六月晦日の「大本山總持寺」参詣
一年の前半の最後の日(年の折り返し日)は、久々の上京の用の前に先ず「大本山總持寺」を参詣した。
筆者の祖祖父 上村善太郎の弟、木村如成は、出家し金沢の天徳院で禅僧として修行、さらに「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい行を経て、無人の山寺を預かったと聞いている。
曹洞宗大本山總持寺に惹かれる潜在意識は、そんな繋がりも関係するのだろうか。
二十歳代に筆者が修行を経験した金沢の曹洞宗「大乗寺」は、広い敷地に凛とした修行場として建立されているけれど、
「大本山總持寺」の敷地の広大さ(15万坪)は驚きで、街の通りから本堂へと緩やかな坂の広い参道が長く続く。
樹木には樹種名が記され、ちょっとした自然観察路でもあり、本堂の廻廊の板は、鏡のように磨かれている。
★大本山總持寺・炎の踊り(作曲 火山 久)…土笛(Piccolo by Akira.U) YouTube:https://youtu.be/mL8OxlqumM4
〈總持寺〉
現在の「總持寺祖院」(石川県輪島市門前町)が、元の「曹洞宗大本山 總持寺」。
「總持寺」の正式名は「諸嶽山總持寺(しょがくさん そうじじ)」で、開創は、700年余の昔。
能登半島の一角の「諸嶽観音堂」真言律宗教院の住職 定賢権律師(じょうけんりっし)が、1321年夢枕に現れた観音様のお告げから、中能登の永光寺の瑩山禅師との縁を持ち入山を要請、瑩山禅師は快く拝命し諸嶽観音堂に入寺。
寺号を仏法(真言)が満ち満ち保たれている総府として「總持寺」と改名。山号は諸嶽観音堂の仏縁にちなんで「諸嶽山(しょがくさん)」とした。
1898年(明治31年)の大火で全山を焼失し、再建されたが1911年(明治44年)本山の機能を横浜鶴見へ移転し、これを「大本山總持寺」とする遷祖の儀式が行われた。
寺号を仏法(真言)が満ち満ち保たれている総府として「總持寺」と改名し、山号は諸嶽観音堂の仏縁にちなんで「諸嶽山」とする。
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