『随處作主』
(ずいしょにしゅとなる)
禅居庵一渓師
「随処に主となれば 立処皆真なり」
”外に心をとらわれず
いつ どこにあっても
どんな場合でも
心の主は自分でありたい”
それはよくわかりますが
言うは易し・・・
愛別離苦
怨憎会苦
・
・
あぁいくつになっても
”四苦八苦”から
逃れることができません
が・・・
嫌いな人をちゃんと”きらい”と
認めることができる自分になれたことは
一つの『成長』ですよと言われて
今日は少し肩が軽くなりました
平水指 薄茶点前
今月は
稽古場の襖をはずして
稽古しています
襖の開け閉めをせず
水を次ぐことも少ないので
お稽古がさらっと終わってしまいました
お弟子さんに点てていただいた一服も
美味しくて
少し疲れていた心が癒やされました
主菓子 水中花 鼓月製
越後の枝豆煎餅
お口に入れると
ほんのり枝豆の香りがします