総合計画と市民参加のそもそも論である。
参加論については、民主主義とも絡んで、さまざまな参加論がある。地方自治では一定の条件を付ければ、市民の参加が可能であるというのが私の立場である。これは何度か書いたと思う。
市民参加の意義は、信託論から派生する政府の民主的コントロールがメインであるが、それ以外の効果もある。
地方分権推進本部は、次のような市民参加の意義を示している。
1.自治体権限(地方分権の推進等に伴い拡大)の民主的コントロール
2.行政の政策・施策の質の向上(生活者・納税者の視点の反映など住民ニーズに合致した施策展開、専門的知識・経験を有する住民との協働等)
3.住民の権利・利益の保護(意見提出機会の保障による事前防衛機能)
4.住民同意の取得や住民間の合意形成・利害調整による、事後の事業執行の促進と事業の実効性の確保
5.行政の説明責任、応答性の向上
6.自己決定・自己責任に基づく成熟した市民社会の形成
1の民主的統制がメインで、3や5は、その内容と言えよう。
2は、1と対をなすもので、新しい公共論からの流れで、公共主体としての市民を意識した参加論である。4は、その結果、期待していること、6は、その到達点というか、目指す目標社会ということになる。
市民参加の意義を実践的に整理した北広島市の解説は分かりやすい。
(1) 情報を提供する(市民に知らせる)
・広報紙、ホームページ、町内会・自治会の回覧、報道機関への情報提供、出前講座
(2) 意見や意向を聞く(市民の考え方を把握する)
・パブリックコメント、市民の声、アンケート調査、市政懇談会、市民投票
(3) 答申や提案を受ける(市民がメンバーに加わる会議での議論を通して、考え方・ 方向性等を集約する)
・審議会等、ワークショップ、市民会議、市民政策提案、アイディア募集
(4)意見を交換する(市民との議論を通して理解を深める)
・市民説明会、シンポジウム、フォーラム、市政懇談会、公聴会、出前トーク
この区分によると、総合計画の市民参加はどこに当たるのだろう。
高校生未来会議のようなものは、(2)であろう。アンケート、ワールドカフェも、意見を聞くという内容で、(3)提案までのレベルにはなっていないと思う。
この日、相模原市の審議会があり、たくさんの市民参加をやっていて、特に、若者の意見を聞いているが、その評価を聞いてみた。行政側の反応は興味深かった。
1.若者のさまざまな発想に出会って、行政職員として勉強になったというものである。たしかにこれは私も体験がある。大人だけで検討すると静かな環境になるが、若者と一緒に検討すると、賑やかなところが欲しい。せめてしゃれたカフェという声が出る。私たちは、若者の思いを考えながら政策を作っているが、やはり気が付かないこともある。
2.広く市民の意見を聞く中で、市民の希望や意見が、総合計画に反映されている結果となっているということを確認でき、自分たちのやっていることに自信が持てた。
要するに勉強と自信である。確かにその通りだと思うが、これは行政側のメリットである。他方、参加した市民側に、どのようなメリットがあるのか、つまり参加してよかったという実感がどれだけ持てるか。私が気になっているのはこの点である。
ワールドカフェ方式の場合は、総じて、市民側の参加感は高い。自分の意見や思いを言える場があるからである。意見を言えば、それなりの充実感はある。
では、同じ人が、2回、3回と参加するか。ワールドカフェは、一度、出ればいいかなあという感想を持つ人も多い。また出てみようという気にさせるには、その場の楽しさだけでなく、やったことが、制度や事業に反映したという達成感が大事であろう。いくら話しても、それがその場だけだったら、いやになってしまう。
意見の反映はどうしたらいいだろう。
パブコメなら、意見に対するそれなりの回答が出されるが、一般的な参加制度でも、こうしたフィードバックの仕組みを作る必要があるということだろう。少々手間ではあるが、参加意見の反映表をつくるという慣習を創れば、参加者も、自分の意見はどうなったかを知ることができる。
なぜ、こんなことを考えたかというと、今回の審議会で、委員の意見とそれに対応する基本構想の修正点という表があり、そこに前回、私が言った意見がまったく記載されていなかったからである。
前回の話は次のようなものである。
人口減少時代の総合計画は、行政計画ではなくて、公共計画としてつくるべきではないか。つまり、8年先までの基本構想なのだから、行政を主語とするのではなく、行政だけでなく市民も企業も含めて、「私たち」を主語とする基本構想にすべきではないか。そうすれば、次の基本計画では、市民も当事者になる体裁とできるというものである。
我が家の場合、私の意見は、スルーされることが多いので、スルーに慣れているが、前回、「うるさいおやじだ」という嫌われるのではないかと心配しつつ、力を込めて、話したのに、それが影も形もないので「え」と思ったからである。
そこで、この日の会議で、「我が家ではスルーされることが多いので慣れているが・・・」のくだりからはじめて、なぜ、私の意見がないかを聞いてみた。回答を聞くと、私の提案は、あまりに基本的で、原理的なことなので、始末に困ったようで、そこで、それは置いといて、字句修正な修正点の表を作ったということである。
内部でどんな議論があったかは、想像できるので、それ以上、自分の意見に固執するものではないが、私だったら、「趣旨はできるだけいれこみました」とか、あるいはそこまで言えなかったら、「気持ちは分かるけど、ちょっと、難しかった。ごめんね」というだろう。おそらく私は、栃木弁風の「ごめんね」で行くと思う。
人生いろいろ。思い通りにはいかないことは多々ある。でも、ともかく問題意識が鮮明になり、記事を一本かけたので、良しとしよう。
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