「営養」から「栄養」へ…栄養学の父 佐伯 矩(さいき ただす)
伝統的「和食」が世界的な文化遺産になったのは、諸分野からの裏付けがあるのは当然のこと。
栄養学の父と云われる 佐伯 矩(さいき ただす) が、1918年 既に日本独自の私立「栄養研究所」を設立していたことも背景にあるだろう。
《「栄養学のスタート 佐伯 矩」(安曇 桃 記) 》
の記事が 先日目に留まった。…「医と食」(2015年2月1日 公益社団法人 生命科学振興会 発行) より
振り返れば、「食育」「食養」を提唱した 石塚左玄(1851~1909)は、明治時代の医師で 陸軍薬剤監も務め、食事の指導によって病気を治し、栄養学が学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論化した功績で広く知られる。
意外なのは、佐伯 矩(1876~1959)が 現・国立健康・栄養研究所設置の寄付を募る中、石塚左玄の功績を耳にした明治天皇の進言で速やかに実現したといわれること。(Wiki-)
高峰譲吉が、1894年、デンプンを分解する酵素、ジアスターゼ(アミラーゼの一種)を植物から抽出し「タカジアスターゼ」を発明し消化薬として知られたことは、近年の映画「さくら、さくら ~サムライ化学者・高峰譲吉の生涯~」からも知られるところ。
そして 10年後の1904年(明治37年)、佐伯 矩は「大根ジアスターゼ」(大根に含まれる消化酵素)を発見、民衆は好んで大根を用いるようになった。
以後の主な活動を挙げると… 佐伯 矩は、1914年(大正3年) 私立の「栄養研究所」を設立、1917年 世界初の栄養学講習会を開く。
1918年 文部省に「営養」の表記を「栄養」に統一するよう建言し定着した。
また淘洗(米をとぎ洗いすること)による栄養損失の問題も警告し、研究所に16社の新聞社を招待し胚芽米の実演と試食を行った。
1919年 国立栄養研究所の設立を強調し衆議院に参考資料を提出。「経済栄養法」を提唱し、安価な食事でも栄養を摂取できることを広めた。
1920年 内務省栄養研究所が開設され、矩が初代所長となり、翌年「栄養学会」を設立。
1924年 私立の栄養研究所跡に、世界初の栄養士養成施設である「栄養学校」を開設、卒業生を「栄養士」と称した。
1925年 東京で行われた国際医学会議で講演。3年後に 国際連盟から日本の栄養研究の業績はすみやかに世界に利用されるべきと意見があり、矩は「日本における栄養科学の発達」を書き国際連盟に送った。
1934年 世界に先駆けて「日本栄養学会」として栄養学が独立する。
1938年 厚生省が新設され、栄養研究所の管轄が厚生省に移る。
1939年 「栄養研究所」は「厚生科学研究所国民栄養部」となり、佐伯は退官。
戦争当時は栄養の観点から玄米を推奨する「食生活指針」も策定された。
1947年(昭和22年)「国立栄養研究所」が再置され「栄養士法」が公布された。(Wiki-)
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興味深い表現もあるので、「栄養学のスタート 佐伯 矩」の記事から一部抜粋させて頂く。…(前部略)…
栄養範本
手元に栄養学校創立十一周年記 念「栄養範本」という本がある。
それは栄養療法開始より二十六年、 栄養研究所創設より二十五年、国内栄養改善運動として栄養料理講習会創始より二十二年、国立栄養研究所開設より十九年、栄養学会創始より十八年、栄養学校創立より十五年、栄養士生まれてより十四年、国際的栄養改善運動開始より十三年、日本栄養学会開始より五年の時点で、佐伯 矩63歳の時である。
前半は「経典」として、栄養の本義、謹詠、食経、栄養経、栄養教本、栄養の正道の章があり、後半は「毎回食完全説」、それに参考資料として栄養学校のことや栄養研究機関、栄養士養成機関発達史が付いている五十頁弱の小冊子である。
これは昭和十五年六月に印刷されているが、五月には在学生五百名と数名の研究生を擁するようになった栄養学校を大森に移転し、第一回全国学校給食研究大会を開催して意気軒昂たる時であった。おりしも帝国栄養教育会発足と栄養士会との連合になる栄養報国連合会が結成され、栄養学と栄養道の前途が祝福されたものとしたのである。いまでいうと統合栄養食養学といえる。…(中略)…
一、誠心誠意道ノ為ニ努力スルコト
一、上長トノ意思ノ疎通二遺憾ナカルベキコ ト
一、栄養研究所並ビニ栄養学校トノ連絡を怠ラザルコト
一、事務迅速を尊ビ徹夜ヲモ辞セザルコト
一、酒食を慎ムコト
一、小成ニ安ゼザルコト
一、利益二心ヲウゴカサレザルコト
一、貯金ヲ為スコト
一、試食会二注意ノコト とある。
味楽にたつ
また、栄養の本義として、生理上の要求に応じる食物、経済上の生産に即する食物、社会場の義理に協える食物、の三者の融合を目標とする主観的観念と、それに対応する保健上の効果、経済上の利益、道徳上の収穫、の客観的観念の合一を説いたのである。
現在、管理栄養士は二十万人となったが、とかく栄養指導は栄 養素計算のみの依ることが多くなっていて、味やその食材の依って来る経路などは考慮されないことが多い。温故知新で広い目で学び直したい。
佐伯は「栄養方法自主的味楽に立つ」と言い、味楽は之を与えられるべきものにあらず して之を取るべきものとしている。飲食品の選択に学問と研究の成果を重用して自分で摂るのが飲食の根本である、といっているのである。最近のテレビや新聞、雑誌に過剰と思える健康食品の広告があふれているが、自分の食べるものはしっかり自覚して食べたい。