松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆新城市穂積市長・次期は不出馬(新城市)

2021-03-10 | 地方自治法と地方自治のはざまで
 新城の穂積市長さんが、次の選挙には、出ないと宣言した。いろいろ考えた末、決めたこととのことである。

 まちづくりの専門家である友人に伝えたところ、「ついに、その時がの感ですね」。私、「いい仕事しましたね」(やや上から目線ですいません)、友人「別格ですから」。

 私も、多くの市長さんとお会いし、一緒に仕事をするので、この別格感は、よく分かる。

 具体的には、住民自治の基本から立論する政策提案力とそれの実現力である。

 理想やあるべき論を言うのは簡単である。しかし、地方自治は、人それぞれの暮らしに密着しているから、その人なりの正義がある。理想通りには行かない。正義の一部を取り入れ、一部は我慢してもらわないといけないが、そこには、説得力、妥協力、推進力を要素とする高い合意形成力が要求される。合意形成力を背景とした実践力が、別格の根拠だと思う。

 やや余談であるが、最近の日本人は、この合意形成力が弱くなった。ネットが隆盛になり、影に隠れての一方的な批判、悪口を言う大人が多くなった。「卑怯な真似はするな」と、親から、厳しく教わって来たのではないか。私たちは、いつから、そんな不甲斐ない国民になってしまったのか。ちなみに、それをアリストテレスの支配と被支配の交代論、当事者性の機会の欠如から、考えるのが、私の政策論のベースである。

 もうひとつ、体系的に考え、基本原理から考える力のほうは、大学生活を送れば、原典を読み、教員やゼミ仲間と議論することで身につくが、穂積さんは、周知の経歴なので、高校中退である。自分で体得したのだと思う。

 以前、書いた記事を再掲しておこう(2016-06-20)。

 穂積さんは、周知のような経歴であるが、それゆえ学歴は高校中退である。ここからは、私の勝手な推測であるが、もし穂積さんが、3,4年遅く生まれていたら全然違った道筋を歩むことになったろうというのが、私がひそかな推測である。

 その推測では、高校卒業後、東大に入り、その後官庁に入り、途中で代議士に打って出て、今頃は国会議員をやっているのではないか。代議士として、地方自治についても語るが、地に足がつかない地方自治になってしまって、私は本を書きませんかと声をかけなかったろうし、そんな嫌なやつとは、友だちにもならなかったと思う(勝手な推測ですいません)。

 高校中退というと、私には忘れがたい思い出がある。地元の進学高に入った私は、同じクラスのK君と知り合いになった。少し話をするようになって、K君の知識というか、その学識に驚いた。当時、K君は、私が教科書でしか名前の知らないヘーゲルなどを読んでいた。私は、K君の言っていることの半分も理解できなかった。私は、それらの本を大学に入って読むことになったので、K君は、私より確実に3年は、早熟だったことになる。

 さて、そのK君であるが、学校には、1学期だけいて、さっさと中退してしまった。学校の勉強があまりに低次元で、バカらしかったのだったのだろう(私は追いついていくのがやっとだった)。K君の退学に、私は唖然とし、なにか取り残されたような気持になった。

 今、この歳になって周りを見回してみると、とりたてて際立ったところがない普通の学生が、大きな会社の社長や取締役になり、大学教授になっている。以後、私は、高校中退と聞くと、ある種の負い目を感じるのは、この時の体験ゆえだと思う。



 
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