土屋龍一郎のブログ

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石川六郎氏のお葬式

2006-01-31 23:25:17 | Weblog
 築地へ行ったのは、石川六郎さんのお葬式に参列したからだ。
 知る人ぞ知る経済界の重鎮である。
 「日経新聞のお悔やみ欄」に、詳しいご紹介が出ている。私は、1960年の日本青年会議所会頭である石川六郎さんにインタビューをさせていただいたことがある。その折も快く申し入れを受けてくださったけれど、一度打ち合わせを・・という連絡をいただいて詳細かつ非常に念入りな打ち合わせをした。赤坂の鹿島建設の応接室からは訪問した時に真っ赤な夕日が射して東京のビル群の片頬だけを染めているのが窓越しに見えた。打ち合わせが終わった時にはすっかり日が落ちて元気を得た照明でくっきり浮き上がったビル群が全く違った表情をしていたことを覚えている。打ち合わせ翌日には秘書さんを通じてその中で触れた書籍や資料を大量に送ってくださった。後日、本番のインタビューに伺った時には、打ち合わせで「これを話す」とおっしゃったことを寸分違わずお話しになられた。繊細なお人柄は間抜けな私が著書にサインをねだったところ、しっかり辞退されてしまったことでもわかった。実は以前に自筆で私の会頭就任のお祝い状を書いていただいたことがあって、あまりの達筆に額に入れて毎日眺めていたほどだったのでお願いをした訳だが、なおさらのこと片手間に文字など書くことはされないのだろう。
 お葬式は築地本願寺で行われた。物々しい警備は参列していた歴代総理大臣初め、新聞テレビでしかお目にかかったことのない超大物の対応。その次には中大物の方々、そして大物の皆さんがお堂から出てくる。ここまでで1時間くらいテントの中で順番を待った。なぜって、そこまでの方々は超がつく高齢の方が多かったからだ。
 白いカーネーションを献花してお世話になった御礼と生前のご慰労を申し上げて会場を後にした。

これは喰わないように「築地の某すしや」

2006-01-30 22:58:32 | Weblog
 築地と言ったら「寿司食いねぇ」だと思ったので飛び込みですしの老舗っぽい大型店舗にはいった。
 入り口でエプロンのまま外の掃除をしていたらしき店員さんがほうきとちりとりを持った手で自動ドアを開けてくれたあたりから心配がつのっていたが、おおあたり。
 店の名前がついた上寿司(¥3,000)を頼んだのだが、シャリはぬるいしこれといってほめるべきところもない普通のすしが出てきた。
こんなに感激しないすしも珍しい。
海なし県の長野県人が感激しないすしもあるのだ。
私のような田舎者を手ぐすね引いて待ち構えていたようで感じ悪かった。
次はもうちょっと店の構えやら店員さんの目つきを見てから店を選ぼうと思う。
ちょっと大人になった。

丸武の卵焼きとその箱

2006-01-29 19:25:04 | これを喰わず
 おもしろラジオジャパンの「今日のおもラジ」のネタにしようと思って、「築地丸武」の玉子焼きを買ってきた。
 これは、テリー伊藤さんのご実家だとのことで(買ったときには知らなかった)、超有名らしい。
 おいしかった。
 ・・・・・・・
 あっという間にMプロや順平君、新ゲストのかよさんに食べ尽くされてしまったので今時珍しい箱の写真だけです。

箱男の風呂男

2006-01-28 19:22:10 | これを読まず!
 安部公房氏の「箱男」を読んだ。
 この人の作品は立ち読みするとずるずると引き込まれてしまう。三島由紀夫の時代から作品を出していて、「砂の女」は数十カ国で翻訳されているという、世界的な作家だ。映画「砂の女」のすごさは一度見たら忘れられない。そうだ、またDVD借りてこよう。
 さて、箱男も、引き込まれて不条理な中で翻弄されてあとがきを読んでやっと内容を理解するという、安部公房ワールド満載である。この不条理さは私は村上春樹的な世界とどこかでつながっている気がする。
 さてさて、今回は読むこちらも仕掛けをした。あまりに引き込まれるが、普通に読んでいては気分に浸れない。そこで箱男はお風呂読書専用にした。
 さて、どうなったか?夜中の2時に仕事から帰宅した日に読まれていた「箱男」は、記憶が遠くなったとたんに湯船に落ちてしまった。
 箱男はその不条理なまま、風呂男にもなってしまった。
 ストーリーの外までやらかしてくれた!さすが・・・・・

昼飯の王道

2006-01-27 17:21:22 | これを喰わず
 常にこうありたいと思う私の昼飯のスタイルはこの写真に凝縮されている。
1、オムレツ(卵2個以上)
2、濃い目のソース
3、健康も気を使っているぞと誇示するサラダ若干
4、エビスかモルツかサッポロビール(ビンに限る)
 たいていは仕事中だからどれかが抜ける。
 ビールなんて昼から飲めない。お客さんに会うこともあるからにおいの強烈なソースは控える。たいてい朝卵一個を食べてくるからオムレツにすると卵食べすぎで女房に怒られる。

 が、先日ついにその日はやってきた。数年ぶりにすべての条件がそろったので、記念写真を撮ってしまった。

 自宅で採る理想の昼食は、自分でゆでたスパゲッティとビールである。もちろんこっちは村上春樹的世界の受け売りだけれど・・・

やった!イチゴ大福

2006-01-26 02:26:43 | これを喰わず
 昨年に、日立市の「わたひき」の饅頭がおいしくて、ファンになったと言う記事をブログに投稿した。
 それを見た友人立原君の奥様から、同じくわたひきの「イチゴ大福」(季節限定)が送られてきたのは、昨年の秋のことだった。すでに我が家から親戚までわたひきファンになっていたので、今回送っていただいたイチゴ大福も瞬く間に、本当に瞬きをするまもなく食べ尽くされてしまった。なんでそんなにくどく言うのかというと、この写真を撮ったのは私だが、その後泊まりで出張して戻ると、翌日には一個だけしか残っていなかったからだ。
 同封されていた立石君の奥様からの手紙にも確かに「お早めにお召し上がりください」と書いてはあったが、早すぎる。
 奥様によると、私のブログをコピーした上、和菓子屋のわたひきさんに持参したとのこと。長野の田舎の片隅でひそかにわたひきブームが起こっていることを伝えていただいた。さらに銘菓「わたひき」が並ぶショーケース(というか昔ながらのガラスの棚)が写った店舗写真もお送りいただいた。
 写真を見ながらイチゴが包まれた饅頭を、熱いお茶と共に食べた。
 幸せな気分になれる、甘いおいしさだ。ドーナツに見向きもしない子供たちが争って食べるのもわかる。
 もっと食べたいが、あいにく和菓子店の案内とか、住所が不明である。あくまで謙虚なお店だ。ということは、2006年あたりは一家そろってわたひきツアーに日立に調査に行かねばなるまい。

 注;昨年のブログを見ていたら、この記事だけアップし忘れていました。ちょいと手直しをして、今日ここにアップします。立原君の奥さん、すみません。

お初釜2東京編その3お濃茶

2006-01-25 14:15:51 | Weblog
 さてさて、また別の席へ移動する間、なぜか客人たちの口数が減っている。それもそのはず。いよいよ裏千家御家元じきじきにいただくお濃茶の席へ入るのだ。
 大きな大きな見事な枝ぶりの松を中心に整えられた屋上のお庭を臨むこれまた広い和室に壁に沿って招待客が座る。ご高齢の方やら袈裟をかけた僧侶をお先にと、促していたら私自身は和室の最後尾、出入り口の脇になってしまった。見回すと44歳の私でもまだ「お若いかた」と呼ばれそうなくらいなので、末席で上等だろう。
 ここでは、桜餅がお菓子として振舞われた。前日の長野支部でも桜餅だったから、食べ方は心得ている。と思ったのが間違いだ。東京道場のものは一回り大きい上に中に味噌風味の餡がはさまれている。お懐紙はあるのに、もちを切る楊枝を忘れた。かぶりつくわけにいかないから、手を味噌餡でべたべたにしながらちぎっていただいた。

 いつのまにか話し声も止んで50人ほどがしんとしていると、お家元が入室、静かに御点前が始まった。う~~ん。淀みなく、また一連の動作が流れるように進んでゆく。細かな一つ一つの動作に利休和尚考案から始まる工夫がぎっしり詰まっているそうである。席の配置のせいでお家元の背中しか見えなかった。ちんまり、それでもその存在感の重みが背中から感じられる。主役は私ではなく皆さんではないですか、そんなことを問い掛けられているような背中だ。
 これだけの人数分をお家元お一人で点てるわけにはいかないから、水屋から大きな器に3人分ずつ点てられた濃茶が配られた。私の前の人がほとんど飲まなかったのだが、口をつけるととても苦いけれどじわりと深い味がしてとてもおいしい。ほとんど3人分あるお濃茶を飲み干してしまった。
 お家元と、正客である高齢の和尚との対話を聞いているとまるで安土桃山時代に戻ったような時間の流れを感じた。お家元が50人の一人一人に目を移しながら御礼の目配せをされる。それぞれのお客人が次の間へと促されて立ち上がっているときに末席中の末席にいる私に「土屋さん、よう来てくれはりました」と声をかけていただいたことには、私もビックリだったが、周りの人もビックリしていた。お家元の人柄ともてなしの心を大変にありがたくいただいた。

印度風カリーライス吉葉 元ぽえむ

2006-01-24 18:32:48 | これを喰わず
 東京は銀座の泰明小学校近くの小路を腹をすかせてうろうろしていたら「テレビで紹介されました」というキャッチコピーが目に入った。たくさんの飲食店が軒を連ねる中から、最近流行りのスープカリーの写真入り看板に惹かれて2階にあるその店へ飛び込んで食事をした。
 狭い階段を上ると共用トイレがある。4店舗ほどある店はスナックである。一番奥の吉葉も、この手の飲食店には珍しく中の見えない、厚手のドアだ。会員制のバーに良くあるやつだ。店でもらった名刺には「元ぽえむ」と書いてあるから、もとは会員制のバーだったのかもしれない。
 店内はご夫婦(とおもわれる)、愛想の良い女性とコック服のおやじだ。
 ビール大瓶と野菜カリー卵入りを頼む。痛風を気にしているとは思えない無茶なオーダーだ。
 カリーは辛い。本格的な香辛料を煮詰めた味だ。
 辛いけれどうまい。舌がびりびりと震えて、赤くフラッシュしているのを感じる。
 うまいけれど量が多い。後から来たほかの常連らしき客がご飯大盛りを頼んでいたが、普通盛りでも十分多い。
 量が多いけれど完食。ビールの炭酸が腹の中でうねって、カレーとくんずほぐれつ戦っているのがわかる。
 地方だと、こういった飛び込み客は珍しいので「どっから来たの?」とか会話があるものなのだが、さすが銀座。こちらが話を投げかけても全然のってこなかったので、食べ終わったらさっさと帰ってきました。
 また行ってみたいけれど、もう場所がわかりません。

お初釜2東京編その2薄茶

2006-01-23 14:12:57 | Weblog
 待合室での時間が1時間ほどたったときに、「今日庵」の方に促されて50人ほどがそろって薄茶のお席に招かれた。ちょっと育ちを良く見せようと思って、物陰で十分ストレッチをしておいてから、長時間の正座体勢に入った。
 お茶をたてる方の作法をじっくりと見てもその流れるような所作のどこら辺がエキスパートなのか見当もつかぬ。ただただじっと見ていると「この人いつ呼吸してるのかな」などと通常なら考えもしないわけもわからぬ疑問が湧いてきた。畳の上のものを扱うから必ず前かがみになる。息をするタイミングだって見極めないと力が抜けちゃうよな。
 今年は戌年なので床の間には大宗匠の字で「一犬吠伝真」という書がかかっていた。なんでも中国の故事だとのことである。「戌年はワンダフルにしましょう。」という年賀状ばかりをたくさんいただいたあとなので、せっかくならこういった格式ある干支の使い方をしたいな、などとこれまた本筋とは関係のない事を考えた。
 小さなお饅頭と飴と薄く上げて餡をはさんだお菓子をいただく。今日は女房に金粉(に見せかけた)模様の入ったお懐紙を借りてきたので、ちょっと見せびらかしながらお菓子をいただく。お薄茶は朱の器でいただいた。ご案内の方は「いつもならば同じ作者の器を使います。干支にちなんだ字や絵が入ったものが多く使われます」とおっしゃっていたが私の器には何も書いてなかった。来年もこういう機会があったらの図柄が入っていてほしい。
 香炉やら置物やらはみな戌にちなんだものだった。廊下にも戌の掛け軸が飾ってあった。めでたい気分になる。
 ぼんやり見ていては何も感激しないものだが、ご案内の方に説明を受けて良く見ると、三段ある棚は上から丸・三角・四角の形になっていてさらに3本の脚がそれを支えている。浄土宗の教えにあるものを具現化しているそうな・・・また、熱いお湯を沸かしている釜の蓋だけが漆で塗られている。芸術家の意図は良くわからぬ。遊び心なのか、何かの真理を現しているのか・・・・

身体の毒

2006-01-22 13:36:40 | Weblog
 年明けから体調が悪いのです。
 酒を飲んだら手のひらと足の裏がとても痒くなって、真っ赤にフラッシュしてしまった。腫れているようにも見える。以前から予感があった痛風かもしれない。Dr.のお見立てもやはり「痛風」のようだ。
 いずれにしても腎機能を高めるために、脂っこいものを控え、酒を控え、お菓子を控え、甘いものを控え、一日2Lの水を飲み、トイレで排泄して、カロリーメイトで栄養バランスを整え、寝がけにゆっくり身体を暖めて眠った。自分としては考えられる最高のケアを心がけた。
 1週間で半年前の体重に戻り、肌につやが出てきた。
 手のむくみもだんだんひいてきた。
 すると突然、風呂場でこすっていた手の指先や足の裏の皮がべろりと剥けてしまった。水ぶくれのあとのように皮が浮き上がって「生皮をはぐ」みたいに落ちてくる。そのあとは薄くて頼りない新しい皮膚が現れて、赤くなっている。
 まるで因幡の白兎だ。
 撮った写真もあるけれど、ちょっと見せられない感じだな。
 健康関連の書籍で調べたら、もともと人体は体内の毒をいろんなカタチで排泄しているとのことだが、肝臓腎臓の役目のひとつとしてそれらの毒を皮膚の下にためて外へ押し出しているらしい。それが停滞するとばい菌がついて水虫にもなりやすいのだという。化繊の靴下より天然素材の肌着がそれらの毒を吸い取りやすいのだとも書いてあった。
 とすると、今回べろべろむけた皮は、大量の水分補給などで元気になった腎臓がせっせと毒を出した結果の産物として出てきたことになる。

 一皮むけて元気になってきました。