人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

お人形と乳房

2013-06-03 22:47:55 | 人形論(研究の話)
 今朝やっとごんちゃんの首輪つけられました。(ごんちゃん的に一方的に)仲の良いわんこたちを一緒に庭に出してやったら、テンション高くなって遊んで警戒心が緩んだので。そのあとはすっかりいつもどおりの感じで、甘えたれです。

久々に、お人形ブログらしく、人形ネタ。球体関節人形の乳房に関する、疑問をつらつら書いてゆきます。とくに解答があるわけではないんですが。

 日本の球体関節人形って、たいてい乳房の膨らみが控えめなんですね。これ、人形だからそういうものだと思われる方も多いかもしれませんが、人形作家さんたちが大きな影響を受けたハンス・ベルメールの人形の場合、結構胸大きいです。乳房とお尻とが交換できるぐらいなんで。
 日本人の特殊な嗜好なのだ、と考えてみても、日本的なマンガやアニメーションの世界は、童顔でも胸の大きなキャラクターにあふれているので、日本人がとりわけ貧乳好きだ、というわけではないと思います。
 ついでに言っておくと、ハンス・ベルメール的なフェティッシュな細部の増殖って、現代の(女性がつくる)お人形よりも、二次元芸術の方に多く見出だせるような気がしますね。「スーパーフラット」とかって、称揚されてたような。
 
 理由はよく分からないんですが、日本の球体関節人形が乳房の小さなものとして始発したことは、ゴシックロリータで拒食症的な女性の自己像を託すアイテムとして発展する大きな原動力になった気がします。

 最近の人形作家さんに、堀佳子さんという方がいるのですが、自分の人形について、ちょっと面白いことを言ってました。

これまで作ってきた機能重視の球体をしんどく感じて、実用でない球体を導入しようと思い、胸に球体を入れたんです。胸というのは女性にとって大事なもので、母性の象徴でもある。それが取り外せるということは、母性から切り離されることが可能ということですから、これは少女で、しかも人間的というより機械的な少女だなと感じたんです。
                     (「堀佳子インタビュー」『別冊Dolly Dolly 少女人形』2004年10月)


 ハンス・ベルメールのようにフェティッシュの対象としているのではなく、客体としてではなく、人形の側に立ってものを見ていることが分かります。球体の入った乳房は、取り外し可能なものとして、サイボーグ的な身体表象へと通じている。そのようなものが、女性による自己表象の手段となる…わけです。

 最近、アンジェリーナ・ジョリーの乳房切除のニュースがありましたが、そのあと彼女、「再建手術」なるものも受けてるんですよね。とするならば、乳房は取り除くこともできるし、また作ることもできるもの。ここから、いくらでも取り外し可能、取り替え可能な乳房への距離は、あと少しです。