ここ一年くらい、積極的にバスに乗るようにしている。
きっかけは、自宅のすぐそばの「長野商業高校前」というバス停から始業時刻に間に合う会社近所までの直行バスがあることに気づいたとことであった。10年以上も自家用車で通勤していたのだが、たまたまバス路線を見ていたらこの事実に気づいたのだった。そうでなくてもバスの行き先表示は見にくくてよくわからないし、経由する場所などについては意地悪としか思えないほど公共交通機関利用の妨げになっている悪表示だから、きっかけがなかったら一生利用はなかっただろう。
朝7:30位から連続して鬼無里(きなさ)方面から降りてくるバスが通る。長野駅を通って日赤方面へ行くバスは空いていてガラガラである。1.2人が立っていることもあるがその多くは一日立っていても平気な若者である。
書類に目を通したり、こともあろうに英語の教科書を開く余裕さえある。自家用車車中ではあり得ない環境だ。
都会の人たちが早朝の長距離通勤を利用して自己啓発をするのが今年の夏に流行ったけれどこんな快適な感じなんだろうな。
さらにバスに乗ると周りの景色がよく見える。車高が高いから街路樹の葉の色が季節で移ろうのがよく見える。歩道を歩く人たちの表情をじっくり眺めることができる。通り沿いの店舗のショーウインドウの装飾がよく見える。
よいことづくめだ。
相変わらず、知っている路線以外は怖くて乗ることができないし、到着時刻が遅刻を許されないときなども心配で利用できないけれども、自転車に乗ったりバスに乗るくらいのスピードで生活できたら、その方が楽しい気がする。
きっかけは、自宅のすぐそばの「長野商業高校前」というバス停から始業時刻に間に合う会社近所までの直行バスがあることに気づいたとことであった。10年以上も自家用車で通勤していたのだが、たまたまバス路線を見ていたらこの事実に気づいたのだった。そうでなくてもバスの行き先表示は見にくくてよくわからないし、経由する場所などについては意地悪としか思えないほど公共交通機関利用の妨げになっている悪表示だから、きっかけがなかったら一生利用はなかっただろう。
朝7:30位から連続して鬼無里(きなさ)方面から降りてくるバスが通る。長野駅を通って日赤方面へ行くバスは空いていてガラガラである。1.2人が立っていることもあるがその多くは一日立っていても平気な若者である。
書類に目を通したり、こともあろうに英語の教科書を開く余裕さえある。自家用車車中ではあり得ない環境だ。
都会の人たちが早朝の長距離通勤を利用して自己啓発をするのが今年の夏に流行ったけれどこんな快適な感じなんだろうな。
さらにバスに乗ると周りの景色がよく見える。車高が高いから街路樹の葉の色が季節で移ろうのがよく見える。歩道を歩く人たちの表情をじっくり眺めることができる。通り沿いの店舗のショーウインドウの装飾がよく見える。
よいことづくめだ。
相変わらず、知っている路線以外は怖くて乗ることができないし、到着時刻が遅刻を許されないときなども心配で利用できないけれども、自転車に乗ったりバスに乗るくらいのスピードで生活できたら、その方が楽しい気がする。