苦手だったものが2つあった。
一つは、行政評価だった。何か高みから、しかもケチをつけるような仕事は好みではない。首長のマニフェストの評価委員を頼まれても、これはやらなかった。そんな雰囲気があるのだろう、行政評価委員会の委員を頼まれることがなかった。
それを克服したのが、白岡市の行政評価委員会である。総合計画の委員会の流れで、行政評価委員会を引き受けることになり、正直気が重かった。しかし、白岡市で、「励ます行政評価」を発見して、がぜん面白くなった。提案型の行政評価である。ダメという評価をするならば、同時に、こうしたらという提案をする行政評価である。これは、はまった。
もうひとつが、今やっている、行政救済法の世界である。
何度か書いたが、大学に入るとき、早稲田大学の政治経済学部政治学科と中央大学法学部法律学科に合格した。政治学に進むか、法律学に進むか、若者なりに悩んだが、私は法学部に向いていると考えて法律学を選んだ。
ところが、法律学を学んでみて、すぐに自分に向いてないと気がついた。法律学が、あまりにスタティックだからである。概念法学も閉口した。枠そのものが、違うんじゃないのと思えたからである。
法律学では、結局、哲学の香りがある刑法(総則)に惹かれた。原因において自由な行為は、書けば論文が書けたかもしれない。いろいろあった時代なので、疎外論に関心を持ち、必然的にフォイエルバッハをよみ、それを社会の構造の問題と喝破した初期マルクスに惹かれた。同時に、風土で説明する和辻哲郎にも惹かれた。柔軟と言えば柔軟、バランスの良さと言えば、バランスの良さである。
社会人になって、政策法務に出会って、ようやく居場所が見つかった気がした。政策法務は、①自治立法、②自治解釈、③裁判で負けない、④国法変革の4つであるが、③以外は、ダイナミックな要素があり、従前の法律学と政治学の汽水域である。
他方、③は、法律学の真水部分なので、近づかないようにしていた。ところが、氏名公表を考え始める中で、行政事件訴訟法などの行政救済法を勉強せざるを得なくなり、そして、今、ぼちぼちと勉強を始めている。
行政救済法を勉強して、あらためて、感じたことであるが、裁判は、なんだかんだ言っても、最後はこれがもっともだという常識が判断基準になるので、ときには、それまでの基本理論から、はみ出した判決も出される。それに対して、行政救済法の学問世界は、それをうまく説明するために汲々としているのではないかというのが、率直な感想である。素人が何を言うと怒られそうであるが、実際、初学者の素人なので、許してもらいたいが、そんな風に感じてしまう。
最高裁の裁判官も、実際の作業をする調査官も、知的レベルの高い常識人だと思う。その常識的な判断は、今の大勢にあっているのだろう。でもやはり、おじさん、おばさんたちである。どうしても、自分の体験や常識に縛られて、時代の新しい予兆を敏感には感じ取れないだろう(私は、若い人たちと付き合っているので、若者から、いろいろなことを教わった)。
これに対して、研究者は、その時代の予兆を鋭敏に感じ取り、半歩、時代の先を行く提案をして、おじさん、おばさんの裁判官をリードしていくのが、役割ではないか。にもかかわらず・・・。
この行政救済法の世界では、白岡で発見した励ます行政評価のような、わくわく感一杯の新たな道が開けてくるような気がしない。ただ氏名公表の問題では、行政救済法の世界を乗り越えないと先に行かれないので、ここは頑張るしかないだろう。
やや愚痴のような話になってしまった。
一つは、行政評価だった。何か高みから、しかもケチをつけるような仕事は好みではない。首長のマニフェストの評価委員を頼まれても、これはやらなかった。そんな雰囲気があるのだろう、行政評価委員会の委員を頼まれることがなかった。
それを克服したのが、白岡市の行政評価委員会である。総合計画の委員会の流れで、行政評価委員会を引き受けることになり、正直気が重かった。しかし、白岡市で、「励ます行政評価」を発見して、がぜん面白くなった。提案型の行政評価である。ダメという評価をするならば、同時に、こうしたらという提案をする行政評価である。これは、はまった。
もうひとつが、今やっている、行政救済法の世界である。
何度か書いたが、大学に入るとき、早稲田大学の政治経済学部政治学科と中央大学法学部法律学科に合格した。政治学に進むか、法律学に進むか、若者なりに悩んだが、私は法学部に向いていると考えて法律学を選んだ。
ところが、法律学を学んでみて、すぐに自分に向いてないと気がついた。法律学が、あまりにスタティックだからである。概念法学も閉口した。枠そのものが、違うんじゃないのと思えたからである。
法律学では、結局、哲学の香りがある刑法(総則)に惹かれた。原因において自由な行為は、書けば論文が書けたかもしれない。いろいろあった時代なので、疎外論に関心を持ち、必然的にフォイエルバッハをよみ、それを社会の構造の問題と喝破した初期マルクスに惹かれた。同時に、風土で説明する和辻哲郎にも惹かれた。柔軟と言えば柔軟、バランスの良さと言えば、バランスの良さである。
社会人になって、政策法務に出会って、ようやく居場所が見つかった気がした。政策法務は、①自治立法、②自治解釈、③裁判で負けない、④国法変革の4つであるが、③以外は、ダイナミックな要素があり、従前の法律学と政治学の汽水域である。
他方、③は、法律学の真水部分なので、近づかないようにしていた。ところが、氏名公表を考え始める中で、行政事件訴訟法などの行政救済法を勉強せざるを得なくなり、そして、今、ぼちぼちと勉強を始めている。
行政救済法を勉強して、あらためて、感じたことであるが、裁判は、なんだかんだ言っても、最後はこれがもっともだという常識が判断基準になるので、ときには、それまでの基本理論から、はみ出した判決も出される。それに対して、行政救済法の学問世界は、それをうまく説明するために汲々としているのではないかというのが、率直な感想である。素人が何を言うと怒られそうであるが、実際、初学者の素人なので、許してもらいたいが、そんな風に感じてしまう。
最高裁の裁判官も、実際の作業をする調査官も、知的レベルの高い常識人だと思う。その常識的な判断は、今の大勢にあっているのだろう。でもやはり、おじさん、おばさんたちである。どうしても、自分の体験や常識に縛られて、時代の新しい予兆を敏感には感じ取れないだろう(私は、若い人たちと付き合っているので、若者から、いろいろなことを教わった)。
これに対して、研究者は、その時代の予兆を鋭敏に感じ取り、半歩、時代の先を行く提案をして、おじさん、おばさんの裁判官をリードしていくのが、役割ではないか。にもかかわらず・・・。
この行政救済法の世界では、白岡で発見した励ます行政評価のような、わくわく感一杯の新たな道が開けてくるような気がしない。ただ氏名公表の問題では、行政救済法の世界を乗り越えないと先に行かれないので、ここは頑張るしかないだろう。
やや愚痴のような話になってしまった。