土屋龍一郎のブログ

土屋龍一郎のブログです。

98/2/18ヘッドクオーター

2008-02-18 20:02:53 | Weblog
この写真は、表彰式会場の事務局内にある、担当者H氏の机である。
巨漢である彼は室内では配給されたブーツを脱いでスリッパで走り回る。
あまりの忙しさに、寝る間もなかったようだが、机の上を整理する間もなかった。
姿は見えねども、脱ぎ捨てた靴から立ち上る異臭で、しばらく前まで彼がそこにいたことだけはわかる。

このオリンピック中に、たくさんの方との邂逅があった。
今となっては懐かしい顔ぶれだけれど、連絡がとれなくなって久しい方々も多い。
あの、熱い数日間を共有したみんなはどうしているのだろうか?
最終日には「この16日間の話をつまみに10年間は飲めるな!」と言っていたことが懐かしい。

長野灯明まつり

2008-02-17 22:09:36 | Weblog
オリンピックから10周年の長野では、長野灯明まつりが、開催されている。
日曜日の今日は昼頃から強い雪が降っていて、善光寺などを照らす光の束をたくさんの雪がよこぎって降りしきっている。
これはこれできれいだ。

最終日の今日は夜の10時にライトアップが終了すると同時に、いくつかの打ち上げ花火が上がった。
長野では冬の花火が風物詩になっている。今日のような特別な日にも花火が上がるのはうれしい。

10年前のオリンピック狂想曲に比べると、静かで落ち着いた日曜日だった。
あの頃の、にぎわいや楽しみや感動を知るものには、この静けさは寂しいものだ。
せめてもの灯明まつりで気持ちをいやしているのだろう。

この写真は10年前にオリンピックボランティアをしていたときの長野青年会議所専用駐輪場である。
そして、今日の灯明まつりも長野JCが5年にわたって運営を手伝っている。

98/2/17ジャンプ団体金メダル!2

2008-02-17 22:00:19 | Weblog
ちなみに、舟木選手は表彰式会場付近についてはもう熟知していた。
ほかの選手たちも慣れてきて、警護も連れずに人混みの中へ出て行ってしまって参った。
逆に外から選手たちの控えるビルに入るにはものすごく警備が厳しくて厳重に管理されたIDカードを提示しないと入れない。
「NO」と言わせたら長野一といわれた林君の壁を崩せた輩はいない。
そんな林君から直接連絡が入った。
「選手のお父さんが息子さんを祝して会いに来たけれど、NAOCは絶対面会を認めない。何とかしてあげたい」とのこと。
すかさず「おれが責任を持つから入り口で本当の父親だと確認できたら逢わせてやってくれ」と伝えたと同時に、親分である今井式典責任者に仁義を切りにゆくと「そんなことは当然だ。ルール以前の問題だ」と即効で緊急IDを手配してくれた。
男だねえ!今井さん。

98/2/17ジャンプ団体金メダル!1

2008-02-17 21:59:56 | Weblog
昼過ぎに日本のジャンプ団体で岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、舟木和喜チームが金メダルを獲得!
リレハンメルの失速で有名になってしまった原田選手が雪辱を果たした。
「いけいけいけいけ、いってくれ~、飛べ~、飛んだ~、立て~、立ってくれ~、やったぁ~」という絶叫にちかい応援やアナウンスがいまも耳に残っている。
この日のセントラルスクゥエアにはそれまでで最高の人が集まった。
もともとの収容人数が5000人と言われていたこの表彰式会場だったが、夜の式典まで5時間もあるのに、会場周辺には数キロに及ぶ入場者の列が出来た。最後尾の人は5時間も待って入場できなかったのではないか?

写真は、表彰式会場から数十メートル離れた長野青年会議所オリンピック特設事務局前の、通常は寂しい裏通り。
そこにぎっしり人が並んだ。
今だったら、バーRITAで落ち着くことも出来るんだけど・・・

98/2/16昨日の余韻

2008-02-16 01:43:16 | Weblog
15日(日)に、ジャンプラージヒル個人で、舟木和喜選手が金メダル、原田雅彦選手が銅メダルを獲得!
清水宏保選手は、500mの金メダルに続いて1000mでも銅メダルを獲得した。
もう何でも来い!という勢いに乗る日本選手団だ。

前日の新聞を見ながら、テレビでは繰り返し映る勝利のシーンをおかずにしながら、この日も配給された弁当を食う。
なんだか、おかずが一周したような気もしたが、おいしい一食だった。

ちなみに、舟木選手は表彰式会場付近についてはもう熟知していた。
ほかの選手たちも慣れてきて、警護も連れずに人混みの中へ出て行ってしまって参った。
逆に外から選手たちの控えるビルに入るにはものすごく警備が厳しくて厳重に管理されたIDカードを提示しないと入れない。
「NO」と言わせたら長野一といわれた林君の壁を崩せた輩はいない。
そんな林君から直接連絡が入った。
「選手のお父さんが息子さんを祝して会いに来たけれど、NAOCは絶対面会を認めない。何とかしてあげたい」とのこと。
すかさず「おれが責任を持つから入り口で本当の父親だと確認できたら逢わせてやってくれ」と伝えたと同時に、親分である今井式典責任者に仁義を切りにゆくと「そんなことは当然だ。ルール以前の問題だ」と即効で緊急IDを手配してくれた。
男だねえ!今井さん。

98/2/15新聞を見ながら弁当

2008-02-15 01:00:44 | Weblog
14日(土)に、スピードスケート女子で岡崎朋美選手が女子初の銅メダルを獲得した。
朋美スマイルと呼ばれたすがすがしい笑顔は、実力と迫力は互角なのになぜか比較されてしまう島崎京子選手の厳しい表情と対照的で人気があった。
スピードスケート会場では、にわかファンが急増して、辺り構わず朋美コールをする風景がテレビに映し出された。
すると、岡崎選手は他の選手の集中力がそがれるのを心配してか、人差し指を口元にあてて観客に静かにするように促した。
このポーズがまたかわいくて、それだけでまた岡崎人気が上がった。
アイドル性を兼ねたスーパーアスリートだ。

ということを考えながらお弁当を食べました。

98/2/15みこし

2008-02-15 01:00:28 | Weblog
長野市の中心街は、連日祭りの騒ぎだ。
善光寺へ続く、中央通り(現善光寺表参道)は、午後から通行止めになって郷土芸能やマーチングバンドをはじめとするたくさんの文化イベントが開催された。
中央通りの真ん中付近から東へ延びる「権堂通り」も、世界各国から来た謎のピンバッジ売りがビールケースに板を載せただけの露店を出して、珍しいバッジがあるとトレーディングをしていた。噂では裸一貫で長野へ来て、このピンバッジ売りで大もうけして途中からは市内の高級ホテルに住んでいた外国人もいたらしい。
怪しすぎて写真に撮り忘れた。

この写真は気っ風の良い権堂町の祭り連による御輿だ。
日本人は遠巻きに見ていたが、怪しい外国人たちは大喜びでわっしょいわっしょいと混じっていた。
五輪の形に髪をカットしたりカラーリングした日本人は特に大受けだった。
よく考えると、最近じゃあんまり珍しくないな。

98/2/14バレンタインデー

2008-02-14 00:26:48 | Weblog
オリンピック期間中は、競技のほかにもいろいろな場面で盛り上がった。
「ピンバッジ」はオリンピックとは切っても切れない必需品で、数百種類のPINSを集めるのがとても流行った。
特にオリンピックの公式スポンサーである、コカコーラ社が期間中毎日一種類づつ販売するPINSは、朝8:00の開店時には数百人が列をなす、超人気であった。
初日から、なんだかおかしな形のPINを買い、数日すると、それらが巨大なコカコーラボトルの形の一部であることがわかると、完成せずにはいられないにわかコレクター気分になって来る。
私も初日から列を作っていた友人からひとつづつ買い続け、というよりとちゅうから彼に自分の代わりに列に並ぶように強要したような形になってしまったのだが、買い続けた。

話が長くなったけど、バレンタインデーのPINは、なんと真っ赤なハートの形。
前日におおよそこの形の予想がついていたせいで、あっという間に売り切れてしまい、翌日には500円のPINが50000円にまでプレミアがついた。
ちなみにこの写真はしっかり並んで購入した人の勲章です。

98/2/14世界の加藤

2008-02-14 00:08:21 | Weblog
1998年2月14日(土)は、
さて、写真は表彰式会場事務局中心部である。すべての競技情報と選手移送指令が出される最前線である。
かの御仁はそこでもっとも恐れられた加藤氏である。
白馬からの移送に手間取るという連絡が入れば「県警に連絡してもっと早い先導パトカーに代えてもらえ」とか、移送車両に断続的に連絡して「こちら加藤です。いまどこ?」とびびらせていた声の主である。
なんども移送車に乗った(つまり何度も入賞した)舟木選手はその声を覚えていて、初めて事務局でその姿を知ったとき「あれが
加藤か」と言わしめた伝説の男である。
世界の舟木をも恐れさせた男、それが「世界の加藤」である。

98/2/13やっと滑降

2008-02-13 00:27:59 | Weblog
悪天候で3たび延期された滑降が、快晴のもと、八方尾根で競技開催された。
3.3kmにも及ぶ滑降コースを、自衛隊やボランティアが一歩一歩スキーで固めて歩く。
ゲレンデにはきれいに平行線を保ったスキーの跡が無数に並んでいた。
早朝から準備しては、延期に泣かされ、疲労困憊のボランティアたちの表情が取材されていたのを思い出す。

ここに載せた写真のほかにも気の遠くなるような写真を撮ってあるのだがほとんどが、仲間の顔が写っている。
誰しも連日の疲労と寒さでぐったりといすにもたれかかっているのだが、レンズを向けるのに気がつくと全員が全員、ニコリとして手をあげてくれた。
10年たった今、ここで出会った仲間たちはどうしているのだろうか?

この写真は、滑降競技の表彰式前にセントラルスクゥエア前に集まった観衆を制御しているところだ。
五明君、若かったな。