブログにかかれたいのでしょうが、こういうのを書くと次々にブログに書かれたい人が登場する。全部は書きません。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.28豊後大野市総合文化センター(エイトピアおお

2006-11-02 14:02:00 | 2007年までのライブの思い出

佐賀のライブの翌日28日月曜日。佐賀のホテルをチェック・アウト。駅へ行く。大分まで行くのにどうやっていくか考える。博多、小倉経由ルート。豊肥本線経由ルート、久大本線経由ルート、バス利用ルート。結局久大本線ルートで行くことにした。久大本線は湯布院と大分の間は今年も行っているし、日田大分間も数年前行った。でも久大本線全線は僕が小学校のとき以来行っていない。そのときは祖母といとこと3人で行った。懐かしい思い出です。豊肥本線や博多、小倉経由ルートはここ数年通っている。

バスルートは利用したことがないが、今回は久大本線の特急「ゆふいんの森」で行くことにした。おしゃれなつくりで以前から乗ってみたいと思っていた。佐賀駅からは普通電車で鳥栖まで行く。1時間近く待ち時間がある。一本前の特急「ゆふいんの森」は湯布院止まりのようだ。僕が乗ったのは別府行きだけれどもけれど、大分駅で降りる。途中の車窓の渓谷美はなかなかよい。たぶん豊肥本線よりこちらのほうが車窓の景色は変化に富んで面白い気がする。でも結局大半は寝ていたが。大分駅着。外はやはり暑い。

コインロッカーに荷物を預け、駅のところの佳舎という店に入る。インテリアに独特のものがある。僕の小さいころこの辺にレストランがあったような気がする。僕は田舎っ子だから田舎風の家庭料理で育った。カレーライスやとんかつだって食べたことはもちろんあるが、たまに街に連れて行ってもらって食べる料理、たとえばカツカレーなんぞ無上のご馳走のように感じておいしく喜んで食べたものだった。別に僕の家は特に貧乏というわけではない。当時僕が育った田舎はこんなものだった。不便な面は多かったが、僕は結構楽しんでいた。でも極悪人にはなかなか理解されないが。

時間に余裕があるので駅の待合室で時間をつぶす。僕は大分育ちである。でも結構地元関係者に意地悪される。正しく情報が伝わっていないようだから、何か誤解があるだろう。でも誰も誤解を解こうとしない。それだけでなく誰も誤解を解くことに好意的でない。何が何でも誤った解釈を正しいものと言い張ろうとする。反論しても捻じ曲げて解釈され、論点がぼかされ、問題解決がますます悪化する。しかもそれが広範囲に長く続く。他の地域、たとえば東京でもそうだが、ここ僕の育った大分でも同じ。

以前は大分育ちということで僕はかなりの大分贔屓だったが、最近はそうでもなくなった。僕を直接的間接的に知っている人、幼いころから接してきたものまでが、僕に対する嫌がらせに積極的に関わろうとする。その様子を見ると他の地域以上に残念な気持ちがしてしまう。これからは大分に来るのは減らしていきたい気がする。誰だか知らない態度の悪い男に攻撃されることもある。でも僕に対する育ったところに対するデマもひどいし、どうなることやら。

時間を見ながら、豊肥本線のホームに行く。三重町駅行きの電車に乗る予定。僕は豊肥本線の電車には2回特急電車に乗ったことはある。でも今回行く、豊後大野市には一度も行ったことがない。三重町駅というのは平成の大合併前は三重町といところ。初めて行くところ。どういうところかな。佐賀であったトラックの運転手に会う。一緒に行くことになる。結構熱心なファンのようですが、佐賀のところで述べたとおり、今の僕の立場では他の人と交友を深めるのは難しい。盗聴などのプライバシーの侵害があった場合、こちらは絶対的不利な状況で交友を持つことになり、今の状況でそれは僕にはきつい。トラックの運転手が直接盗聴に関わらなくても、どこかでそういう悪い連中とつながってしまう可能性はあるわけで、疑いすぎの気もするが、僕の現状からするとそういうことは考えないといけない。正直なところ気が滅入ること。トラック運転手さん、ご好意かもしれないけど、交友はもてません。

豊肥線というのは単調な景色だと思っていたが、それほどでもなさそう。実際豊肥本線だって乗った回数は凄く少ないけれども、普通電車だとまた特急と違う印象がある。三重町の駅に着く。場所がよくわからない。携帯サイトで場所を確認したら意外に近い。会場着。ガラス張りの中庭に池。今日の席は1階席7列目。トキハのプレイガイドで買ったもの。あのときを思い出す。6月12日だった。そして6月13日。

ライブはまずまずよい。倉木さんは大分が好きらしい。別府湾の景色が気に入ったらしい。確かに別府湾の景色はいいね。ライブが終了。僕は出待ちをやらないが、トラック運転手はやるらしい。でも僕に付き合っていっしょに帰るらしい。駅まで行く。前の電車が行ったばかりでかなりの待ち時間。トラック運転者は地元の人と話をしている。列車の時刻には他のファンもたくさんやってくる。列車ではわざとらしい怪しいサラリーマングループ。敷戸で降りたのかな。ブログに書かれたいのかもしれないけれども、こういう人が多くて。いちいち紹介しきれない。

大分駅に着いて、トラック運転手の人と駅近くのラーメン屋へ。トラック運転手の人は大分のホテルに泊るらしい。僕は大分駅に向かう。ベンチに座る。僕はまだ石川県の輪島の公演のチケットが未確定。たぶん僕が九州に来ている間にはがきが到着しているはず。それでチケットが取れたかどうか、判明し、取れていたらチケット代金を送る。そのため一度東京の自宅に戻らないといけない。次は愛媛の宇和。船で行くんなら臼杵八幡浜なんぞ考えていたが、今回は東京に戻り、30日にあらためて愛媛に行くことに。

夜中にドリームにちりんという特急がある。これに乗り小倉で朝一番早い東京行きののぞみに乗る予定。昼前に東京着の予定。ドリームにちりんという特急、以前は同じルートで急行日南という列車ああった。鹿児島本線のほうは急行開門。日南のほうは上りは夜宮崎を出て朝博多着というもの。下りはその反対。僕が以前応援していた歌手でライブツアーに行き始めた当時、1990年から1991年くらいにかけてよく利用したもの。当時は列車の追っかけもやっていないころでけちけち旅行だった。周遊券で九州まで来て、博多で夜日南の下りに乗り大分着、当時駅の売店がこの時間に合わせて営業していた。そのあと上りの博多行き日南に乗り、朝博多到着。周遊券だから余分な払いはなし。こうして宿泊費を浮かしていた。

20代のころ僕は当時応援していた歌手のコンサートに行きまくり、一時は経済的にもかなり苦しかった。30代後半でやっと持ち直した。やっと経済的に余裕が出てきたら、仕事を失い、嫌がらせ構成がエスカレート。何とか今退職金などで持ちこたえている状況。冴えないパットしない人生だが幼少時のことを含め波乱万丈ともいえる。ドリームにちりんなんて久しぶりに利用する。たぶん急行日南から特急ドリームにちりんになって2回目くらいじゃないか。極貧時代の思い出が蘇る。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.27佐賀市文化会館・大ホール

2006-11-02 10:00:00 | 2007年までのライブの思い出

熊本の八代から移動。今日はライブがないし、時間に余裕がある。普通電車で佐賀へ移動。うとうとしたり、八代駅で買ったソラマメの草餅を食べたりしていた。この草餅はおいしい。途中久留米で速い電車があるとか。でも急いでいないし、ホテルのチェック・インに対し、極端に早く着いてもこの時期暑い日も多く暑がりな僕は、時間をつぶすのに苦労する。そのままの電車で鳥栖駅へ。目の前に大きなサッカースタジアム。立ち食いのうどんを食べる。

長崎本線に乗り換え。こちらも普通電車。後ろの席の人はうどんを食べている。これ見よがしに、わざと大きな音をさせようとしているようだ。何か目的でもあるのかしら。佐賀駅に着く。佐賀というと以前応援していた歌手のコンサートで佐賀市には1990年の春に一度来ているがそれ以来久しぶり16年ぶり。当日券で3階席の後ろのほうだった。当時は佐賀駅北口には建物もあったが田んぼもあった。あれ以来。

駅に着いたころから少し雨がぱらついてきたよう。ホテルにチェック・イン。サガシティホテル北口館。夕方食事に外出。駅ビルの店に行く。揚げ物の店で肉類、何食べたか忘れてしまった。そのあとカレー屋でカレーを食べる。何カレーだっけ。なぜかここらあたりの記憶がぽっかり失われている。なんかあったかな。ホテルに戻るときファンらしき数人が近くのホテルに入っていったようで、熱心なファンが多いようです。結構遠くからたくさん来ているようですね。その熱心さはとてもよい。ファンたちよ、がんばれ、でも僕にちょっかい出さないでね。

翌日27日、ホテルで朝食。和食なんだけれどとてもおいしい。満足。昼前にホテルを出る。駅の今度はハンバーグ屋で食事。駅の横の西友に行く。上の階の飲食店に行ったが京風ラーメンの店。迷ったが今回はパス。自転車置き場横の一口茶屋に行く。たこ焼きやフローズンを食べる。おいしい。

会場に向かう。話しかけてきた人がいた。埼玉県の人。年齢は僕より少し上。熱心なファンのようです。僕は一応ファンとしては孤立路線を行っている。それに嫌がらせやプライバシーの侵害問題があり、他の人と適切な心理的な距離感を保つことがおそらく普通の人以上に難しいと思われる。正直なところ今は他の人と交友は持ちたくない。挨拶程度か。しかしこの人ライブ慣れしているようで、チケットのC,R,Lの意味を聞いてきた。ライブ慣れしているから知っているだろうが、何か裏があるのか。長年の嫌がらせ被害のせいか、僕も確かに他の人に対し疑い深くなっている。

疑う必要のない人、普通に接してよい人に対し過剰な猜疑心や不信感を僕は持ちやすい。それは僕自身の思考上の問題点だけれども、でも今までのような付きまといやデマ、プライバシーの侵害行為があると、こちらも自衛のために他人に対し強く疑わないといけない。その結果、よい人や普通に接すればよい人にまで不愉快にさせてしまうかもしれないが、今の状況が変わらないと状況改善は難しい。

トラックの運転手だそうだが、よい人かもしれないが、今の僕の状況ではうまく交友はもてない。せっかくの好意かもしれないけれど申し訳ない。それに本人はよくてもどこかで僕に意地悪する連中とつながる可能性もある。こんな警戒を続けるのもうんざりだけれども確かに僕に対し意地悪、嫌がらせをしている連中がいて、その実態が僕には十分つかめていないのだ。対策も取れないので攻撃されっぱなし。攻撃の内容はどうせデマや駄洒落、デタラメ解釈が根拠だからたいしたことはないが、攻撃の量がもの凄い。落ち込むときもある。僕はこれからも孤立路線で行く予定である。しかし、デマ、プライバシーの侵害行為、付きまといなどいつまで続くのか。変わらないのか。

途中高校野球で有名な佐賀商高の前を通る。高校野球で活躍し、佐賀商高から西武ライオンズに入団した新谷という投手がいた。別に面識はないが、時々僕の近くで新谷、新谷とどなる人がいる。同じ人が数回やっているようだ。意味がよくわからないが、僕と新谷投手は学年でいうと同じです。春優勝がPL、夏優勝が徳島池田、当時活躍した人気選手に早実の荒木大輔という人がいました。その人たちと僕が同学年です。もちろん面識なし。

一緒に歩いたけれど僕は歩くのが遅い。息が切れる。会場到着。今日の席は1階席5列目。今まで3回6列目というのがあったけれども5列目は初めて。僕の倉木麻衣ライブ・ツアー出席史上最も前。僕にとっては大記録。でも他のファンはどうだろう。たくさんライブに行っているのに一桁の列で観た事がない人なんているのだろうか。いたらそれもすごいね。

倉木さんはジャスコに行ったそうです。僕は知らなかったけれども佐賀の北のほうに大型ショッピングセンターがあるようです。そこで映画も観たようです。僕も一緒に観たかった。

ライブが終わるとトラック運転手の人は出待ちをするそうで、僕は先に会場を出ました。駅ビルの虎ちゃんうどん(表記が違うかも?)に行きました。うどんとおにぎりのセットを食べました。おいしい。おにぎりがまたすごくおいしい。満足。パンを買い、駅で翌日の電車の時刻を確認して、ホテルに戻りました。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.25八代厚生会館

2006-11-02 04:58:00 | 2007年までのライブの思い出

25日鹿児島から新幹線で新八代へ。車窓の景色はもっと見たかったが結局ほとんど寝ていた。新八代駅から八代まで一駅在来線。どうもJRの駅や車内のアナウンスは好感の持てないものが多い。特にJRH日本やJRT海はひどいという印象があるが、どうもJRK州も少しおかしい。しかも発想のパターンがみな似ていて毎度毎度でうんざり。JRの社員が待遇面できわめて恵まれているということの証拠かもしれない。

熊本というと1991年に当時応援していた歌手、2004年に倉木麻衣さんのライブで熊本市に来ている。高校の教育合宿で阿蘇にも行っている。熊本県のライブは今回で3回目、熊本市以外のライブ、八代のライブは初めてでした。ただ、八代というところは電話でチケットが取れず、6月に八代に直接チケットを買いに来た。そのとき初めて八代に来た。

駅から出てしばらく行くとより藤という店がある。前回八代に来て知った店で鮎の塩焼きを食べさせる店。僕は九州の半島部の山間に育った。地元では昔は鮎がたくさん取れたそうだが、僕が子供のころはすでに鮎はほとんど取れなかった。小学生のころ鮎の塩焼きを食べたがすごくおいしかった。でもほとんどその後食べる機会はなかった。鮎の塩焼きの定食を注文。でかい鮎。たっぷり食べました。そのあとすずらんという店でかき氷を食べる。外は相変わらずの暑さ。

ホテルに行く。八代グランドホテル。前回も宿泊したところでなかなかよいホテル。部屋に入るとパソコンを見て倉木さんのブログとライブ・リポートを見る。僕もブログを書く。もたもたしていて時間が遅くなった。午後5時過ぎ、ホテル前にタクシーが止まっていたが、バスの時刻表を見ようと思った。でも複雑で行き先は2方向のようだがどこをどう通るのかよくわからない。次は5時40分台だが、会場の近くを通るバスなのか。バス時刻表を見ていたら、ダンプがすれすれのところを通っていく。怖いもの。結局タクシーで会場へ。

6時少し前に会場に着く。飲み物を飲む。僕の席は1階11列目。これは八代市内プレイガイド庄野学生堂で購入したもの。ライブはまずまずよかった。麻衣さんは熊本弁を楽しんでいるようです。麻衣さんは今年は地元の名物料理なんかも食べているのかしら。ライブにはレギュラーのファンも何人も来ているようです。僕はライブが終わるとアーケード街へ。途中男3人組に出くわす。僕は相手を知らない。からかわれるが、馬鹿丸出し、どう見ても頭悪そう。でも全国的にこういうやつみかける。うっとうしい。

アーケードを抜けまっすぐホテルへ。隣のほっかほっか弁当で弁当を買いホテルへ入る。弁当もおいしいね。ホテルでほっと一息。麻衣さんはどこに宿泊しているんだろう。今回も川のほうには行かなかった。

翌朝バイキングに行くとファンらしい若者数人がいる。ロビーにいて僕が来るのを待っていたらしい。うんざりだね。このくそファンども。僕に聞かせるために間抜けな発言をしている。そういうの僕がいないところでしろよ。ロビーで待ち伏せなんかしやがって、馬鹿たれが。僕は他の倉木ファンが結構大嫌いだから、他のファンとは交友を持たず、孤立路線を行っている。しかしこういうやつなんで付きまとうんだろう。徹底的な悪党か。

ホテルは結構よいホテルです。ゆっくり10時近くになり、チェック・アウトして駅まで歩いていきました。駅の待合室にいました。売店でも買い物。ここで売っていた草餅で餡がソラマメの餡というものがありました。これが結構おいしい。これは熊本あたりだとどこでもあるものかしら。八代じゃないと手に入らないものなのか。結構おいしくてよいです。また来たらぜひ食べてみたい。

鳥栖行きの普通電車に乗り、電車のなかでもそのソラマメの餡の草餅を食べていました。この日はJRもあまりひどくなくてよかった。いつもこうだといいんだが。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.24鹿児島県文化センター

2006-11-02 02:56:00 | 2007年までのライブの思い出

23日はまゆう号で鹿児島入り。バスは結構途中から乗る客もありお客が多い。鉄道とは違うコースをたどり、鹿児島空港にも寄るので、こちらのほうが便利な人も多いのだろう。車窓の景色を楽しみたかったが結局ほとんど眠っていた。どうも電車やバスだと眠くなる。鹿児島中央駅のところで降りる。バスの運転手が親切でうれしい。

僕は駅近くのすずやというホテルの予約をしていた。てっきり午後3時チェック・インのつもりだったが、4時だったらしい。駅近くの飲食店に行ったら軒並み休業。警戒されているのか。駅ビルの地下の飲食店に行く。午後3時くらいなのにすごいお客の数。鹿児島の人は遅めに昼ごはんを食べる人が多いのか。玉子丼を食べる。

駅前では沖縄のバンドが4時から演奏を行うということで練習をしていた。なかなかよさそうな印象。でも聴かずににホテルへ向かう。4時チェック・イン。あまり豪華とも新しいともいえないホテルだが、狭いながら、うまくコンパクトにまとめた部屋など僕の好み。なかなかよいホテルだが、インターネットの状態があまりよくない。問題はその程度か、僕らにはこういうホテルで十分。

夜は薩摩揚げを買って来ていたのでそれを食べる。あまりおいしくない。調理として手を加えるべきだろう。もっとおいしくなりそうな気がする。

鹿児島は以前応援していた歌手で1992年、1993年、倉木さんで2004年に来ているのでライブで鹿児島市に来るのは4回目。

24日朝というか、お昼ごろホテルを出る。ダイエーに行くと倉木さんの「Daimond Wave」が流れてくる。ラッキー。Bグループという店でヤングランチを食べる。この店は2004年に鹿児島に来たときも寄った。そのときはドライカレーを食べた。街をうろうろしていたが、とにかく暑い。ライブにはまだかなり時間がある。川沿いの公園にいたが暑いので、またサウナに行くことにした。クリスタル・パレス。ここは1992年、1993年に鹿児島に来たときに宿泊。2004年のときも昼少し滞在。今回も寄った。鹿児島に来るたびに必ず寄っていることになる。

休憩室でゆっくりしていた。開演時刻が迫ってから会場へ。もうかなりファンがたくさんいる。僕の席は、1階の15列22番。ライブはまずまずよい。麻衣さんは薩摩揚げを食べたり、天文館通を歩いたようです。僕も一緒に行きたかった。ライブが終わって会場を出る。

ファンはまだ会場に残っているのか、あまり見かけない。僕はどこで食事をしようか考えながら歩く。結局駅近くの福屋というラーメン屋による。ここでニラのたくさん入ったラーメンを食べる。好みせみ2004年のときに立ち寄ったラーメン屋。なかなかよいです。ただその後たびたびあちこちで「ふくや」といわれるが、「ふくや」がどうかしたのか。意味不明。あちこちで「ふくや」などといわれるが理由がよくわからない。以前阪神に「福家」という選手がいたがそのことか?よくわからない。ホテルに戻る。

僕は別に鹿児島を嫌っているというわけでもないが今度の鹿児島ではあまり好意的でないような対応をされることがあった。なぜなんだろう。中島美嘉さんは鹿児島出身だそうだ。中島美嘉さんがらみの僕の発言が反発を受けているのか。中島さんにも嫌われているのかも。う~ん、デマの絡みもあり、エイベックス関係など意地でも応援しないが、倉木ファンとして低迷しつつある僕。先行き不安が増大です。

僕はもし倉木さんのファンを辞めるようなことがあってももう他のアーティストのファンはやらない。曲を聴く程度。すると競馬をやるんだろうというようなくだらないことを言うやつも出てくるだろう。どうあっても消去法を悪用しないときがすまない連中の発想。愚劣な発想。生きる価値ある人間の発想ではない。僕は倉木麻衣ファンになってその後14年間ずっと応援していた工藤静香ファンを辞めた。僕の倉木麻衣に対する希望、期待はものすごく大きかったのだ。それが破れて倉木ファンを辞めるということがあったら、しばらく新しく何かに取り組みたいという気持ちにはならないかもしれない。仕事にでも打ち込んでいよう。それくらいしかないか。読書、たまの気晴らしにスポーツ観戦や競馬。それもほんのちょっとだけ。

低迷していても僕は倉木ファンを続けようと思う。

25日ホテルをチェック・アウト。最初は肥薩オレンジ鉄道で八代に行こうと思ったが、時刻表を見るとその時間からだと八代に午後3時半ごろつくよう。チェック・インの予定が午後3時。当日ライブだし、あまり遅くなりたくない。駅のところでザボンラーメンを食べ、結局新幹線で新八代経由で八代に向かいました。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.22西都市民会館

2006-11-02 01:54:00 | 2007年までのライブの思い出

いよいよ今年の倉木麻衣さんのライブ、九州地区がスタート。僕は前日21日に宮崎に向かう。西都市では適当な宿泊先が見つからず、宮崎のホテルを予約。ブリスベンズというホテル。宮崎駅に着くと駅のところの店に寄り、かき氷を食べる。客が変な印象だが、気のしすぎか。駅からまっすぐ西を行くとおりを歩いていく。てっきりこの大きな通りに面するところにホテルがあると思い込んでいたがぜんぜん見つからず、大工町というところまで行ってしまう。携帯サイトの地図を頼りに戻るが、やはり場所がわからない。

途中高校生が通りすがりに意地悪なことを言うという攻撃をしていく。僕は相手を知らない、相手は僕を知っているという状況での攻撃。卑怯者。宮崎に来てもこんな状態。僕が宮崎を田舎だといって馬鹿にするんだろうと決め付けている様子。要するに僕が他人を馬鹿にしたがる人間だと決め付けようとしている。もちろん実情など関係ないのだろう。「他人を何かと馬鹿にするやつだ」と決め付けて、他人を馬鹿にして喜ぶのが宮崎の高校生か。この高校生が千葉・茨城・埼玉あたりに住んだらどうか。「チバラギ、ダサイタマ」という言葉に対し、むきになって怒るかもしれない。馬鹿高校生め。

この高校生だって何か行動の上で問題はあるはず。関東や関西など違うところに行って、見ず知らずの人間からいきなりそれを個人攻撃されたら、どんな気持ちになるだろう。そういうことをこの高校生は理解できないらしい。しかもその行動上の問題というものが、事実というよりも他の人間の流す噂であったら、事実無根の噂に基づき誰だか知らないやつにいきなり個人攻撃されたらどんな気分になるか。しかもそれが全国のあちこちでやられているのだ。みんな事実関係を明確にしようとはせず、問題をはっきりさせず、攻撃だけやりたがる。それが今の日本人の現状であり、そしてこの高校生の態度はある意味で今の日本の精神荒廃の象徴である。

どうやらホテルは大きい通りではなく、ひとつ入った細い道に面しているらしく、やっとたどり着く。宮崎というとライブでは当時応援していた歌手で1992年に初めて宮崎市に来た。倉木さんでは2004年に来た。西都市は全く初めてで、宮崎市以外のライブも今回初めて。宮崎県のライブは今回で通算3度目になる。しばらくして外出。宮崎というところ暑いのだろうが風がさわやかでしのぎやすい。気候的にはすごく生活しやすいような印象。

ホテルを出てすぐのところに餃子専門店を見つけた。以前1992年に宮崎に来たとき追っかけマニアの男性と二人でライブ後に食事に行き、餃子専門店で食事をした。確かワシントンホテルの裏側のにぎやかな通りということは覚えていたのだが、2004年に来たときワシントンホテルは違うホテルになり、餃子専門店も見つからなかった。今回ホテルを出てすぐのところで偶然餃子専門店を見つける。黒兵衛という店。僕はビールと餃子2皿注文。1992年に来た店は鉄板で直接餃子を出す形式だったが、ここは皿で出す。カウンターの向きも違う。なかなかおいしい餃子で、とても2皿では足りない気がする。でも他にも店を見てみようと思ったのでここで食べるのは止めた。でもおいしかった。

アーケード街を往復し、本屋で雑誌を買う。街では5000円くらいの安いホテルなどと馬鹿にして歩いているおじさんがいた。宮崎の人はお金持ちが多いのだろう。どこで食べようかと迷っているうちにまたホテル近くまで戻ってしまう。結局亀仙人というラーメン屋で食事。こってりのとんこつラーメンを注文。これは結構おいしい。ホテルに戻る。

宮崎にはじめて行った1992年。ライブの会場で比較的地位が高い主要スタッフが、ある一人のファンの前で、自分たちが宿泊するホテルを言っていた。つまり歌手もそのホテルに宿泊する。周囲にいた7名ほどの他のファンも聴いている。僕もいた。そのホテルは宮崎を代表する大きなホテル。川沿いにある大きなホテル。僕以外の他のファンはそのホテルの近くのホテルに宿泊している。そちらも大きなホテル。なぜあのスタッフはそんな話をしたのか。僕は当時無頓着だったから、気にしていなかったが、わざと一人のファンに対し話しながら、他のファンに情報を聞かせるという形で情報をリークしていたのではないか。そして僕らの反応を見るというようなことをやっていたのか。今頃になってそんな疑問が出てきている。本当はどうだったのだろう。ただ、主要なスタッフなどと書くといまどきの生きる価値のない連中は、僕のことを主要スタッフが好きなのだろうなどと話を捻じ曲げて解釈するだろう。そういうやつ確かにいる。主要スタッフがいいとか悪いとかそういう文章じゃないだろうが。しかも主要スタッフとそうでない場合と文章の意味合いだってずいぶん違うのに意地汚い連中にはどうでもいいことらしい。

でも、僕は交通機関については追っかけを一部やっていたが、それ以外は追っかけはやっていない。そもそも追っかけという言葉、人によって解釈や定義が大きく異なる面があり、あるファンに言わせれば僕は追っかけではないということになるらしい。僕は歌手が宿泊するホテルに宿泊したことはないし、当時僕が宿泊していたのはカプセルホテルやサウナ、夜行列車が中心。普通のホテルには一度も宿泊していない。今はホテルに宿泊するようになったがそれでも安いホテルが中心。倉木さんの宿泊するホテルについては全く情報が入っていない。他のファンと付き合いもないのでそのルートがない。

このときも情報は入っていたが、僕はそのホテルには行かなかった。前述のようにコンサートが終わると追っかけマニアの人と食事に行き、そのあとサウナを探した。今回宿泊したブリスベンズホテルの近くにマリックスというホテルがあったが、そのサウナコーナーに宿泊した。当時はそこにはカプセルはなく、ホテルの客も来るサウナ室はものすごい混雑だった。椅子が寝にくく、床に寝たが、でもぐっすり眠った。そんな記憶がある。

翌日22日バイキングに行くとファンらしき数人がいる。西都行きのバスがどこから出ているかわからず、昼過ぎに宮崎駅まで行く。またアベックが通りすがりに意地悪な発言をするという攻撃をしていく。ブ男とブ女、性格も猛烈に悪そう。よく平気で生きていけるね。平家の郷という店でステーキを食べる。まずまずだと思うが、僕はそれほどステーキは好きではない。もちろんだじゃれ、語呂合わせの類ではなく言っている。こういうことをいちいち書くのは面倒だ。語呂合わせや駄洒落を他人に当てはめるやつのせいだ。迷惑。それに量が少なく感じた。足りない。

どうやら駅のそばでなく、少し離れた大きな通りからバスは出ているらしい。うるわしという店で宇治金時を食べる。でもバス停を見ても西都行きのバス路線が飲み込めない。ひとつとなりのバス停に行くとずいぶんバスの時刻が違うようだ。結局午後3時台だったと思うけれどもバスに乗り西都へ向かう。同じバスに何人かファンらしい人が乗っていた。

他のファンらしい人は終点手前で降りる。僕は終点まで行く。帰りのバスの時刻を確認する。どうやらライブ終了後最終のバスには間に合いそうだ。会場まで歩く。途中スーパーによる。お惣菜コーナーをみる。僕の好みとは少し違うような気がする。名前忘れたけど店内の飲食店で冷汁定食を食べる。地元の名物らしい。知らなかったが、翌日宮崎市内でも冷汁定食の店があったから有名なのかもしれない。僕が知らなかっただけか。

会場に着く。もうかなりたくさんファンが来ている。僕の席は1階席6列目。このチケットぴあのプレリザーブでチケットが取れず、ぴあの一般発売でチケットを手に入れたもの。2003年名古屋、2004年熊本につぎ3度目の6列目。2年以上の久しぶりの10列目より前の席。ライブを楽しみました。

ただ、ライブ会場でスタート前に僕のすぐ近くのファンに対し、年配のスタッフが、二重チケットだの、オークションだのくだらないことを行っている。二重チケット発売があったからといてそれはチケット発売者側の失態であり、ファンにとやかく言うのはおかしいし、こういう話題を他のファンが聴いているかもしれない客席内で堂々とやるなんて、馬鹿なのかこのスタッフは。ここのところライブでのスタッフの態度の悪さも目に付く。現場のスタッフもおかしな情報が流れてきたら、鵜呑みにせず、その情報を疑ったらどうか。

麻衣さんはどうやら古墳に行って勾玉を作ったようです。僕も一緒に行きたかった。かわいい麻衣さん。ライブが終わると近くにバス停に向かう。最終のバスだけれどもこのバスに乗ったファンは全部で5人くらい。他のファンはどうしたのかしら。割り勘で数人でタクシーに乗ればバスより安く宮崎に戻れるけど、そうしたのか。車の人がいたのか、地元で宿泊先が見つかったのか。よくわからないけれど拍子抜けするほどバスで帰るファンの少なさ。

同じバス停で僕ともう一人降りる。僕はまた亀仙人でラーメンを食べる。今度はあっさりラーメン。でもこってりラーメンのほうがおいしいと思った。ホテルに戻る。麻衣さんは結構遅くまで会場にいるのかしら。よくわからないけれど。

翌23日朝バイキングに行くとなんだか客層が悪い。どこかの悪徳宗教の信者のようなやつがいる。うっとうしい。チェック・アウト後駅近くのアーケード街を経由し、宮崎駅の近くのバスセンターに行く。ちょうど前のバスが行ったばかりで1時間近く待ち、次のはまゆう号というバスで鹿児島に向かいました。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.20松戸森のホール21

2006-11-01 13:51:00 | 2007年までのライブの思い出

今日は倉木麻衣2006ライブ・ツアー5回目。倉木さんは以前松戸の学校にいたらしい。倉木さんにとっても思い出深いところでしょうか。僕も大学時代を含め5年間生活し、親も現住している。よく知っている都市である。この会場は2004年に一度倉木さんのライブで来ている。当日は日暮里駅まで行き、常磐線に乗り換える。松戸駅から新京成。ホームで立ち食いそばを食べる。八柱に着く。駅でもカレーライスを食べる。会場への道は以前行っているのでわかるが、前回は行くとき少し遠回りになってしまった。近い行き方を確認して行く。

会場にはすでにかなりの人数が来ている。飲み物を飲み、しばらくすると入場の整列が始まる。僕も並び始めた。今日の席は3階席1列目。こういう席はあまり機会がないのでちょっと楽しみです。怖いような席。しかも僕はこのころたびたび目の状態がおかしくなり、目やにも多く、そのため、余計に距離感をつかみにくく、一段と不安定な怖さを感じてしまう。結局座ってみるほうが多かった。席からするとそれがいいかもしれない。

今日のライブは昨日の市原に続きなかなかよいライブで、僕自身もすごく楽しみました。麻衣さんは松戸のイトーヨーカ堂に行ったそうです。僕はあまり行ったことのない店です。伊勢丹とか、Dマート、新松戸のダイエーは行ったことも多いけど、松戸のイトーヨーカ堂はすごく少ない。麻衣さんはCDショップに行ったそうです。コロコロカステラ。

ライブが終わり、アンケートを書いて外に出るともうすでに人がいっぱい並んでいる。これが噂に聞く出待ちイベントの場所取りなのか。よくわからないけれども、すごい人。僕は飲み物を買う。近くの男が何か他のライブの話しをしているのが聞こえる。チケットが安かったら行くとか行っている。くだらない。頭の悪い人間の発想だ。ライブではよくこういう連中を見かける。相手にしないほうがいい。少なくともこいつらはファンではない。立場が違う。もちろんこういう指摘をしても相手には通じないだろう。発想のレベルがまるで違うのだ。

出待ちには参加しないのでとっとと帰ることにする。八柱行きのバスがあるらしい。ここは駅から近いし、バスなんてなくてもいいと思うが、僕も少し面倒くさく感じて、バスを利用することにした。170円。バスの中でまたいかにも馬鹿丸出しの若者集団が老人優先席に座って下卑た笑いをしている。別に老人がいるわけでないし、混雑しているから老人優先席に座っても悪いとは思わないけれども、何か明らかに他人を揶揄しよう、あてこすろうという姿勢がある。それも愚劣な人間特有な考えを根拠にして他人を揶揄しよう、あてこすろうとしている。こんな馬鹿な若者が平気な顔をして生きていく。日本という国は大丈夫なのか。そしてそんなことを言うと喜ぶ年配の人間こいつらが若者同様に世の中をおかしくしているのだ。

結局、新京成松戸常磐千代田西日暮里経由で帰る。西日暮里駅でガムをかむ若者集団を見る。ガムをかむというのは見た感じの印象は悪い面はあるが、焼肉やにんにくを食べたあとなど口臭予防にガムを噛むのはしょうがない気がする。家に帰るとライブ・グッズを確認しつつ、明日からの九州行きの準備に取り掛かる。

今日のライブは結構楽しかった。よかった。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.19市原市民会館

2006-11-01 09:24:00 | 2007年までのライブの思い出

今年のライブツアー4回目は市原市民会館。僕は千葉県に居住歴があるが、市原市に行ったことはない。全く初めてのところ。総武線と京葉線どちらで行くのがよりよいかよくわからないけれども、京葉線のほうがよさそうな気がして東京駅の京葉線ホームに行く。途中東京駅でカレーライスを食べた。蘇我行きにの電車に乗る。眠ったり起きたりしていた。電車だとよく寝てしまう。

蘇我駅に着く。内房線で五井駅に到着。五井駅というと横浜からバスがあったはず。2004年のパシフィコ横浜の倉木さんのライブに行くとき横浜駅でそういうバスを見かけた。ここが市原氏の中心駅のようだけれども、会場はここからかなりある。2kmくらいはありそうか。小湊鉄道の上総村上という駅のほうが近そうだけれどもここでも1kmはありそう。雨も降っている。全く初めてのところで道にも不安を感じる。歩こうか、バスにしようか、タクシーにしようか迷いながら駅のところにしばらくいた。

駅のラーメン屋に入り、冷やし中華を食べる。ビニール傘を買う。雨がずっと降っている。結局タクシーで行くことにした。意外に距離を感じる。目印になるものがよくわからないので歩くと結構たどり着くのに苦労したかもしれない。会場にはもうかなりのファンが来ていた。到着すると雨は上がっていた。4時前くらい。今日はいつもより僕は早めに会場に着いた。

今回のツアーで4日目なのだけれども僕はまだグッズを買っていない。前半のライブではもっとも家から近い松戸のライブで買おうと考えていたがその後の九州行きの準備を考えてここ市原で買うことにした。グッズは値段の高めのものもあるが倉木さんのライブではいつもこういうグッズが1品くらいはあるからいつものことだけれども、小中高生にはきつい値段のような気もする。でもそんなことを言うといまどきの屑日本人からは、自分が小中高生だからそんなことを言っているんだろう、というようなくだらない決め付けをされるかもしれない。ばかばかしい。でも経済的に苦しい人は買えないかも。一応僕はそこにあるグッズを全部買いました。

おなじみのガチャガチャもやりました。でもゲットしたグッズは偏りがありました。色が何種類かあるものだと全部の色が入っていないのではないかと思われました。だいたいグッズはほとんどゲットしたけれども、色違いのものがいくつかゲットできていない。サイン入りとかは今年もあるのかしら。それは僕はなさそう。おなじみ両面ハートマークのコインは記念にいくつか持って帰りました。片方のハートは倉木さん、もう片方は僕のハート、ぴったりとひとつになってうれしい。でも最近ファンとして冴えないような。

結局8万円弱くらいお金を使った。もうしばらくグッズは買わなくてもいいかと思ったけれどもその後、この会場や他の会場でグッズについて僕にとやかく言う人がいたようです。グッズを買っていないと。おかしいよ。そういうの。

ライブがはじまる。席は1階の26列32番。ライブは結構よかった。今回のツアーで初めて僕はすごくいい印象を持った。僕も結構楽しんだ。よいライブでした。麻衣さんはラーメンを食べたそうです。僕は日ごろラーメンは食べない。中国人や共産主義と結び付ける生きる価値のない人間がいるからだ。ラーメンを食べるということと中国や共産主義が贔屓かどうかと結びつける発想、しかも他人に関してそういうことをする意地汚い日本人発想だ。でも倉木さんの話を聞いて僕も久しぶりにラーメンを食べたくなった。

ライブが終了。アンケートを書いていると早速グッズのことでとやかく言って来る馬鹿者がいる。誰なんだよお前は。見ず知らずの人間がいきなりグッズについてとやかく言って来る。相手は僕を知っているらしいが僕はお前なんか知らない。本当にいまどきの日本人はいきなりぶしつけに突然何やかや言ってくる。年よりも困ったものだが、若者、特に倉木ファンにこういう困ったやつを多く見かける。他のアーティストのファンにも悪いやつはいるだろうが、倉木ファンはおかしいよ。僕がグッズを買う買わないという問題は、誰だか知らないおまえなんかにとやかく言われないといけないことなのか。屑野郎!

出待ちはやらない。シャトル・バスがあるということだったが、説明不足でよくわからない。路線バスはかなり待ちそう。しょうがなくまたタクシーに乗った。五井駅から電車に乗り、蘇我駅で総武線、錦糸町で黄色の電車、秋葉原で山手に乗り換えて帰りました。市原のライブがよかったので明日の松戸も楽しみになりました。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.17群馬県民会館

2006-11-01 07:42:00 | 2007年までのライブの思い出

今日は倉木麻衣さんの2006年ツアーの3回目。関西2公演後、初の関東地区公演。僕は前橋というのは当時応援していた歌手のコンサートで1991年、1992年以来久しぶりに来るところ。1991年は、日曜日、お金の持ち合わせが少なく、初めて行ったときは前橋中央郵便局でお金を下ろして行った。当時早めに会場に行くのが通例。早めに行ってもだいたい、顔なじみのファンがもう何人も来ているのがいつものこと。別に競争して早く行くことを目標にしていたことはない。当時は僕は他のファンと交友を持っていた。だから、早めに会場に行くと誰かしら顔見知りのファンが来ていて会話をして情報交換をし、交友を深めていたものだった。

当日券を買う場合少しいつもより早めに会場に行くことはあったし、列車の都合で早めに会場に着くこともあったが、別に一番乗りするとか、他のファンに競争意識を持って早く会場に行こうという意識なんぞなかった。そもそも当時そんな話が出てくる様子も全くなかった。ところが最近、僕が競争意識を持って早めに会場に行きたがっているとか、わけのわからない噂を流して面白がるマヌケ野郎がいるらしい。当時の僕の行動や他のファンを知っている連中ならよほど愚劣でない限りそんな馬鹿な話はしないだろう。競争して一番乗りしてどうするのか。馬鹿馬鹿しい。

こんなものはどうせ人間の屑どもががくだらない語呂合わせや駄洒落から、わけのわからない噂を作り出したのだろう。そんな噂を真に受けるやつも異常人格者だろう。倉木ファンになってから早めに、それもそれほど極端に早いというわけでない時間、午後2時とか3時とか、に会場に行くとスタッフにせせら笑われたり、他のファンに意地悪な対応をされることもあり、今では早めに会場に行くことはなくなった。天候が悪いとき会場によっては少し早めに行くこともあるが、それでもそんなに早くは行かない。

当時応援した歌手だと、もう午後2時や3時ともなると会場にかなりなレギュラーファンが来ていたもの。当時は比較的積極的に他のファンと交友を持っていた僕は、早めに会場に行き、他のファンと交友を持っていたし、それを楽しみにしていた部分もある。今とは大違いである。

この日も比較的ゆっくり前橋に向かう。普通電車で高崎へ、乗り換えて前橋へ。久しぶりの前橋駅。しばらく駅のところで時間をつぶす。あまり早めに会場に行きたくない。雨が降っていた。しばらくして開場時刻が近づき歩いて行く。少し迷いかけるが、この街はあちこちに道路わきに地図があり、便利、会場の裏口にたどり着く。中高生らしき4人組がいる。「曙~、曙~」などと僕に言って来る。こういう糞野郎の中高生は全国的に見かける。僕は相手を知らない。向こうはこっちを知っているのだろう。待ち伏せして馬鹿にして言ってくる。

「曙」という言葉自体侮蔑的ではないが、僕に対しその表現を使う行為には明らかに侮蔑的な意味を持たせているのだろう。誰だか知らない中高生に待ち伏せされてこのような発言をされるのだ。多くの日本人は僕のほうを悪く言うかもしれない。それならお前が僕の立場になってみろよ。全国的にこの調子。すでに成立した人間関係の中での話ではない。

こちらは相手を知らず、相手はこっちを知っているという匿名性を利用した卑怯な攻撃をやってくるのだ。中高生だ。別に中高生以外ならやってもいいといっているわけでないことぐらいまともな人間ならわからないといけない。とにかく前橋の屑中高生のいきなりの攻撃に腹が立つ。こんな屑中高生を育てて教師は給料をもらっているのか。

ついでだけれども他人の外見的特徴をあれこれ言うのはよいか、悪いか。そういわれれば、だいたい悪いと答えるのが一般的か。でも会話の状況によっては、外見的特徴をいわないと会話が成立しないこともある。お互いその人の名前は知らないという状況で、「追っかけをやっている背が低くて、はげている人知ってますか」、「知りません」、「ほら岸和田のライブに来ていて僕と一緒にいた背が低くて、はげている人ですよ」、「ああ、あの人か」、「あの人探しているけど見つからないんです。もし見かけたら僕が探していた、と伝えてもらえますか」、「わかりました」というような会話があったとする。似たような会話は結構ある。僕は問題ないと思うけれど、人によっては問題視する。それどころかそっちのほうから話を持ちかけておきながら、こちらが「背が低くて、はげている人、見かけたので伝えておきましたよ」などと言うと「背が低くて、はげている人なんて何人もいるから、ただ背が低くて、はげている人といわれても誰のことだかわかららない」などと言い出す。挙句、「あの人は他人のことを背が低いだの、はげだの外見をとやかく言いたがる人だ」という噂を流されてしまう。自分のほうから持ちかけた話しだという意識などないらしい。これは作り話だが、とてもよく似た話が今までいくつもあった。

他人の外見的特徴を持ち出すことにより、不当に得する人、損する人、逆に他人の外見的特徴を持ち出さないことにより、不当に得する人、損する人、いろんな人がいる。単純に他人の外見的特徴を持ち出したということだけで、良い悪いなんぞ決め付けられないこともある。しかし、人間関係の成立していない状況で、前述の中高生など待ち伏せして身分も明かさず、いきなりの攻撃。この中高生たち、今後も平気な顔して生きていくのか。

会場はもうずいぶん久しぶりだけどそんなに変わったという印象はない。飲食コーナーもある。以前は利用したが今回は利用しない。もう開演時刻も近く入場も始まっている。席は1階15列49番。ライブでは麻衣さんが街を歩いた話をする。酒まんじゅうを食べたとか。前橋駅から坂下までバスで行ったそうです。ライブが終わり僕はアンケートを記入し、会場を出る。駅まで歩く。歩きながらバス停を確認していて坂下というバス停を発見。坂下というバス停は駅から近い。麻衣さんがバスに乗ったのはあまり長い距離ではない。ここはでも会場からは少し距離がある。麻衣さんがこのあたりを歩いたのはなぜだろう。

向かいにホテルがあるからそこに泊ったのか。でもここは東京からも近いし、ライブのあと東京まで戻ることも可能だろう。よくわからない。駅に着き、電車に乗り帰る。他のファンは駅では少ない。出待ちをやっているのか。車でいった人や地元の人はいいけれど、電車でいった人は、もう電車があまりないはず。僕が乗った電車は高崎から上野行きの終電のひとつ前。このあとが終電。ちゃんとみな帰れたかな。

僕は1991年のとき東武伊勢崎線で伊勢崎でJR乗換えで行った。帰りもその路線。1992年も東武伊勢崎線で行った。帰りも東武伊勢崎線経由で帰ろうと思った。ところが伊勢崎駅まで行くと東武線は終わっていた。終電の行ったあと。前年は東武線で帰れたのにどうして今年は帰れないのか、不思議に思ったが、よく考えると1991年は日曜日で開演終演時間が早く、1992年は平日で開演終演時刻が遅く、そのためだと思いついた。しょうがなく、高崎行きの電車に乗ったが、もう遅く、高崎駅から先の上野方面に行く電車は終わっていた。当日帰れなかった。高崎駅周辺に座ったり、終夜営業のラーメン屋に入ったりしながら、時間をつぶし、朝4時台の急行妙高で上野に戻り帰宅。ぐったりでした。しかもその日仕事。急に出勤時刻が遅くなる事情があり、助かったけど、それでもぐったりでした。

こりごり。前橋のときは電車の場合早めに帰らないと電車がなくなってしまう。他のファンはどうしただろう。ちゃんと間に合ったかな。出待ちイベントというものも僕は一度も参加していないので様子がわからない。若いファンが熱心に意欲的に倉木さんの応援をするのはよいこと。みんながんばってね。ただ、僕に余計なちょっかいを出すのは止めてくれ。うっとうしいから。

僕はだんだんと倉木さんについていけなくなりつつあるのだろう。さびしいことです。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.13三木市民会館

2006-11-01 04:19:00 | 2007年までのライブの思い出

倉木麻衣さんの2006年のライブツアーが始まった。一日目は岸和田市浪切ホール。もうなんだかあの会場が妙に懐かしい印象がある。また機会がったら行ってみたい気がするが、なかなかそういう機会はないかもしれない。浪切ホールのライブには僕はイマイチ納得の行かない部分があった。それはその後倉木さん宛のメールに書いて送った。

翌日8月12日暇なので出歩こうかと思ったが、ライブ前日に歩き回り足を痛めるのもいやだし、暑いし、ちょっとだけ出回ることにした。ホテル近くの三十石の前の店で食事。今日は法善寺あられを食べたいと思った。以前からGIZAの店に行って気にはなっていた。浪速氷室とか、closerとか、倉商グループ、やまがうどん、などGIZA周辺の店の中でも、hill'sパン工場の前にあり、僕が不勉強なだけで結構有名なところのようだ。

ただ前日のことからすると北堀江あたりは、胡散臭い人間がうろうろしているため、近づきたくないと思った。シュクラパンは今回は食べるのは止めようと思った。以前インターネットで調べたところ、法善寺あられというのは心斎橋のアーケード街にもあるようなのでそこに行く予定にしました。最初本町からアーケード街に入り、難波で折り返しまた本町の方に戻る予定でしたが、往復はめんどくさいので難波に先に行き、心斎橋のアーケード街に行き、片道だけ歩いてみました。

なんとなくお好み焼き屋が減ったような気がするけど、よくわからない。しばらく歩いて法善寺あられの店を見つけました。いっぱい何種類も買いました。ワラビもちも買いました。しばらく歩いて本町の駅があったのでそこから地下鉄へ。ここは御堂筋線の本町駅。僕はまだ大阪の土地勘がイマイチだなと思いました。御堂筋線でも淀屋橋辺りだと大阪の東のほうにいるような気がするのに、心斎橋だと西よりにいるような気がしてしまう。筋というのがよく頭に入っていないのかな、と思う。

今回は梅田に行っていないのでちょっとよってみることにした。梅田に行ったのはいいけれど、地下街がなんだかよくわからない。阪急のほうに行ったり、阪神のほうに行ったり、2年位前まで梅田で迷うことは少なかった。あそこに行くとあの店があって、というような目印があり、あまり迷わなかったが、昨年あたりから場所がさっぱりわからないことが多くなってきた。地下街が変わったのかな。記憶違いか。うろうろした挙句さっぱりわからず、早めにホテルの帰ることにした。

ホテル近所のエムズカレーを食べた。結構よい。また蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買って帰る。麻衣さんはどこに住んでいるのだろう。

8月13日(日)、倉木麻衣ライブツアー2日目、三木市文化会館。僕はゆっくり出かける。梅田まで行き、阪神電車の普通に乗る。三木というところは、阪神で新開地へ、そこから神戸電鉄で行くという事は知っていたが、阪急でも行けるらしい。時間に余裕があるのでゆっくり行っていた。新開地駅で立ち食いそばを食べる。神戸電鉄に乗る。山のほうに行く。僕は神戸はあまり詳しくないが、このあたりは初めてのところ。乗客にスキン・ヘッドの男がいたが、映画「ディセント」の地底人の真似なのか。いまどきの若者のセンスだろう。

僕は事前に調べたら、三木上の丸駅が近そうだった。ある駅でファンらしい連中がごっそり降りていく。僕はてっきり三木上の丸駅に着いたのだと思い、あわてて降りたが、恵比須駅だった。携帯サイトをもたもた確認していたら、他の人はみないなくなってしまった。でも会場は近いらしい。僕はライブ終了後どこかで食事をしようかなどと考えながら、一人で歩いていった。近道のつもりで横の坂道を上がったら、畑、スイカの食べたあとの部分が捨ててある。近道は見つからない。

他のファンも見かけない。違う道を行ったのか。しばらくして会館のほうへ上がっていく道がありそこを上る。小さな川がある。殺風景なところ。三木市の中心部ではなさそう。会場に着くともうファンがいっぱい来ている。反対側の建物に自販機があり、そこで冷たい飲み物を買って飲む。しばらく休むが暑い。

今日の席は、1階に列41。ライブの印象は、8月11日の浪切ホールと同じようなもの。少し不満を感じていた。ライブ終了後、僕は出待はやらないので駅へ。今度は三木上の丸駅へ歩く。途中左折したが道が違った。やっと駅にたどり着く。帰りの電車空いていた。恵比須駅でも乗る人は少ない。他のファンはまだ帰らないのか。夜遅くなると電車の本数も少ない。熱心だね。みんな麻衣さん大好き。

僕は新開地駅から阪神の特急で帰る。でもホテルに着いたときはもう夜11時過ぎだったと思う。会場に残っていたファンもかなり遅くなっただろう。ファンがすごく熱心。すばらしいことです。

14日京阪経由で丹波橋・近鉄・京都駅経由で帰ろうかと思ったけれど、めんどくさくなったので、新大阪経由でまっすぐ帰りました。

この文章書いたあとで思い出したけれども、関西地区の倉木麻衣さんのライブを観るのは、これが11回目。そのうち野外ライブのBKCライブを除く10回が屋内ライブ。2005年の大阪城ホールのスタンド席を含めこれまで関西地区の倉木さんのライブはすべて2階3階4階席だった。つまりこのライブが僕にとって関西地区倉木麻衣ライブ初の1階席となったのです。1階席しかない会場だったが。


倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.11岸和田浪切ホール

2006-11-01 02:01:00 | 2007年までのライブの思い出

いよいよ8月11日から倉木麻衣の2006年ライブツアーがはじまる。今年はどんなライブになるだろう。僕は一足先に8月9日の時点で大阪入りすることにした。なかなか大阪に行くこともないのでこの機会に以前から見てみたかった応神天皇陵と仁徳天皇陵を見てみようと考えていた。それにシュクラパンを食べること、法善寺あられを食べること、など目的にしていた。

9日は台風が来ていることもあり、新幹線のダイヤに影響がないか不安があった。以前から大阪、特に新大阪駅で嫌がらせが多いことから、当初は新大阪駅を避けようと思っていたが、天候の影響も考えると遠回りをしていると大阪到着が大幅に遅れる可能性もあり、新大阪駅を利用した。実際には今回は嫌がらせに気づかなかった。宿泊先は淀屋橋のセンターホテル大阪。安い割りに駅からも近く便利がよい。9日は駅近くをうろうろ。食べ歩き。飲食店が多数入っているビルがあり、芦刈で大阪うどん、三十石でやよい定食を食べる。このあたりで若干の付きまといを見かける。蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買ってホテルに戻る。なかなかおいしい。

10日はまず両天皇陵に行くことにした。応神天皇陵というのは羽曳野市にあるらしい。実際には藤井寺市との境に近い。近鉄南大阪線の古市駅から歩いていった。駅から見当をつけて歩いていったが、墓山古墳や野中宮山古墳にたどり着き、そのあたりを回る。墓山古墳の周囲の濠は、淀んでいたが魚がいるらしい。濠にくっつくように民家が立っている。野中宮山古墳のそばの児童公園で休む。暑くてしかも日陰が少ないのに読書をしている女性がいる。僕は自分がどの辺りにいるのか、よくわからなくなったので、携帯サイトの地図で確認したら、かなり応神天皇陵とは方向違いのところにいたようです。

近道をするつもりで住宅地に入り込んだら、立て続けに行き止まり。結局濠の横に畑があるところの近くで応神天皇陵を見る。僕がいた辺りは濠はそれほどでもないが、やはり陵墓はものすごく大きい。僕の思い描いていた応神天皇陵の大きさが、墓山古墳くらいな規模。まるで規模が違う。感慨というよりは、ただ大きすぎて山塊があるというだけの印象。ちょっとはなれたところからも見えるが、まさかあんなにでかいの?と思う大きな山々が、やはり応神天皇陵。周囲にはたくさんの古墳があるが規模が違う。とにかくでかい。

歩いて古市駅に戻る。暑さでぐったり。途中道が二つに分かれている。ここを右に行けば神社があって応神天皇陵をもっと見やすかったかもしれない。駅のところでキャベツ焼きというものを売っていた。なんだろう。気になったけれど、暑いのでそのまま駅に戻り、冷たいドリンクを飲む。近鉄長野線で河内長野駅、ここから南海高野線で三国ヶ丘駅に向かう。南海電車も停車駅がさまざまで、なかもず駅なんて南海、地下鉄、泉北高速などが入るので大きい駅かと思ったけれど、急行など停車しない。三国ヶ丘もJR乗換駅だけど、急行など停車しない。

三国ヶ丘駅の近くに仁徳天皇陵がある。これもでかい。少し周囲を歩いてみた。淀んでいて濠など整備されていないようだが、観光地化、俗化されていない様子がとてもよい。でかいし、暑いので少し周囲を回ったところで、また三国ヶ丘駅に戻る。とにかく実地でその大きさがわかったのは収穫。古墳というより、小高い山という感じか。

三国ヶ丘駅に戻ると南海線の駅のホームにプリンの店があったので寄る。プリン工房。この駅の飲食店はほとんど下り線ホーム。唯一上り線ホームにある店がこのプリン屋さん。売れるのかな。お店の経営は大丈夫なのかしら。大きなお世話か。僕もビン入りともう一つくらい買って食べたが、まずまずか、正直なところ量が少なくて食べた気がしない。大カップなんて置かないのかしら。売れないかな。がんばってね。

南海電車で難波に行く。暑いので一休み。昨年も寄ったなんなんタウンの鳥の巣に行く。串焼きとチューハイ3杯。若い女性店員が増えている。気のせいかおばちゃんが若々しく華やいだような。制服まで来ている。楽しい店のようです。そのあと同じなんなんタウンのヴィクトリア・カフェに寄る。カツカレーを食べとアロエのジュースを飲む。それから日本橋駅を出て道頓堀を渡ってすぐ、つるとんたんにいく。ここは昨年通りかかり、サンプルにカツカレーうどんがあるのを見て、大阪らしいなあと思い、そのうち食べてみたいと思っていた。カツカレーでもない、カレーうどんでもない、カツカレーうどんである。うどんにカツカレーが入っている。というわけで、食べに行く。

ただメニューを見ているうちに他のうどんを食べたくなった。他にも珍しいうどんがあり、そのうどんのほうがおいしそう。でもせっかくカツカレーうどんを食べに来たから、予定通り食べる。でもそんなにおいしくはない。たぶん他のメニューのほうがいいような気がした。お店の人に怒られるか。

 

まだ時間が早い。そこで地下鉄動物園前駅まで行き、南霞町から阪堺電軌で大和川駅まで行く。この大和川駅、以前倉木麻衣さんが、プロモーション・ビデオで、線路を歩いているシーンがあり、チラッと駅名が見える。大和川と書いてあったような。この大和川かしら。他はよく知らない。たぶんこの駅ではないかと見当をつけていた。実際行ってみることにした。大阪市からちょうど堺市にはいって最初の駅が、大和川駅。大和川のそば。この川関東の綾瀬川(中川?)などと並び以前汚い川の代表格だったが最近はどうだろう。降りるときも折り返して乗るときも僕一人。しばらく時間をつぶし、ホテルへ。

11日いよいよライブ・ツアー・スタートの日。僕はまず朝、シュクラパンを食べるために、hill'sパン工場にいく。午前10時くらいにいったけれども、もう売り切れだった。また売り切れか。2年連続で食べられなかった。法善寺あられのビルを見ながら、他のパンを注文し、食べていたら、後ろに妙な男。ファンらしき集団もいる。僕はGIZAのビルの道路を挟んで右横の自販機で飲み物を買い、堀江公園へ。ここも怪しい男がいる。

電気工事の服を着たすけべそうな男の集団。何かしているわけでもなく、ただニヤニヤしてたっているだけ。何しているんだろう。この公園にいる人もなんだか変な感じの人が多く、僕らファンがうろつくので、それに伴い、いかがわしい人間が北堀江あたりに増えたのだろうか。あまり僕などは北堀江、特にGIZAビルの周囲はうろつかないほうがいいのかもしれない。少し暇なので時間をつぶしたあと、やまがうどんに行く。にしんそばを食べる。ここの客も怪しい。後から来た客なんぞ立て続けに着メロを鳴らす。誰の曲かわからない。曲じゃないかもしれない。やはり付きまとい、嫌がらせと考えるべきだろう。僕がGIZAビルの周辺に来ることを予想して、待ち伏せされたのか。こういうやつがいるとやはりGIZAビル周辺に近づきにくくなる。

難波に行き、時間つぶしを兼ね、英国屋2軒に寄り、飲み食い。やっと南海電車の難波駅に行く。わざとらしいコインロッカーの空き方。そのまま普通電車で岸和田へ行く。駅到着。岸和田駅でロッカーを探したが見つからず、暑いのでミネラルウォーターを頭からかぶったりして、また時間つぶし。早く行くと他のファンに意地悪されるかもしれないので警戒。おばあさんが暑いですねえ~、話しかけてくる。気のよさそうなおばあさんだったが、僕が自販機で飲み物を買うと表情が曇ったが、どうしたのだろう。

駅近くのふじやという店で食事。またカツカレー。ここの前の通りをまっすぐ行くと、会場。僕は散々時間をつぶしたが、まだ開演まで1時間ある。ここは立見席。並ばないといけない。立ち見の順はR12。ステージから見て右サイドの三階席の立ち見順番12番ということ。中に入って席を取った。一番ステージよりで、倉木さんを見下ろすような角度。天皇陵に行ったりして、前日少し歩き疲れている。途中少しへたり座り込んでみていた。麻衣さんがかわいい。

麻衣さんは最近また一段と美しくなっている。ライブは少し僕の予想と違っていた。でもファンはすごく盛り上がっていたから、それはそれでいいのだろう。ライブが終わり会場を出る。関東に来てからグッズは買う予定なので、ここでは買わない。少し足が痛い。やはりライブの前日は歩き回るのは控えめにしたいところ。というか体力が落ちているのか。そういいながら結局また歩いている。困ったもの。反省。駅まで行く。途中妙な男の集団、コンビニを見ると妙な客の集団。いやな感じ。駅のホームに待合室があるが、南海電車の待合室は、冷房が入っている。電車でホテルへ戻る。

ホテルでも妙な若い男がいる。なんなのだろうこいつらは。この日倉木さんのラジオがあるはずだったけれども、聴けず。ライブのあと何も食べなかったけれども、食べてばかりいたせいかあまり空腹を感じなかった。

いよいよライブ・ツアースタート。今年はどんな感じになるのかな。