「開門落葉多」
建仁益州老師
「松樹千年翠」
大徳寺黄梅院太玄師
今年も
洗心亭の炉を開きました
今日は
これから始まる20年の
第一日目のお稽古でした
主菓子 移菊 鼓月製
干菓子 羽根さぬき本舗
稽古が終わって帰宅した後
押し入れから
20年前の日記を取り出して
開いてみました
11/20(木)原田茶道教室 open!
たった一行
簡単にメモのように書いてあるだけ!
その頃の私の関心事は
まずはテニス!
それから当時受験生だった
息子のこと
あとは
ピアノのレッスンのことくらい
お茶のことは
当時の私にとっては
ほんのお楽しみの一つだったと
思います
ついでに
もう少し日記を読み返してみたら
この2ヶ月前の9月に
Hさんという女性が
ピアノを習いたいといって
突然来られて
2度目のレッスン日に
唐突に
「この辺にお茶の先生はいませんか?」と
仰ったのでした
私は
その時に自分が習っていた先生が
とても良い先生だったので
ご紹介しようとしました
ところが彼女は
歩いて通えるところがいいから
「先生(私のこと)教えて下さい!」と
強く仰ったのです
彼女の強い希望に押される形で
それなら飲み方だけでも。。。と
お受けしたのです
そしたら
他のピアノの生徒さん達も
習ってみたいとおっしゃって下さり
初めての茶道教室を
11月20日に開くことにしました
そして
そのちょうど2週間前
名古屋でお茶の手ほどきを受けた
H先生ご逝去の知らせを受けました
初めての稽古日には
電熱の風炉でお茶を点てて
皆さんに飲んでいただいただけ
だったのですが
あんなにお茶を習いたいと強く仰っていた
その方は
「こんなに大変なものとは思わなかった」と
一日でやめてしまったのです
しかも
今回日記を読み返してわかったのですが
彼女はその翌月
足が痛くて通えなくなったという理由で
ピアノのレッスンも
やめてしまったのです
その日の日記に
「結局 縁の無い人だった・・・」
と私は書いているのですが
今思えば
彼女は私に
茶道教室を始めさせるために
人生に現われてくれた
特別な人でした
たった4ヶ月間の
短いお付き合いでしたが
私の茶道人生の扉を開けてくれた
深いご縁のある方だったと
感謝せずにはいられません