リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

腎臓移植で。その1

2006-11-13 11:04:31 | Weblog
生きる可能性が1%でもかける」土曜日の夕刊にあった。
小学3年生で慢性腎炎を発症、29才で亡くなるまで病腎移植2回を含め4回移植手術を受けた男性がいた。中学時代の作文には「1%でも生きる可能性があるならそれにかけたい」と記していたと言う。
別の新聞で「私は髪1本もらいたくない。一生懸命生きた人は、人に生まれ変わる」と言った人がいた。
人それぞれ考え方があるから何とも言えない。
兄との話も平行線が続く。兄の考え--運命なんだ。大事故を起こしても生きる人もいれば亡くなる人もいる。運命だ。みんな産まれたときから何時死ぬか決まっている。運命に逆えない。人から臓器をもらってまで生きたくないし、自分の臓器を提供するなんて考えられない。又、自分の身体の中で人の臓器が動くなんて考えられない。
私の考え--自分が死んでも自分の一部が役に立ち、動いてくれれば良いではないか。
一度死んだら生き返らない。みんな灰になるんだ。その前に、使える臓器があれば使って欲しい。「それなら、お前は意思表示カードを出しているのか?出してもいないのに偉そうに言うな」と兄は言う。そう、考えていても未だ、「臓器提供意思表示カード」提示していない。私は出していないのに欲しい臓器がある。腎臓だ。今、腎臓移植のことで万波医師のことが騒がれている。病気で摘出された腎臓を別の患者に移植していた--。それはどうかと思うが、それでも欲しいと思っている患者がいること忘れないで欲しい。
私は腎臓が欲しい。義姉が人工透析を受け続けているからだ。しかし、兄の考えは先述の通り。義姉もそこまでしなくてもいい、要らないと言う。