人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

企画案:国立国会図書館採用試験問題で学ぶ「文学」の読み方

2013-03-08 15:55:22 | 国語教育と文学
ママ、おかえり!

 今日は暖かかったですね。
 近くの大学図書館に行ったら、桃の花がだいぶん開いてました。目当ての本は研究室貸出されてて、借りれなかったんですが。

 今日は企画案をひとつ。
 国立国会図書館の採用試験では、珍しく、二次試験の選択科目のなかに、「文学」があるんですよね。国会図書館のサイトで、過去問が三年分公開されてますが、時事問題もほどよく取り入れて、なかなか良く練られた問題です。
 34項目のなかから5項目を選んで各60字~100字で説明させる語句の問題がひとつに、記述式(600字~800字)の問題が総合職で2題、一般職で1題。「メタフィクション」の役割とか。「文学は震災に対して何ができるか」とか。引用文が著作権の関係で省略されてるのでよくわからないのですが、たぶん、きっちり模範解答があるタイプの問題なんだと思うんですよね。

 でも、何年か前(まだ年齢制限に引っかからなかった頃)説明会に行ったときに不思議に感じたのが、日本語学が専門の人でも、歴史が専門の人でも、法学で二次試験受けたと言ってたんですよね。確かに、国立国会図書館目指してる人は、公務員系統の全部受けるんだろうし、予備校とかで対策してくれるのは法学と経済くらいだろうとは思います。でも、文学部の人間には、絶対「文学」のほうが分かりやすいだろうと思うんですよね。国立国会図書館に入りたいくらいなんだから、文学に興味ないはずないし。せっかくよく出来た問題なのに、受けてあげないともったいない気がしました。

 で、提案。誰か『国立国会図書館採用試験問題で学ぶ「文学」の読み方』という教科書を編集しませんか。語句の解説部分は、院生に模範解答つくらせたら、業績にもなるし。記述問題は、ポイント、論理の流れ、模範解答、解説くらいで。10年分くらい集めれば、いろんなトピックを網羅的に扱えるんじゃないかな。なおかつ、採用試験対策になるということで、学生の興味をひくことができる。

追記―2012年度センター試験国語

2013-03-03 15:09:51 | 国語教育と文学
 後から気づいたんですけど、石原千秋は小林秀雄の問題ほうにケチつけてるようですね(http://sankei.jp.msn.com/life/news/130218/art13021807590000-n1.htm)。
 確かに、石原が言うように「評論」とはこういうものだと思って真似をしたらいけないという面はある。小論文でも書かせてみたら、その手の勘違いをしている受験生は結構多いことが分かります。
 ただ私は、評論問題は論理的な思考ができるかどうかを見るものとは考えてないんですよね。何が書かれているか理解できるか。自分の考えに影響されたり、自分の考えと混同したりすることなく、何が書かれているか理解できたらそれで充分だと思っています。大学に入ってレポートや論文を書く上では絶対必要ですから。他人の考えを間違って要約したら失礼です。
 確かに論理的に思考する能力は必要ですが、論理的な文章を読んだところで論理的に思考できるとは限りませんし、論理的な思考能力を見たいんだったら、やっぱり書かせないと…。
 「鍔」に関しては、「鍔とは何か」さえ問えていたら、それでO.K.だと、私は思います。

 ついでに言っておくと、単純に言語的な論理能力を高めるためだったら、評論より小説のほうが向いてると思うんですよね。評論の場合、どうしても現実との関係が出てきますから、書かれている内容に事実誤認があればいくらその文章のなかで論理的な辻褄が合っていても、それが正解だとは言いがたい。でも、小説の場合完全に言葉でできた世界なので、言葉の論理で正しいことが正しい。例えば「空から豚が降ってきた」とあれば、その小説世界のなかでは空から豚が降ってきたんだと思うしかない。だから純粋に言葉によって構築された世界を読み解いてゆく作業になると思うわけです。
 一方で評論は、言葉と世界、言葉と社会、言葉と自然現象、言葉と自分との関係などを理解させるための手段…、かな。誰かの心情だの考えだのを読み取らせるんだったら、評論のほうがいいと思うんだけど。だって、書いてるんだから。

2012年度センター試験国語について

2013-03-03 13:12:12 | 国語教育と文学
 少し古い話になりますが、今年のセンター試験、国語の難易度が上がったと言って話題になりましたよね。
 小林秀雄のほうは、ちょっと古風な文体やアイロニカルな表現に、受験生が面食らっただけだろうと思います。問題自体はそれほど悪問でも分かりにくいものでもない。

 ただ、牧野信一『地球儀』のほうは、ちょっと…。設問と問題文が噛み合っていない、という印象を受けました。設問と選択肢は従来通りのセンター試験らしいもの。センター試験問題の設問のつくり方として、独自に洗練されてきた方法です。でも、『地球儀』は内容として、ちょっとイレギュラーなんですよね。どんな問題文を課題にしても、同じような設問と選択肢なんだったら、問題文必要ないじゃん、設問と選択肢だけで充分。
 『地球儀』の肝は、「地球儀」という表象の変化を押さえること、そして小説内小説が挟み込まれる二重構造を理解できるかどうか。これが設問を正しく解いた場合に見えてくるようじゃないと、設問としては間違っていると言わざるをえない。千年一日のごとく「傍線部のだれそれの心情の説明として最も適切な選択肢を選べ」とやっているだけじゃ、いつまで経っても小説が読めるようにならない。
『地球儀』にとって一番重要な問題は、「地球儀」とは何か、でしょう。

 日本の国語教育は、どうも(人間以外の)物や場所に注意した読み方ができないようです。いつになったら、ことばをことばとして、例えば算数の文章題を解くときのように小説を読む読み方が、教えられるようになるんでしょうか。