9月11日。
2001年の9月11日、アメリカで世界貿易センタービルへの旅客機衝突など、複数のテロが同時に多発した。
その報道がされた時に、あなたはなにをしていましたか?
ほとんどの人が「その時」のことを覚えている。
そのとき私は、ニューヨークにいた。
まさに同時多発テロが起きていた時に現場に居あわせたのだ。
日本青年会議所が10年の準備期間を経て国連のNGOに認定されたので、世界NGO summitに出席する予定だったのだ。
国連でのスピーチをすべく、ホテルで準備していた私に、同行していた仲間から「何か起きたのか判明しませんが緊急事態のようです。部屋から出ないでください」との連絡。直後に「テレビを見てください!」。前夜の会食会で夜景を見た世界貿易センタービル(ツインタワー)に無音の飛行機が突っ込んでゆくシーンが何度も流された。
あわてて、窓を開けると大渋滞の道路を何台ものパトロールカーが大きなサイレンを鳴らしながら走り回っている。
目の前のビルの向こうにものすごい煙が見え、鼻をつく煙のにおいがした。
当然、NGO summitは延期され、私の国連でのスピーチも流れ、予定していたいくつかの懇談会もキャンセルされた。
それでも、とあるNGO代表とホテルで面会したが、お互いにそれどころではなく、集中出来ないまま解散した。
土産物店から一斉にツインタワーの模型が消えた。人々が互いに疑心暗鬼になり、他人を見る目が猜疑心に満ち、おびえた。
revengeリベンジ=復讐 ということばがはやった。
私は、「今後もNGO会議に出席を続け、毎年グラウンドゼロに戻る」との誓いをたてた。私のリベンジだった。
2008年、OBである私が会議に出続けることを不審に思った主催者が、私のリベンジを知った。
彼は小会議のなかで私に、世界各国のNGOの前で「9.11と平和」についてのスピーチの機会を与えてくれた。
長男を連れて入った会議場でプレゼンテーションをした私は、小さなリベンジを終了した。
あの同時多発テロから12年目。
9月1日が日本人にとって関東大震災の教訓を忘れぬ防災の日であり、3月11日が東日本大震災の忘れ得ぬ日である。
9月11日は世界の敵意と悲しみを教訓とする1日である。
2001年の9月11日、アメリカで世界貿易センタービルへの旅客機衝突など、複数のテロが同時に多発した。
その報道がされた時に、あなたはなにをしていましたか?
ほとんどの人が「その時」のことを覚えている。
そのとき私は、ニューヨークにいた。
まさに同時多発テロが起きていた時に現場に居あわせたのだ。
日本青年会議所が10年の準備期間を経て国連のNGOに認定されたので、世界NGO summitに出席する予定だったのだ。
国連でのスピーチをすべく、ホテルで準備していた私に、同行していた仲間から「何か起きたのか判明しませんが緊急事態のようです。部屋から出ないでください」との連絡。直後に「テレビを見てください!」。前夜の会食会で夜景を見た世界貿易センタービル(ツインタワー)に無音の飛行機が突っ込んでゆくシーンが何度も流された。
あわてて、窓を開けると大渋滞の道路を何台ものパトロールカーが大きなサイレンを鳴らしながら走り回っている。
目の前のビルの向こうにものすごい煙が見え、鼻をつく煙のにおいがした。
当然、NGO summitは延期され、私の国連でのスピーチも流れ、予定していたいくつかの懇談会もキャンセルされた。
それでも、とあるNGO代表とホテルで面会したが、お互いにそれどころではなく、集中出来ないまま解散した。
土産物店から一斉にツインタワーの模型が消えた。人々が互いに疑心暗鬼になり、他人を見る目が猜疑心に満ち、おびえた。
revengeリベンジ=復讐 ということばがはやった。
私は、「今後もNGO会議に出席を続け、毎年グラウンドゼロに戻る」との誓いをたてた。私のリベンジだった。
2008年、OBである私が会議に出続けることを不審に思った主催者が、私のリベンジを知った。
彼は小会議のなかで私に、世界各国のNGOの前で「9.11と平和」についてのスピーチの機会を与えてくれた。
長男を連れて入った会議場でプレゼンテーションをした私は、小さなリベンジを終了した。
あの同時多発テロから12年目。
9月1日が日本人にとって関東大震災の教訓を忘れぬ防災の日であり、3月11日が東日本大震災の忘れ得ぬ日である。
9月11日は世界の敵意と悲しみを教訓とする1日である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます