土屋龍一郎のブログ

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16番目の月

2013-09-20 10:58:12 | Weblog
9月19日は中秋の名月、十五夜だった。
女房と、近くの小学校のグラウンドでワンカップと月餅でお月見をした。
満月をつまみに酒を楽しむ・・日本人は風流だなあ。などと言いながら体育館の空に上がった見事な満月を楽しんだ。

荒井由実(ユーミン)が1976年に発表した4番目のアルバムに「14番目の月」がある。アルバム全体が若々しくてアイディアにあふれている。
演奏も日本のポップスがテクニカルに飛躍する初期で、あんまり電気的な処理をしすぎていないけれど、超テクニシャンであるメンバーが、思いっきり大技を繰り出している。これ、素人には楽器のコピーが大変だった。個人的には彼女のアルバムのなかで一番好きだ。

「14番目の月」は、そのアルバムのA面2曲目。
「次の夜からは、欠ける満月より、14番目の月が一番好き」という、衝撃的な歌詞のサビで盛り上がる。この曲が発表されるまでに十五夜の前日の月を気にしていた人、手を挙げて。
wikiによると、古い映画の中にこのタイトルが科白に出てきたらしいけれど、ちょっと斜めから見ているような、ユーミンの歌詞は強く焼き付いた。

ちなみに、スピッツがハードロックでこの曲をカバーしていて、これはこれでカッコイイ。息子達はこっちの方が先に聞いていてオリジナルだと思っていた。

というわけで、本日は「16番目の月」である。
だからどうした、と言われるとこまるけれど、「昨日は十五夜だったのだなあ、欠けてきた月なんだなあ」と思いながらきっとワンカップを飲むと思う。これも風流では・・・

面接

2013-09-12 07:00:00 | Weblog
面接
何人かの方をまとめて就職面接をする機会があった。
一人当たり30分ほどの間にいくつか質問をする。
ほとんど全員が合格点の対応だ。つまり、マニュアル的に完成されて面接に臨んできたことが明白だった。人生をかけての面接だから当然のことである。
しかしこちらは、どうにか優劣を付けなくてはならないから、答えにくい質問やら引っかけまじりの質問をする。

「小中学生に人生の目標を早く決めさせた方が良い」かどうか?
全員が「そうだ」と答えた。
ところが、その日に面接に来た人は大学で、あるいは違う職場からあらたな挑戦として面接に来た人もいた。

「あなたの人生はそうではありませんでしたよね」とちょっと意地悪な次の質問を向ける。
答えA「だからこうならないように子どもたちに早くから目標を決めるように言いたいのです。」
答えB「目標通りに行かなくても良いんです。まずは目標を決めろと言いたいのです」

ある種の専門的な職業は、習熟まで時間がかかるから早くその道を歩み始めて集中して極みに近づくことが大切だ。
そのためには早くから目標を決めることは大切だ。

しかし、私自身いくつかの仕事を兼務した上、ボランティアなども兼任している。
更に言えば今後どんな人生を歩むのかもなかなか見えて来ない。
あせりもあるし、苦労もあるけれど、私なら「私のような人生の大人もいるんだよ」と伝えてあげたい。

写真は2000年と2012年のプロフィール写真
若返っているような・・・



September 11th

2013-09-11 07:00:00 | Weblog
9月11日。
2001年の9月11日、アメリカで世界貿易センタービルへの旅客機衝突など、複数のテロが同時に多発した。

その報道がされた時に、あなたはなにをしていましたか?
ほとんどの人が「その時」のことを覚えている。

そのとき私は、ニューヨークにいた。
まさに同時多発テロが起きていた時に現場に居あわせたのだ。
日本青年会議所が10年の準備期間を経て国連のNGOに認定されたので、世界NGO summitに出席する予定だったのだ。
国連でのスピーチをすべく、ホテルで準備していた私に、同行していた仲間から「何か起きたのか判明しませんが緊急事態のようです。部屋から出ないでください」との連絡。直後に「テレビを見てください!」。前夜の会食会で夜景を見た世界貿易センタービル(ツインタワー)に無音の飛行機が突っ込んでゆくシーンが何度も流された。
あわてて、窓を開けると大渋滞の道路を何台ものパトロールカーが大きなサイレンを鳴らしながら走り回っている。
目の前のビルの向こうにものすごい煙が見え、鼻をつく煙のにおいがした。

当然、NGO summitは延期され、私の国連でのスピーチも流れ、予定していたいくつかの懇談会もキャンセルされた。
それでも、とあるNGO代表とホテルで面会したが、お互いにそれどころではなく、集中出来ないまま解散した。

土産物店から一斉にツインタワーの模型が消えた。人々が互いに疑心暗鬼になり、他人を見る目が猜疑心に満ち、おびえた。
revengeリベンジ=復讐 ということばがはやった。
私は、「今後もNGO会議に出席を続け、毎年グラウンドゼロに戻る」との誓いをたてた。私のリベンジだった。

2008年、OBである私が会議に出続けることを不審に思った主催者が、私のリベンジを知った。
彼は小会議のなかで私に、世界各国のNGOの前で「9.11と平和」についてのスピーチの機会を与えてくれた。
長男を連れて入った会議場でプレゼンテーションをした私は、小さなリベンジを終了した。

あの同時多発テロから12年目。
9月1日が日本人にとって関東大震災の教訓を忘れぬ防災の日であり、3月11日が東日本大震災の忘れ得ぬ日である。
9月11日は世界の敵意と悲しみを教訓とする1日である。

農業について学ぶ

2013-09-10 07:52:02 | Weblog

限界集落/中山間地対策を考える上で、農業については欠かせないテーマだ。
長野県は昨日、県内農業の今後の方向性について有識者会議を開催した。
県内の農産物の普及について、「県民との恊働による事業改善」(旧事業名は事業仕分け)によって検討する予定もある。

自然栽培についてベストセラーになった農業関連書籍がある。
「リンゴが教えてくれたこと」木村明則著
自然農法ではなく、自然栽培。

無農薬/無肥料でリンゴ栽培に成功した実話。
指南書やマニュアル的な書籍ではなくて、著者自身の体験談として語られるので、私のような素人でも大変に興味深く読むことができた。
特に10年近く無収穫で死を決した時に目にした光景が彼を導く。
「自然は命をかけなくちゃ答を教えてくれなかった」
壮絶な挑戦だった。

農協や近隣の農家との関係、全国の反応など、読後にネットで調べている。大きな反論があまり見受けられないばかりか、TPPに対抗する有効な手段のひとつと位置づけている論調もある。
身近なところでは、長野の松木武久農園が、自然栽培に取り組んでいた。
知人の活躍は知っていたけれど、この自然栽培に取り組んでいたことはよくわかっていなかった。

机上だけではなく仲間を訪ねて、知ってわかって、実行したい。

限界集落2

2013-09-09 07:53:44 | Weblog

それでは、限界集落には打つ手がないのだろうか?
かかりつけである整体の先生に紹介された「ローマ法王に米を食べさせた男」にひとつのヒントがある。

石川県羽咋市神子原地区(はくいしかみこはら)は、65歳以上のお年寄りが50%を超える限界集落だった。2005年に「1年以内に予算60万円でこの地区を立て直せ」という難題に取り組んだ市役所職員の話である。
その方は高野誠鮮(たかのじょうせん)さん。

限界集落に若者を呼ぶ、神子原米のブランド化、UFOで町おこし、自然栽培でTPPに勝つ・・・・小見出しを並べただけでも面白そうでしょ。

特にいまはやりの市町村のブランド化については、もとテレビ局勤務の著者による一風変わったアイディアが面白い。神子原地区の底力を、NASAの技術を引っ張ってきたり、タイトルのようにローマ法王に関わったり。

内容はぜひ読んでいただきたい。

ここには、公務員さんの知恵をどう活かすのか、また役所にはどんな壁があるのかなども垣間見ることができる。それは民間企業にもある壁だが、市長と社長がミッションの違いが壁問題の解決方法の違いではないかと思う。

2020年東京オリンピック開催決定!

2013-09-08 08:02:14 | Weblog
2020年東京オリンピック開催決定!おめでとうございます。
今朝、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)という強豪を破り、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まりました。
オリンピックを招致するということは大変な事業なんだとあらためて感じました。さらにそれを成功させたということは、長野、大したものだ、と自画自賛したくなります。

2008年の北京オリンピック以降、オリンピックムーブメントはずいぶんと様相が変わりました。

ハードの面では、環境に配慮することとその後の活用を十分考慮した建設をすることが強調されました。
ソフトの面では積極的なオリンピックムーブメントの普及と開催地ネットワークの拡大活動です。そのひとつに、世界オリンピックミュージアム協議会の存在があります。今年10月、一年間の休館を終えて、スイスのローザンヌにあるIOCのオリンピックミュージアムが新装開館します。ここを拠点とした世界のネットワークなのです。
リンンクはこちら⇒ IOCオリンピックミュージアム

長野にはエムウェーブにオリンピック記念館があります。しかしまだこのネットワークに加入していません。

東京オリンピック招致成功をきっかけに「オリンピックと言えば長野」の印象が変わってくるかもしれません。これを機会に長野もまだまだオリンピックに貢献できる存在であることを再認識、再始動したいものです。

なにはともあれ、関係者の努力が実って良かったと思います。

写真は1998年の長野オリンピック当時、表彰式を行ったセントラルスクゥエアの様子。

限界集落

2013-09-07 07:15:06 | Weblog

「65歳以上、人口比50%以上 高齢化が進み、共同体の機能維持が限界に達している状態。(wikipediaから引用)」
2013年9月1日現在、長野市内の地域別人口を調べると、鬼無里管内と大岡管内が、この定義に当てはまってしまう。
訪問してみればわかるが、自然豊かで時間の流れが中心部とは違う、美しい地域だ。平成17年に長野市に合併されたこれらの地域はどのような合併効果を実感しているのだろうか。
長野市全体の65歳以上人口比率は26.1%であるから、若い人達が暮らす地域に偏りが在ることは明白だ。

中山間地の対応、限界集落あるいは準限界集落対応は、マニュアル通りにはいかない。地域に根ざした文化や産業をどう掘り起こしてゆくのか、歩いて知り、わかり、実行するしかない。

写真は限界集落ではないが、中心市街地からほんの20分で400mも車で駆け上がったあるエリアである。もちろん長野市内だ。農業を主としているこの地域は、昔は冬の農閑期に金平糖など和菓子を作っていたらしい。広い土間でころころと音を出しながらじっくり時間をかけて形が出来てゆく金平糖。
すでに歴史の中にあるストーリーを掘り起こしてゆくことでそれぞれの集落にあった中山間地対策が出来てゆくのだと思う。

ゲリラ豪雨

2013-09-06 08:06:23 | Weblog

昨年来、ゲリラ豪雨が頻繁に長野を襲う。
・突然に蒸し暑く気圧が変わる。
・降っていない場所との境界がはっきりわかるくらい集中的
・短時間に多量の降雨があるので、排水が間に合わず水路から水があふれる。
・傘をさしていても身体はずぶぬれ。

「異常気象」ということばが使われるようになってもう久しい。10年以上経つのではないか?ところがこのゲリラ豪雨、なんだか定着してきていて、「通常気象」になってきている気がする。

長野の地盤は異常が通常になった時にどこまで耐えられるだろうか?
土砂崩れの心配も増えている。川の水量の急激な変化もある。
雨を浸透させる自然の仕組みである里山を保全するのはヒトの知恵であり、勇気だと思う。
これまでに進歩と称して開発を続けてきた里山、次の進歩は保全。

写真は、2001年に頂いて玄関先に飾ってあるカエルの置物に、敵対するように現れたホンモノのカエル。ヤラセじゃありません。
撮影は2003年。近年、見なくなったなあ。

小商い

2013-09-05 08:03:50 | Weblog
小商い
知人から電気が走るような、話を聞いた。
Spectatorという雑誌を紹介され、そのなかに「小商い」というキーワードがあるそうだ。実際に話を聞いていたお店にあった本を手に取る。
昔から長野には、と言うより日本全国に、街角やちょっとした小路に間口2間くらいのお店があった。「あの角のタバコ屋」など、ランドマークになっていたタイプの店だ。
そんなお店を最近の若者が復刻して商売をしている。「小商い」をしているという話だ。

【長野スタイル】ということばの意味を探し続けている中で、この話題は新鮮だった。

思えば、訪問先で「これうちで漬けたんだよ」と野沢菜漬けや、浅漬けを出されることがよくある。若い頃は気に求めなかったけれど、これこそ、長野スタイルじゃないか。

なあんだ、新しいスタイルを作り出すより、昔から長野に在ったもの、長野に合ったものが、本当の【長野スタイル】だったのだ。

もちろん、帰宅してすぐAmazonで、この本を注文しました。
便利な世の中だ.

長野の、外国語教育

2013-09-04 08:50:42 | Weblog

長野には様々な理由で外国人が住んでいる。信濃グランセローズにも3人、AC長野パルセイロには、かつて監督がブラジル人だった。
この方々は、長野と外国を繋ぐ親善大使でもある。住民に海外の文化を伝え、海外に長野の魅力を発信してくれる大切な友人である。

私が外国語学校経営に関わっていた事もあって、積極的にこの方々と交流をしてきた。

この写真は、ナーガ・インターナショナルの「ぶらんどん選手と英語で話そう」という企画に来てくださった信濃グランセローズの選手達だ。まず1時間、外国人に日本語を学んでもらう授業をする。そのあと、1時間1000円で彼らと自由な形で意見交換をするクラスを運営している。生きた英語を学ぶ目的の受講者達が野球に興味を持って、試合に足を運んでくれたり、応援をしてくれたりというありがたい。また、野球に興味のある人は、専門用語を英語で学ぶことで直接メジャーの中継を理解出来るようになる。

「学ぶ英語」から、「楽しむ英語」の流れをつくることでそれぞれの心が『潤う』ようになると思う。
教育においても楽しんで(遊びの延長)で身につけることが必要だ。受験用だけの教育では、何のための学習時間なのか本末転倒になってしまう。受験用の教科の中に今の世の中で役立つ楽しい要素があることを教えなくてはならない。

※左から杉山慎投手(4年目)、大塚晶文投手(元メジャーリーガーレンジャーズ出身)、Brandon Mann投手(元横浜ベイスターズ、アメリカ出身)
ちなみにこの「ぶらんどん選手と英語で話そう」クラスは9月17日が最後の授業です。お申し込みはお早めに。
http://www.naga.biz/
026-234-1777